3/ラーイウラ王城 -8 寿命

 朝焼けに染まる客室で、神剣を振るう。

 上段から斬り下ろし、終端から速度を減じることなく斬り上げへと転じる。

 幾千幾万では足りぬほど繰り返した動きだ。

 これが、俺の持つ唯一の型だった。

 ひとまず千回余り素振りを行ったところで、従者用の寝室から部屋着姿のプルが現れた。

「──お、おはよう、……かたな」

「おう!」

「は、早い、……ね?」

「いや、腹減ってさ。昨夜、なんも食わずに寝ちゃっただろ。夕飯、取り置いてくれてありがとうな」

「う、うん。昨日の朝に、け、携帯食を食べただけだったから、おなかすくと思って……」

「さすがだな」

「うへ、へへへ……」

 プルが、俺からいちばん近い椅子に腰を下ろす。

「ちょ、調子は、どう?」

 神剣を振るう。

 前髪の先から汗が舞い散った。

「絶好調」

「よ、よかったー……」

「昨夜のマッサージのおかげだな」

 あれは最高の時間だった。

「お、お風呂、もっかい、入らないと、……ね」

「ああ。軽く筋トレしたら、そうするよ」

 起床し、まずは体を動かす。

 すっかり習慣になってしまった。

 しばらくすると、皆、思い思いに起きてくる。

 ヤーエルヘルを背中に乗せて腕立て伏せをしたあと、部屋風呂で軽く汗を流し、いつもの服に着替えた。

 下着は新しいものだから、気持ちがいい。

「本戦って何時からだ?」

 ネルが答える。

「昼食後ね。まだ、だいぶ時間があるよ」

「さっさとしろと言いたいわけではないが、多少持て余すな……」

「じ、自由にしていいって言われたけど、ほ、他の貴族のひとに会うの、いやかも……」

「それはありましね……」

「うん、気持ちはわかる」

 ネルが、深々と頷く。

「実はあたし、ちょっと用事があってさ。みんなが出歩きたくないなら、カタナだけついてきてくれるかな。自室にいれば変なことには巻き込まれないでしょ。鍵も掛かるし」

「用事とはなんだ?」

「受付にいたレイバルって人を探して、ママとパパのことを尋ねようと思って。あたしのこと、聞いてる様子だったし……」

「ね、ネル、気にしてた、もんね……」

「そーゆーわけで、カタナ。ちょーっと付き合ってくれる?」

「はいよ」

「なら、あちしたちはお留守番してましね」

「うん、お願いね」

 運ばれてきた朝食を軽くつまんだあと、俺とネルは自室を後にした。

 王城の廊下は、広く、長い。

 どちらから来たかくらいはわかるが、どこへ繋がっているのかは判然としない。

 一人であれば迷う自信があった。

「あのレイバルって人、どこにいるんだろうな」

「てきとーに兵士でも捕まえれば、だいたいわかるでしょ」

 巡回していた兵士に尋ねると、レイバルは本戦の準備に当たっているとのことだった。

 本戦は、玉座の間、国王の御前で行われる。

 二十分ほど兵士に案内され、俺たちはようやく玉座の間へと辿り着いた。

「……いくらなんでも広すぎるだろ」

「そーよね。利便性が足りないわ、利便性が」

 俺たちの愚痴を聞いてか聞かずか、兵士が玉座の間へ通ずる大扉を開く。

「──敬愛するレイバル=エル=ラライエ様! リィンヤンの領主、ネル=エル=ラライエ様をお連れ致しました!」

 無数の彫刻と装飾によって彩られた絢爛豪華な玉座の間の中央で、兵士や下女に指示を出していた女性がこちらを振り返る。

 会釈をすると、癖なのか軽く片眉を上げたあと、俺たちの方へ歩み寄ってきた。

「ネル=エル=ラライエ様。それと──」

 レイバルの視線が、俺へと向けられる。

「カタナ=ウドウ様。もてなしに不備でもございましたか?」

「……様?」

 思わず、二、三度まばたきをする。

 貴族が奴隷に敬称を付けるなんて、意外もいいところだ。

「それが、御前試合の本戦に出場するということです。カタナ=ウドウ様は、王の直属の従者となられるかもしれない御方なのですから」

「ふうん……」

 まあ、蔑まれているよりはいい。

「不備などはございません。心尽くしの歓待の数々、奴隷ともども感服致しております」

「ありがとうございます」

「ところで、少々お尋ねしたいことがございます。人の耳の届かない場所を所望致しますが、お時間はいかがでしょう」

「──…………」

 レイバルが、顎に手を当ててしばし思案し、

「──準備は予定通り行うように!」

 と、兵士と下女に指示を飛ばした。

「ネル=エル=ラライエ様。カタナ=ウドウ様。こちらへ」

 レイバルに先導されて、玉座の間を後にする。

 数分かけて案内されたのは、無人の応接室だった。

「どうぞ、お掛けください」

「ありがとうございます」

「……ありがとうございます」

 俺たちがソファに座るのを待って、レイバルが対面の席へと腰を下ろした。

「して、内密の話とは?」

「その前に、一つよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「──ごめん、限界! あたし貴族向いてないわ!」

 と、ネルが、ソファの上で両手両足を大きく伸ばした。

「あーあ」

 やっちまった。

「ごめん、レイバルさん。他に誰も聞いてないし、言葉崩させて……」

 レイバルが片眉を上げ、

「構いませんよ」

 と、少々困惑気味に答えた。

「もーしわけない。片田舎の領主なんて、こんなもんなのよ」

「はあ、そういうものですか。わたくしは、王城で生を受け、王城で育ちましたから、そちらの事情はよくわからないのですが」

「まさに、生粋の貴族って感じね」

「貴族はすべて、生粋かと」

「ま、それは置いといて」

 ネルが、身を乗り出す。

「──聞きたいのは、ママとパパのこと。現国王エリバ=エル=ラライエと、その従者ルニード=ラライエ。ママは国王だから仕方ないとして、パパはいるんでしょ。どうにかして会わせてはもらえない?」

「──…………」

 レイバルが、そっと目を伏せる。

 そこに込められた感情は複雑で、読み取ることはできなかった。

「それは、できかねます」

「……どうして?」

「わたくしは、ルニード=ラライエ様に、お目に掛かったことがございません」

「えっ」

 ネルが、目をまるくする。

「だって、あなた、王城に住んでるんでしょ。ママが即位してから、もう十年だよ。いくら王城が広いからって……」

「玉座の間の向こうに、王の間がございます。そこは、選ばれた側女しか入れぬ禁足の地。わたくしどころか、王城における第一位の貴族すら入ることは叶いません。ルニード=ラライエ様は、恐らくそちらにおられると思うのですが……」

「十年間、ただの一度も出てきてないの?」

「はい。少なくとも、わたくしの知る限りでは」

「……どういうこと、だ?」

 思わず疑問が口から漏れる。

「それが普通なのか? 御前試合の優勝者とか奴隷とかが、王の間から出てこないって」

「すみません、それもお答えしかねます。現国王の即位が十年前。前国王の即位の際は、わたくしはまだ三歳でしたから」

「──…………」

 妙だ。

「女性にこんなことを聞くのも失礼かもしれないけど、あんたは今何歳なんだ?」

 外見と年齢が一致するのであれば、レイバルは二十代だろう。

「ええ。先の誕生日で二十七に」

 やはり、おかしい。

「……現国王の在位が十年。前国王の在位が十四年。あまりにサイクルが早くないか?」

「……そうなのよ。国王の在位期間は、どんどん短くなってる。ママは、今四十四歳のはず。何かの理由があって生前退位を選ぶつもりなんだろうけど……」

「生前退位、か」

 ふと、疑問が浮かぶ。

「前国王って、今は何を? 国政に関わっているとか、そういう?」

「いえ、逝去されました」

「……亡くなられた理由、聞いてもいいか?」

「寿命です」

 在位十四年。

 即位が余程遅かったのだろう。

「現国王が御前試合を開いた理由も、生前退位ではございません」

「……へ?」

 違うのか。

「寿命と、聞き及んでおります」

「──待った」

 ネルが、制止の声を上げる。

「よく聞いてね、レイバルさん。ママは、四十四歳なの」

「はい」

「……どうして、御前試合を開いたの?」

「──…………」

 レイバルが、目を伏せる。

「寿命──だと思います。わたくしには、病とは思えません」

「病気じゃない……?」

「はい。その御尊顔のみならず、御姿までをも滅多に人に見せぬ御方ですが、時折はその御手を目にする機会がございます。その御手は、たしかに老いておられますので」

「……ごめん、混乱してきた」

 ネルが、無意識にか、俺の手を取る。

 その手を握り返し、レイバルへと向き直る。

「一つ、確認だ。優勝すれば、現国王に会うことはできるんだよな?」

「ええ、もちろん。カタナ=ウドウ様が優勝なされば、ネル=エル=ラライエ様は次の国王となられます。王の間にて、世継ぎの儀式が行われる予定です」

「──…………」

 なんだろう。

 嫌な予感がする。

「……ママは、あたしに期待している。そう言ったんだよね」

「はい」

「それは、どうして?」

「国王の御心を推し量ることなど、わたくしにはとても」

「……それは、まあ、会いたかったから──とか」

「会いたいのなら、あたしを呼びつければいい。国王なんだから、なんだってできるわ」

「……そうだな」

 ネルの手が震えている。

「……ママとパパには、あたしを王都に呼びたくない理由があるんだと思ってた。あの城下街一つ取ってもそう。王城では策謀が渦巻いていて、とても娘を呼べる場所じゃない。そんなことを妄想して、自分を誤魔化してた。でも、あたしに期待している? 国王になれと期待している? どうして? どうして、ママとパパはあたしを呼んでくれなかったの? 国王にはなれと言うのに、どうして!」

「──…………」

 興奮して立ち上がったネルの両肩に、手を乗せる。

「落ち着け、ネル」

「……ごめん」

「優勝すればわかることだ。必ず、お前を王の間まで導いてやるから」

「うん。……ありがとう」

 レイバルが、気まずそうに懐中時計を確認する。

「……申し訳ありません。わたくしはそろそろ監督に戻らなければ」

「いや、こっちこそ申し訳ない。時間取らせちまって」

「何かあれば、またお言いつけください。それでは失礼致します」

 レイバルが一礼し、応接室を出て行く。

 広い応接室に、俺とネルだけが残された。

「ネル、大丈夫か?」

「──…………」

 しばし俯いたあと、ネルが力なく微笑んだ。

「……大丈夫。でも、あの子たちには、今の話は内緒にしておいて。レイバルさんは見つからなかったことにしとこ」

「わかった」

 ラーイウラは、どうにもきな臭い。

 いたずらに不安を煽るのは、俺としても本意ではなかった。

 ネルが、ソファに体を預け、俺の手を引く。

 導かれるままに腰を下ろすと、ネルが俺の膝に頭を預けた。

「……ごめん、カタナ。すこしこのままで」

「ああ」

 ついてきて、よかった。

 一人で背負うには、今の話は重すぎる。

 優勝しよう。

 ネルの両親の真意を問うためにも。

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