2/リィンヤン -6 リィンヤンの夜
──体が痛い。
全身の筋肉を徹底的に痛めつけられたのがわかる。
幾分か中身のこぼれた水瓶を背負い、ふらふらになりながら教会へと戻った俺を待ち受けていたのは、さらなる筋トレ地獄だった。
ヤーエルヘルを背中に乗せての腕立て伏せは、さすがに無理があるだろ。
「ふー……」
夜風が心地良い。
痛みと火照りで眠れず、思わず外へ出てきてしまったが、悪くない。
杭に腰掛けながら、眠る騎竜の鼻頭を撫でる。
大人しいものだ。
明日には、リィンヤンの預かり所に、一時的に引き取ってもらう手筈になっている。
いつまでも教会の前に停留していては、さすがに邪魔になるものな。
しばし僅かに欠けた巨大な月を見上げていると、
「──か、かたな?」
教会の扉が遠慮がちに開き、見慣れた顔が覗いた。
「プル」
「そ、……外へ行く、のが、見えたから」
「そっか」
思わず口元を綻ばせる。
「ね、……眠れない、の?」
「今日いじめた筋肉が、痛いわ熱いわでな……」
「……、ち、治癒術、だめなんだね。もともと疲労には、効果は薄かったけど」
「今の時点でこれなんだから、明日の朝がマジで怖い」
「──…………」
プルが、悲しげに目を伏せた。
「……ご、ごめんなさい。わ、わたし、治癒術しかできない、……のに。それすら、できなくなっちゃった……」
「治癒術、……しか?」
呆れを通り越して、いっそ軽い怒りすら湧いてくる。
「何言ってんだ、お前は」
「え……」
「料理一つ取ってもそうだ。故郷から遠く離れてしまった俺のために、豆醤を使ったレシピを考えて、実際に作ってくれた。俺がどれだけ救われたか、わかるか?」
「……!」
「俺、気付いてるからな。夕食に出てきたパン、プルが作ったやつだって」
「わ、わかるの……?」
「いや、わかるだろ。他の料理はそつなく美味いのに、パンだけ明らかに作り慣れてないんだから。操術じゃなくて手でこねたから、勝手が違ったんだろうってさ」
炎術による炎は長続きしない。
通常の調理であれば問題はないが、パンのように長時間火を通す場合には、ネルの屋敷にあるような石窯が必要になってくる。
そのため、
「や、ヤーエルヘルも手伝ってくれ、……た」
「そうか」
他のすべての料理より、プルとヤーエルヘルの焼いたパンのほうが、俺は好きだった。
作ってくれたネルには申し訳ないが、そう思ってしまった。
「──プルは、いつだって、俺たちを支えてくれている。プルの傍が俺たちの帰る場所なんだって、そう思わせてくれる。お前の治癒術は確かにすごいさ。でも、それは、お前を構成してる要素の一つに過ぎない。お前がお前であるだけで、俺たちは頑張れるんだよ」
「──…………」
はらり、と。
プルの両目から、涙の粒がこぼれた。
無意識にか、俺のほうへ歩み寄ろうとして、
「あ──」
当たり前のように足を滑らせ、体勢を崩す。
「ば……ッ!」
慌てて一歩を踏み出し、プルを抱き留める。
全身の筋肉がギリギリと痛むが、知ったことか。
今だけは無視する。
「気を付けろって、だから……」
「──…………」
「プル?」
プルは、俺に抱き締められたまま動かない。
涙を俺の胸元に染み込ませながら、プルが言う。
「……かたな、あつい」
「炎症、起こしてるからな……」
相手がプルとは言え、こうして密着していると、さすがに緊張してしまう。
「わ、……わたし、ね。気付いてた」
「何にだ?」
「……かたなが、傷ついてること」
「──…………」
「旅人狩りの、人たち、……殺しちゃったこと。後悔してるの、知ってた」
「はは……」
プルに隠し事はできないな。
「……そんな、かたなに頼りきりで。なにかしてあげたいなって思って。でも、魔術を封じられたから、治癒術すら使えなくて。ずっと、……つらかった」
「……そうだな」
気持ちは痛いほどわかる。
何かをしてもらったとき、何も返せない自分に気付くと、これ以上ないくらいの無力感に苛まれる。
俺は、プルを抱き締める腕に力を込めた。
「もし、皆を助け出すことができたらさ」
「……うん」
「ご褒美として、ほっぺたにキスの一発でもかましてくれよ」
「え!」
冗談めかした俺の言葉に、プルが驚く。
「そんくらいはしてもらってもいいと思うんだよなー」
「そ、……そんなので、いいの?」
「いいんだよ。男なんてアホなんだから、ニンジン目の前にぶら下げときゃどこまでだって走るもんだ」
「……ふ、ふへへ。……そっか」
腕の中のプルが、俺を見上げる。
「な、なら、ほっぺたにね。キス、するね」
「おう!」
俄然やる気が出てきたぞ。
マジで単純だな、男。
と言うか、俺。
「ヘレジナにも同じこと言っとけば、あいつもプルバカだから走るぞ」
「へ、ヘレジナ……」
プルが、わずかに首をかしげる。
「かたな。ヘレジナと、な、何かあった?」
「何かって?」
「はげました、の、かなって……」
「ああ。ヘレジナも気落ちしてたからさ。泉で休憩してるときに慰めてやったんだよ」
「そ、……そっか」
何事か思案し、プルが口を開く。
「……ロウ・カーナンで、ヘレジナの機嫌が悪かったことあったの、お、覚えてる?」
「あー」
理不尽に尻を蹴り飛ばされた記憶がかすかにある。
「プルに聞いたけど、秘密って言って教えてくれなかったやつな」
「へ、ヘレジナは、言ってほしくないのかなって、あのときは思って……」
「今はいいのか」
「う、うん……」
プルが苦笑し、言葉を継ぐ。
「あれね。わ、わたしとヤーエルヘルの頭は撫でてるのに、ヘレジナのことは撫でなかったから、す、拗ねてたんだと思う」
「……マジで?」
「た、た、たぶん……」
おい二十八歳。
「──…………」
だが、心当たりはある。
今日も、頭を撫でてやったあとは、満足そうな顔をしていたしな。
「……ほ、ほんとはね。ヘレジナも甘えたい、ん、だと、……思う。大きなものに寄り添って、褒めてほしい。認めてほしい。で、でも、ルインラインはそれを許さなかった。甘やかしてはくれなかった。だから、無意識に、かたなにそれを求めてるんだと、思う。……普段は自制してるけど、自分の欲しいものを与えられてるわたしとヤーエルヘルを見て、う、羨ましく、なっちゃったんじゃない、……かな」
「……なるほどな」
聞けば聞くほどヘレジナらしい。
ヘレジナの家庭環境までは聞いていないが、愛情に飢えているのかもしれなかった。
「まったく、手の掛かるやつめ。事あるごとにからかいながら頭撫でてやろうかな」
「か、からかうのは、しなくていい気が……」
とは言え、茶化さないと変な雰囲気になってしまうしな。
「みんなの形無お兄さんとして、俺も頑張るかあ」
「お、お兄さん……」
「おじさんとか言うなよ。けっこうデリケートな年齢だぞ」
「い、言わない、よー……」
プルが苦笑する。
「ほら、いい加減しゃんと立て」
抱き締めていたプルの体を離す。
「あ、……あの、ね?」
「うん?」
「か、……かたなも、甘えたくなったら、言ってね。お、お兄さんだって、そういうとき、あると思うから……」
「──…………」
優しい子だ。
「なら、ちょっと甘えちまおうかな」
「う、……うん!」
プルが、手入れされている芝生に腰を下ろし、自分のふとももをぽんぽんと叩いてみせる。
膝枕だ。
俺がプルの膝枕を気に入っていること、しっかりバレているらしい。
「──よっ、と」
プルのふとももに頭を乗せる。
ふにふにとした生足の感覚が心地よい。
「ふへ、……へ」
プルが、そっと、俺の頭を撫でてくれる。
「……そう、だよね。……誰も、殺したくなんて、なかった、……よね」
「──…………」
「それ、でも。かたなは、選んでくれた。罪を背負い、わたしたちを助ける道を選択してくれた……」
「……ああ」
「……ありがとう、かたな。ほんとに、……ありがとう」
──そうだ。
俺は、俺を肯定してほしかったんだ。
俺の罪を。
間違いなんかじゃない、と。
「……はは。まあ、頭に血がのぼって、それどころじゃなかったのもあるけどな」
「かたな」
プルが、俺の目元に右手をかぶせる。
手のひらが視界を遮り、何も見えなくなる。
「……わたしも、背負うよ。あなたの罪を」
「──…………」
「いつか、また、誰かを殺さなければならない時が来るかもしれない。そのときは、思い出して。わたしがいるから。あなたと罪を半分こして、一緒に、どこまで歩いていくから」
「──…………」
「……それなら、すこしは荷物が軽くなる、……よね?」
嗚呼。
涙が溢れてくる。
プルは、知っていた。
わかっていた。
だから、俺の目を隠して、涙を見ないようにしてくれたのだ。
本当に、敵わない。
一生頭が上がらない気すらする。
俺は、プルの気遣いを無駄にしないために、なるべくしゃくり上げないようにして、静かに泣き続けた。
ヘレジナに慰めが必要だったように、俺は赦してほしかったんだ。
誰かに、赦してほしかったんだ。
「──プル」
溜まっていた涙をすべて洗い流したあと、俺は言った。
「うん」
「必ず、助ける」
「……うん」
プルが、言った。
それは、俺のことを信頼しきった声音だった。
「ほっぺにちゅー、す、素振りしておくね」
素振りってなんだ。
部屋でほっぺにちゅーの練習をしているプルを想像して、思わず吹き出してしまう。
「はははっ!」
「……ふふ、ふへへ」
頑張ろう。
この子たちは、不幸になってはいけない。
俺のすべてを賭けて、救い出そう。
そう、素直に思えた。
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