1/赤銅の街道 -終 抗魔の首輪

「──シッ!」

 ヘレジナが、一息で、俺の懐へと入り込む。

 風圧でしなった両手の枝が、俺の脇腹へと順に襲い掛かる。

 だが、その動きはあまりに鈍重だった。

 こと速度に限れば、遺物三都で出会った冒険者たちより劣っている。

「よっ、と」

 半歩下がり、その二閃を回避する。

 そして、空振りで体勢の崩れたヘレジナの頭頂部に枝を振り下ろす。

 当たるはずだ。

 だが──

「甘いッ!」

 崩れた体勢は、ブラフだった。

 本命の一撃は、蹴り。

 ヘレジナの後ろ回し蹴りが、見事な軌道を描いて俺の頭部に肉薄する。

「──…………」

 だが、避けられる。

 容易に避けられてしまう。

 それが、なんだか切なかった。


 ──ぱしっ。


 ヘレジナの蹴りを片手で受け止め、言う。

「やめよう」

「……はあ、はァ……」

 ヘレジナが、呼吸を乱しながら、足を下ろす。

「この、通りだ。結果はわかりきっていた……」

 ヘレジナの指が、抗魔の首輪に触れる。

「ヘレジナ=エーデルマンは、体操術がなければ、せいぜい師範級の実力しかない。これでは、皆を守れない……」

「──…………」

 俺は、何も言えなかった。

 事実だからだ。

 ヘレジナは、誰より深く、そのことを理解している。

「ヘレジナさんは、体操術の名手だったのでしね」

「……そう、かもしれない。今の私は、恐らく、師範級中位だ。体操術でみっつも級位を誤魔化していたとも言える」

「師範級中位、か」

 決して弱くはない。

 玉石混淆の遺物三都においても、強い部類に入るだろう。

 だが、ヘレジナの鬼神の如き強さを知っている俺からすれば、やるせないものがある。

「体操術を封じられて、わかったことがある」

「わかったこと?」

「カタナの強さは、異常だ。ごく一般的なレベルの体操術を習得するだけで、容易に奇跡級上位となり得る。恐らく、アイヴィルに肉薄するか、場合によっては凌ぐだろう」

「──…………」

 褒められて嬉しいことは嬉しいが、複雑でもある。

 俺には、そもそも魔力マナがないらしい。

 体操術を扱うのは不可能なのだ。

 俺の心情を汲み取ったのか、ヘレジナが言葉を継ぐ。

「だが、今回に限っては、カタナに魔力マナがないことが幸いした。彼奴らも、まさか、抗魔の首輪を嵌めた相手が奇跡級の実力でもって自分たちを叩きのめすとは思いもしなかったことだろう」

 ヘレジナが、たおやかに微笑む。

「ありがとう、カタナ」

「ありがとうございまし、カタナさん」

 無理矢理に笑顔を作る。

「……ああ、どういたしまして」

 心の一部が腐っているように感じる。

 俺は、人を殺した。

 十七人もの人間を、たったの一呼吸で鏖殺した。

 対話での解決も、あるいは可能だったかもしれない。

 だが、俺は選んだのだ。

 あの十七人を殺すことを、自らの意志で選択したのだ。

「──さて、これからどうすべきか。ゼルセンは、御前試合で優勝すれば、奴隷から解放されると言ったのだな」

「ああ」

 首輪に指を引っ掛けながら、答える。

「二人が寝てるあいだに試したんだけど、これ、相当頑丈みたいでな。切ろうにも壊そうにも傷一つつきやしなかった。頼みの綱は魔術だけど、首ごと飛ぶ可能性のが高いだろ」

「……そうだな。首輪を破壊するに足る威力では、急所の首筋に致命的な損傷を与えかねん。そもそも、私たちは全員、抗魔の首輪で魔術を封じられている。首輪を力尽くで外すのは最終手段にしておきたい」

 状況は絶望的だった。

 俺は、こうして奴隷に身を落とすまで、魔術を封じられることの意味を軽視していた。

 もともと魔力マナを持たない俺でもどうにかなっているのだから、仮に抗魔の首輪を嵌められたとしても大したことはないと高をくくっていたのだ。

 だが、こうしてパーティ全員に首輪を嵌められたことで、ようやく気が付いた。

 灯術、炎術、操術、治癒術──俺が不自由なく生活できていたのは、三人が俺の代わりに魔術を使ってくれていたからだ。

 そして、なんでもない日常にすら魔術が必要なこの世界で、人から魔術を奪うことがどれほど残酷な行為であるのか、嫌と言うほど理解できた。

「……ゼルセンを叩き起こして、もう一度話を聞こう」

 ヘレジナが頷く。

「ああ、それがいい」

 出立前にエルロンド金貨一枚で購入した品の良い懐中時計に視線を落とす。

 時刻は朝方、午前六時すこし前だった。

 午前五時ごろ、ようやく死体を埋め終わったゼルセンを簀巻きにし、焚き火の傍に転がしておいたのだ。

 わざわざ距離を取っているのは、ゼルセンに会話を聞かせたくなかったからだ。

 野営場所へと足を向けたとき、ゼルセンを監視していたプルが、小走りで駆けてきた。

「み、みんな、ゼルセンさん、お、起きた、……よ!」

「逃げ出す様子は?」

「だ、だいじょうぶ……」

「あれだけ固く縛ってなお抜け出すとなれば、奇術士の所業であろう」

 焚き火の近くへ戻ると、太巻きのようになったゼルセンが、媚びるような笑顔で出迎えた。

「……ははは、あのう……、解放ぅ……、しては?」

「タダで逃がすと思うか?」

「……ですよね」

「だが、俺たちも鬼じゃない。首輪が外れるか、あるいはその目処が立てば、命くらいは残してやる」

「──……ふゥ……」

 ゼルセンが大きく溜め息をついた。

「……昨夜も言いましたが、元よりラーイウラの国民ではない者が奴隷となった場合、死以外で解放されることはまずありません。国外へ逃亡することは不可能ではありませんが、首輪の解錠、及び破壊の手段は、どの国でも確立されていないのが現状です。唯一の例外が、王の前で執り行われる御前試合。奴隷だけが参加できるこの大会で優勝すれば、恩赦として自由が与えられます。幸いなことに、御前試合は一ヶ月後に迫っている。カタナさんの実力であれば、優勝も容易いかと」

「──…………」

 果たして、そう上手く行くだろうか。

 御前試合で優勝。

 口で言うのは簡単だが、当たり前にできることではないだろう。

「お前、俺たちを貴族に売るつもりだったんだろ。その予定で俺たちを襲った。なら、買い手の目星はついてんじゃないか?」

 ゼルセンが頷く。

「はい。自分で言うのもなんですが、用意周到なもので」

 ヘレジナが半眼でゼルセンを睨んだ。

「……反省していないのではないか?」

「してます!」

「お前が反省してるかどうかなんて、どうだっていいんだよ。ゼルセン、俺たちを与し易い貴族に売れ。その代わり、売った金は好きにしていい」

「……へ?」

 ゼルセンが、呆然とする。

「い、い、いいの……?」

 プルが俺の顔を覗き込み、そう尋ねた。

「よくはない。よかあないけど、仕方ないんだよ。逃がせばこいつは、また旅人狩りを続けるだろうさ。でも、俺たちにとってはそれが最善だと思う」

「ならば、何故だ。こんな害獣を野に放つのは、後進に対する配慮に欠けた行為だぞ」

「まず、一つ。奴隷が単独で貴族に会いに行っても、取り合ってくれない可能性がある。奴隷ってのは誰かの所有物だろ。その所有物が駆け込んできたところで、憲兵なり警邏隊なりに突き出されるのがオチだ」

「あ、たしかに……」

 ヤーエルヘルが、納得したように頷く。

「んで、もう一つ。恐怖だけで縛ったところで、ゼルセンは言うことを聞かない。街に入ったところで、叫んで助けを求めるかもしれない。そいつはさすがに面倒だろ。人のいる場所でこいつをどうにかしたら、即座に処断されかねない。奴隷が一般市民を殺したらどうなるかなんて、だいたい予想つくしな。だから、金で釣るのがベターだと思う」

「ふむ……」

「な、なるほどー……」

 プルが、得心の行った様子で頷いた。

「ゼルセンに俺たちを売らせて、二度と顔を合わさない。いざ別れれば、こいつは俺たちに関わろうとは思わないだろうし」

「はい。二度とお目に掛かりたくありません……」

 目蓋の裏に深く刻まれた恐怖は、容易に拭い去れるものではない。

「こいつが得をするのは正直納得いかないけど、自分たちのことを考えるとな」

「……気は進まんが、致し方ない。私はそれで構わん」

「異議なし。優先すべきは抗魔の首輪の解錠でしから」

「わ、わたしも……」

 プルが、両の拳を握り締め、悔しそうに言う。

「……そ、それより、ね。みんな、怪我しないでね。わ、わたし、役に立てない、から……」

「──…………」

 俺は、プルの頭に手を乗せ、その繊細な髪の毛を優しくくしけずった。

「ありがとうな、プル。でも、役に立たないなんてことは絶対にないから。そいつは俺が保証する」

「……ふ、……ふへ、へ。き、気を遣ってくれて、……ありがと」

 胸中で呟く。

 違う。

 気なんて遣っちゃいないよ。

 心の底からそう思っているだけだ。

「それより、マジで気を付けて歩けよ。脊髄反射の治癒術、使えないんだからな」

「……き、気を付け、……まっす」

 ヘレジナが、ゼルセンの眼前に立つ。

「ゼルセン。これより、お前の拘束を解く。だが、怪しい動きを見せてみろ。即座に四肢を一本斬り落とす」

「ひ」

「だが、無事に我らを貴族に売り払うことができれば、報酬としてその金子を与え、解放してやろう」

「……その依頼、商人として、確かに承りました」

「あと、できれば旅人狩りもやめろ。また痛い目に遭うのがオチだぞ」

「前向きに検討いたします……」

 ヘレジナが、毛布を固く縛っていたロープを、双剣の一本で切る。

 おもむろにゼルセンが立ち上がり、情けない顔で言った。

「……その、着替えてきてよろしいでしょうか」

「逃げなければな」

「逃げません。ここから先はビジネスですから」

「わかった」

 俺は、あごで馬車を指し示した。

 ゼルセンが、心なしか内股で、自分の馬車へと戻っていく。

 そう言えば、漏らしたまま放置していたっけな。

「──…………」

 それにしても、随分と厄介なことになったものだ。

 気持ちよく晴れた空を見上げながら、俺は、運命の女神を呪うのだった。

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