2/リィンヤン -1 奴隷
「こォんな凡庸な男が奇跡級だと? 冗談も大概にしろ!」
──ドガッ!
「ぐ……ッ」
地面に顔を伏せ、両手のひらを上に向けた俺の肩を、貴族の足が蹴り抜いた。
「か、かたな!」
「……大丈夫、大丈夫」
心配そうな三人に、なんとか笑みを浮かべてみせる。
こいつ、ぶん殴りてえー。
「──しかし、そちらの少女たちはなかなかの上物じゃないか。千で買っても構わないが?」
下卑た笑みを浮かべる貴族に、ゼルセンがきっぱりと言う。
「あくまで全員。男を御前試合に出すという契約です」
「男以外、三人で二千だ」
「なりません」
「……チッ」
貴族が舌打ちし、きびすを返す。
「だったらいらんわ。御前試合に出す奴隷は決まっているんでな」
「残念です」
ゼルセンが貴族に背を向ける。
「立て。行くぞ」
「はい」
土で汚れた膝を払いながら、俺たち四人は騎竜車へと向かう。
俺は、無言で馬車へ戻ろうとするゼルセンを呼び止めた。
「ゼルセン様、こちらへ」
「……ああ」
五人連れ立って騎竜車へと乗り込む。
腕を組み、ヘレジナが言った。
「ちっとも売れんではないか」
「……申し訳ありません。御前試合の一月前ということもあり、既に出場させる奴隷の決まっている貴族が多いようです」
ヤーエルヘルが小首をかしげる。
「そもそも、御前試合って、どういうものなのでしか?」
「はい。御前試合は、王位継承権を持つ貴族が、自らの奴隷を戦わせる場です。ラーイウラ王城で行われ、観客は王のみ。故に、その実態は、我々庶民には明かされておりません。ですが、この御前試合で優勝した奴隷の主人が、次の王となるらしいのです」
「次の王に、か」
ふと湧いた疑問をぶつける。
「なら、今の王様って死期が近いのか? それとも生前退位?」
「わかりません。ラーイウラの王は、代々、国民に顔を晒さないのです。常に布で顔を隠しており、性別すら判然としない。現在のラライエ四十二世に代替わりしてから、わずか十年。寿命というわけではないと思いますが……」
「……ご、御前試合で優勝すれば解放されるのは、ほ、ほ、本当、……なの?」
プルの懸念も当然だ。
俺たちは、それを、ゼルセンからしか聞かされていないのだから。
「それは事実です。御前試合を勝ち抜いた貴族が王になった暁には、その奴隷たちは恩赦を受け、解放される。王となるが故に、もう必要がないのでしょう。もっとも、それでも主人に仕えたいという忠実な奴隷は、引き続き王の下僕として働き続けるのだと聞きますが」
「奇特な輩もいるものだ」
ヘレジナが、吐き捨てるようにそう言った。
「場合によると思うけどな」
俺は、ヘレジナの顔を見た。
「お前、もしプルが国王になったらどうする?」
「もちろん、傍で仕え続けるに決まっている」
「……ふふ、ふへ、へ」
プルは嬉しそうだ。
「それと同じだろ。主に心から仕える奴隷もいるってことだ。このラーイウラでもな」
「うむ……」
あまり納得のいかない様子だ。
「……カタナたちは車中にいるから見えないのだろうが、この地での奴隷の扱いはひどいものだぞ。貴族に限らず、奴隷を引き連れた者は、老若男女問わず杖を持っている。使い方はわかるな」
ヤーエルヘルが青ざめた。
「……叩く、の、でしか?」
「その通りだ。奴隷の老人を、子供が杖で打っているのを見たときは、本当に心が痛んだ」
「──…………」
悲しげに、プルが目を伏せる。
「に、逃げられないんだ、……ね」
ゼルセンが、顔色一つ変えずに言った。
「魔術を封じられるのは、手足をもがれるのと同じこと。たとえ上手く逃げられたとしても、火すら起こせず、明かりも確保できない。野垂れ死ぬのは確実です」
「お前な……」
思わず呆れる。
「悪いとか、可哀想とか、心が痛むとか、なーんもないのか」
「私は、偽善は嫌いです。故に、正直に答えさせていただきます」
ゼルセンが居住まいを正す。
「思いません。奴隷は人に劣る生き物。たとえ道端で死んでいたところで、汚らしいと眉をひそめるだけです」
「貴様……!」
立ち上がろうとするヘレジナを制する。
「ドラペトマニア、ってやつか」
「どら……、なに?」
「ドラペトマニア。俺がいた世界にも、かつて奴隷制があった。ドラペトマニアは遺伝性の精神病とされていたものだ」
ただの雑学で覚えていた事柄に、実際に遭遇するとは思わなかった。
「精神病、でしか」
「その症状は──」
一拍溜めて、口を開く。
「奴隷が、隷属する義務から逃げ出そうとすること」
「……え?」
プルが、目をまるくする。
「そんなの、あ、当たり前……」
「そうだ。当たり前だ。そもそも隷属する義務なんてもんは存在しない。でも、当時の人々は、これを奴隷にだけ発現する精神病だと考えていた。そいつらは奴隷を人間だとは思っていなかった。人間に仕える別の生き物として捉えていたからだ」
「ひ、ひ、ひどい……」
「……だけど、そいつはある意味当然のことだ。奴隷は人間じゃないと教育されてきたんだから。赤ん坊は、まっさらだ。そのキャンバスに、親が、世間が、国が、間違った考えを描き込んだ。それが何世代も繰り返されて常識となった。誰が、何が悪かったかなんて、俺にはわかんねえよ」
「──…………」
ヘレジナが、目を背けた。
「言いたいことはわかります。私は旅人狩り。他国もひととおり見て回って、ラーイウラの価値観が特異であることも理解している。しかし、私たちは、あなたたちを標的としか見られないのです。家畜と恋ができないようにね」
「……不愉快だ」
ヘレジナが御者台へと向かう。
「ゼルセン、次はどこへ行く」
「売価は少々下がるかと思いますが、リィンヤンという村へ向かおうと思います。リィンヤンを治める貴族は、教会を運営する変わり者であると聞き及んでおります。彼女であれば、あなたたち全員を買ってくれるかもしれません」
「だといいがな……」
「物資を買い込んどいて助かったな。こんなところで補給はしたくない」
「でしね……」
俺の言葉に、ヤーエルヘルが同意する。
「では、馬車の後をついてきていただけますか。リィンヤンへは、ここから馬車で一日半ほどかかります」
「わかった」
ゼルセンが、自分の馬車へと戻っていく。
リィンヤン。
どんな村なのだろう。
正直、期待はできないが、俺たちは進むしかない。
抗魔の首輪をどうにかしなければ、出国することすら叶わないのだから。
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