3/ラーイウラ王城 -7 ここが極楽

「──……ッ、はー……」

 案内された客室のソファに深々と腰を下ろし、大きく息を吐く。

「づがれだー……」

 天井を仰ぐと、灯術用の絢爛な燭台が目に付いた。

 灯術の明かりがガラス製のオーナメントに乱反射し、より広い範囲を照らし出している。

「すっごく広いでし……!」

 ヤーエルヘルが、小走りで客室を駆け回る。

「たいへん! 向こうの部屋にベッドがたくさんありまし!」

「従者と奴隷用の寝室ね。連れて来る人は、ほんとアホみたいに引き連れてくるから」

 まだ警戒した様子のヘレジナが、ネルに尋ねる。

「あの、ヴェゼルという子供のようにか」

「あの子、あれでも厳選してると思うわよ。絶対過保護に育てられてるでしょ。奴隷が裏切っても大丈夫なように忠実な従者を──なんてやってると、どんどん増えて収拾がつかなくなってくわけ。特に、アーラーヤなんて実力者を侍らせるのなら尚更ね」

 アーラーヤ=ハルクマータ──明日、恐らく初戦で当たる相手である。

 見立てが正しければ、俺とアーラーヤの実力は拮抗している。

 殺すか、殺されるかだ。

「──…………」

 ほんの二ヶ月ほどまで、俺はただの会社員だった。

 自分とは無関係な理由で世界が終わることを願いながら、睡眠と仕事を繰り返すだけの生き物だった。

 運命とは奇妙なものだ。

 人を殺したと言えば、両親は悲しむだろうか。

 人を殺すつもりだと言えば、妹は怯えるだろうか。

 それでも──それでも、大切なものがあるのだ。

 守りたいものが、あるのだ。

 ヒーローになりたいだなんて、分不相応なことは望まない。

 彼女たちを助けることができれば、それでいい。

「──か、かたな。こわい顔してる」

「おっと、悪い悪い」

 眉間に寄った皺を、指でほぐす。

「あ、明日のこと、考えて、……たの?」

「……まあな」

 目を伏せて、自分の手のひらを見つめる。

 震えてはいなかった。

「べつに、怖くはないんだ。命懸けの試合だってのにな。ただ、ブラック社員だった二ヶ月前までの自分が今の俺を見たら、きっとたまげるだろうなってさ」

「に、二ヶ月前の、かたな……」

 プルが、俺の隣に腰掛ける。

「で、出会うか、出会わないか。そのくらいの、かたな、だよね」

「まったく、いきなり厄介なところに現れおってからに。おかげでプルさまが覗き覗きと」

「出現場所については、暫定でエル=タナエルに文句言ってくれ。俺は知らん」

「カタナ、そんな変なところから出てきたの?」

「……プルが水浴びしてる泉に出たんだよ」

「ひゅー」

「角度的に見てないけどな」

「……ほ、ほんとに、見てない?」

「見とらん見とらん。第一、プルが先に俺のことを見つけてただろ」

「あ」

「ほらな」

「……え、あー。ふへ、へへへ」

 プルが、笑って誤魔化そうとする。

 武士の情けだ。

 深追いはしないでおいてやろう。

「で、でも!」

「お、おう……?」

 唐突なプルの大声に、思わず身を引く。

「か、かたなは、最初から、ずっと勇敢だった、……よ! い、いまみたいに、強くないのに、わたしたちを助けるために必死で……。す、すごく、すごく、頼もしかった……」

「──…………」

 それは違うよ、プル。

 俺は、勇敢なんかじゃなかった。

 過酷へと立ち向かうお前の姿を見て、そうなりたいと憧れただけだ。

 俺は、あのときなりたいと思った自分に、なれているだろうか。

 お前のような勇気ある人間に、なれているだろうか。

 俺は、蛾だ。

 本物の光に憧れて、近付きたいと藻掻いている。

 いつか、本物になれることを夢見て。

「──お風呂沸いてましよー!」

 客室を探検していたヤーエルヘルが、ぱたぱたと戻ってきた。

「カタナさん、どうぞ!」

「お、一番風呂もらっちゃっていいのか?」

 ヘレジナが、腰に手を当てて答える。

「お前を差し置いて先に入ろうとする輩は、ここにはおらん。カタナは頑張った。いちばん頑張った。頑張った者は報われるべきであろう。今日くらいは主人のつもりで過ごせ」

「……サンキューな」

 おもむろにソファから腰を上げる。

「じゃ、お先」

「う、うん。ゆっくりして、きて、ね?」

「リボン、上がったら巻き直すからね」

「おう!」

 重い体を引きずりながら、浴室へと向かう。

 脱衣所で衣服を脱ぎ、浴室へ入ると、湯気がふわりと香った。

 香油か何かを湯に混ぜ込んでいるらしい。

「ほー……」

 高校の教室ほどもある部屋風呂に、思わず感嘆の声が漏れる。

 ハノンソル・ホテルの浴室の倍くらいあるぞ、これ。

 湯船には常に湯が注がれ続けており、滝のように溢れては排水溝に流れて行く。

 洗い場の壁にはシャワーヘッドの先のような放射状の穴があり、その下に半輝石セルが埋め込まれていた。

 ここに魔力マナを注ぎ込むと、シャワーが出るのかな。

 確かめる術はないけれど。

 俺は、風呂桶に湯を汲むと、良い匂いのする石鹸で体を洗い、湯船に身を沈めた。

「──……あ゛ー……」

 思わず、おっさんくさい声が出た。

 足を伸ばして風呂に入るなんて、いつぶりのことだろう。

 ネルの屋敷には浴槽がなかったから、体を拭いて済ませるのが常だった。

 湯に浸かるのは、人間の原始的な欲求の一つなのかもしれない。

 体がほぐれてくると、心もほぐれていく。

 緊張が解け、散漫な思考ばかりが脳を支配する。

「──…………」

 昼間のことを思い返す。

「アーラーヤ=ハルクマータ、か」

 奇跡級上位を標榜する、奇跡級中位。

 アーラーヤと俺は、相性がいい。

 体操術によってルインライン級にまで加速された身のこなしは、たしかに脅威だ。

 だが、俺には神眼がある。

 アーラーヤの強みをまるまる潰せるのだ。

 だが、多少の違和感はあった。

 アーラーヤは、何故、自らが奇跡級上位であると偽ったのだろう。

 わからない。

 わからないが、理性の外での〈引っ掛かり〉は意外と重要事だったりする。

 頭の片隅には入れておくとしよう。

 そんなことを延々と考えていたら、すっかり茹だってしまっていた。

「そろそろ出るか……」

 脱衣所で部屋着に着替え、皆の元へと戻る。

「──あら、お帰り。随分と長風呂だったね」

「ちょいと考え事を……」

「わかった。本戦のことでしょ」

「十割当たるだろ、それ」

 ネルがくすりと笑い、読んでいた本を閉じた。

「はい、左腕出して。リボン巻き直すから」

 ネルに、緑色のリボンを差し出す。

 そのとき、プルが、別の寝室から顔を出した。

「だ、……誰が、いちばん大きいベッド使うか、き、決まった……、よ!」

「俺はどこだ?」

 騎竜車内での雑魚寝とは言え、三人と同じ部屋で寝ることには慣れている。

 どのベッドも寝心地はよさそうだから、どこをあてがわれても文句を言うつもりはなかった。

「カタナさんは主寝室でし! いちばん大きいベッドでしよ!」

「そんなに気遣わんでも……」

「言ったであろう。今日は、私たちの主人のつもりで過ごせ。主人は主寝室で眠るものだぞ」

「そういうもんか」

 ネルがリボンを巻き直してくれるのを待って、ヤーエルヘルが俺の手を引く。

「カタナさん、来てくだし!」

「はいはい」

 導かれるまま主寝室へ入ると、

「──で……ッ、か!」

 キングサイズの二倍は優にある、漫画でしかお目に掛かれないような巨大なベッドが鎮座ましましていた。

「これ、全員でだって寝られるんじゃないか」

「ほう。主人のつもりで過ごせとは言ったが、なかなか挑戦的な発言だな」

「したいってんじゃなくて、可能かどうかの話だっつの!」

「ふふん。そういうことにしておこう」

 謂われのない罪を勝手に許されてしまった。

 なんか納得いかないが、蒸し返すのも癪だ。

 俺は、靴を脱ぎ、そっとベッドの上に上がってみた。

 ──ぎ。

 軋みと共に、スプリングらしき感触が俺の体重を受け止めた。

 質も良さそうだ。

「こいつはいいな。疲れが取れるかも」

「ど、どうぞ、どうぞ……」

 ベッドの上を這い進み、真ん中まで辿り着く。

 両手両足を広げるが、当然、端には届かない。

「うおー……!」

 狭い日本で育った身としては、軽く感動ものである。

 ふと頭上を見ると、ヘッドボードに半輝石セルが埋め込まれていることに気が付いた。

「なんだ、この半輝石セル。仕掛けでもあんのかな」

「あ、そ、それはね?」

 プルが、ヘッドボードの半輝石セルに指を触れ、念じる。

「……あ、れ?」

「プル。首輪首輪」

「そ、そそ、そうでした……!」

「あはは! じゃあ、あたしがやってみるね」

 ネルがベッドに上がり、膝立ちで俺の隣までやってくる。

 そして、縦に二つ並んだ半輝石セルのうち、上側に指を触れた。

 かすかに軋みをあげながら、ベッドの頭側がゆっくり持ち上がっていく。

「おお……!」

「しごい、こんな機能が!」

「こ、これ、上げすぎると、マットレスごと、ずり落ちるん、……だよね」

「あるある。あたしも十年前にここに来たとき、滑り台代わりにして遊んでたもの」

 ネルが下の半輝石セル魔力マナを注ぐと、角度が徐々に戻っていった。

「マジで偉くなった気分……」

 このベッドでふんぞり返りながら、あのクソ社長にクビ宣告してえー。

 ふとスプリングの軋む音がして、そちらへ視線を向けると、ヤーエルヘルがベッドに乗っていた。

「さすらいのマッサージ師がやってきましたよー」

「お、奇遇だなマッサージ師さん。お願いするわ」

 ごろりと寝返りを打ち、うつ伏せになる。

「それなら私は腕を揉んでやろう」

「え」

「わ、わた、わたし、左腕ね」

「ちょ」

「ふくらはぎを揉んで進ぜよー」

「待って──」

 なんだこれ。

 四人の美女と美少女に、寄ってたかって疲れ切った体を揉みほぐされる。

 こんなことがあっていいのか。

 朝になったら肥溜めに肩まで浸かってるんじゃないのか。

 しかし、体は正直で──


「……ここが、極楽……」


 あまりの心地よさ、満足感に、意識がどんどん沈み込んでいく。

 幸せに微睡んだまま、俺は眠りに落ちていった──

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