第三章 ラーイウラ王国

1/赤銅の街道 -1 配達人

 ラーイウラ王国。

 ラライエ四十二世の統治するこの国は、ほとんど貿易に頼らない極端な内需国である。

 国内だけで経済が完結するラーイウラでは、外貨であるシーグルの価値が低い。

 そのため、本来であれば、手持ちのシーグルでありったけのゴールドを購入し、それをラーイウラの通貨であるアルダンに換金する必要があった。

 だが、俺たちの手には、迷宮で手に入れた金貨がある。

 二度手間を避けられたのは僥倖と言えるだろう。

「──しかし、よかった。少々ぼったくられた感はあるが、騎竜車を騎竜ごと買い上げることができた。ラーイウラを横断しようにも、短く見積もって四日はかかる。その点、騎竜車ほどの広さがあれば、寝床に困ることはないからな」

 ヘレジナの言葉にプルが頷いた。

「さ、さ、最後の一騎って言われたから、あ、慌てて、買っちゃった、……ね」

 ヤーエルヘルが、真面目な顔で口を開く。

「路銀は十分にありましから、少々吹っ掛けられても問題ないと思いまし。でしが、いざという時のために、財布の紐は締めておきましょう。ラーイウラの通貨に換金したのは、金貨一枚だけでしし」

 俺たちは、ロウ・カーナン郊外の騎竜騎馬取引所の近くにある、どことなくオリエンタルな雰囲気漂う食堂で時間を潰していた。

 窓にはモザイク状の色ガラスが嵌められており、無骨さの中に美しさが潜んでいる。

 騎竜車や馬車は、購入しても、永久に使えるとは限らない。

 そのため、大きな街には必ず騎竜や馬の取引所がある。

 不要になった騎竜車及び馬車を売却することで、旅人は最低限の出費で快適な旅路を行くことができ、業者側は商品の入荷に手間がかからない。

 双方共に一両得のシステムだ。

 イメージとしてはレンタカーに近いだろう。

 購入した騎竜車の整備にすこし時間が掛かるとのことだったので、こうして近くの食堂で昼食を取ることにしたのだった。

「財布の紐を締めるっつっても、アルダンの価値がまだピンと来てないんだよな。シーグルはだいぶ慣れたけど」

 ヘレジナが、それぞれ色の違う長方形のアルダン赤銅貨数枚と、棒状の金属を数本、財布代わりの革袋から取り出す。

「左から、20アルダン硬貨、5アルダン硬貨、1アルダン硬貨、100ネリテ棒貨、10ネリテ棒貨、1ネリテ棒貨だ。1アルダンは千ネリテ。シーグル換算で、およそ13シーグル弱という話だな」

 日本円に換算して、1アルダンは約三千円。

 20アルダン硬貨に至っては、一枚で六万円ということになる。

「ぼったくられないように気を付けないとな」

「なに、多少は構うまい。ウージスパインに入ればラーイウラの通貨はもう使わないのだ」

 プルが、1アルダン硬貨を手に取る。

 鋳造したてと思われる、鮮やかに輝く赤銅色の貨幣だ。

「き、きれい……。一枚、も、もらっていい?」

 ヘレジナが鷹揚に頷く。

「もちろんですとも。よろしければ、ネリテ棒貨もお納めください」

「ふへ。じゃ、じゃあ、100ネリテを一本だけ……」

「存在は知ってましたけど、棒状の貨幣って面白いでしね」

「俺も初めて見たな」

「──あ、そ、そうだ」

 ネリテ棒貨を指先でいじりながら、プルが尋ねる。

「か、かたなの国のお金って、どんな、……の?」

「あちしも気になりまし!」

 プルとヤーエルヘルの目が好奇心にきらめいている。

「そうだな……」

 当たり前過ぎて、いざ説明するとなると難しい。

「単位は円。硬貨は、1円、5円、10円、50円、100円、500円──って感じに分かれてる」

「随分と細かく刻むのだな」

「あと、千円以上は紙幣で、千円札、五千円札、一万円札があった」

 二千円札なんてのもあったけれど、説明すると混乱を招くだけだろう。

 プルが小首をかしげる。

「し、しへい……?」

「紙のお金のことだな」

「紙ぃ……?」

 ヘレジナが片眉を上げた。

「何故、紙がそこまでの価値を持つのだ。硬貨と逆ではないのか?」

「……なんでだろ」

 たしかに、紙よりも金属のほうが価値が高そうな気はする。

 だが、紙幣のほうが明確に優れている点はある。

「軽い、ってのはあるんじゃないか。硬貨って、数があると滅茶苦茶重いだろ。エルロンド金貨も運ぶのに一苦労だったし。紙幣なら一億円くらいでも持ち歩けはするけど、五十万シーグルだと絶対無理だ」

「……100シーグル銀貨、五千枚か」

 ヘレジナが思案し、首を横に振る。

「無理だな。私でも持てん」

「運ぶのに人を雇う量でしね……」

「だが、紙だと贋金が横行するのではないか? シーグル硬貨は素材と価値とが離れていないゆえ、本物だろうと偽物だろうと大した問題ではないのだが」

 ヘレジナの疑問に答える。

「ああ、それは大丈夫だ。変態レベルの偽造防止技術が使われててな。光に透かすと肖像画が浮かび上がったり、肉眼では見えない文字が印刷されてたりするんだよ。偽造自体は簡単にできるけど、贋金だってすぐバレるようになってる」

「さ、さすが、技術の世界……」

 感心したように、プルがうんうんと頷いた。

 雑談に花を咲かせていると、

「──よッ、と」

 食堂の店員が、俺たちのテーブルに大皿をどんと置いた。

「青菜と挽肉の豆醤炒め、四人前だよ。他のはもうちっと待っててくんな。うちの自慢のメニューだから、美味かったら宣伝してってちょうだい」

「ああ、美味ければな」

 ヘレジナの答えに満足げな笑みを浮かべ、店員が戻っていく。

「──…………」

 深呼吸をする。

 豆醤の香りが鼻腔を満たす。

 やはり、醤油に限りなく近く思える。

「と、取り分けまっす……」

 プルが、操術で、豆醤炒めをどんどん小皿に分けていく。

「そんな雑用、私がいたしますのに……」

「ふへ、へ。わたし、こういうの好き……」

 プルは、確かに、こういった細かい仕事を進んでしてくれる印象がある。

 人の世話をするのが好きなんだろうな。

 俺の前に、小皿に山盛りの豆醤炒めが置かれた。

 思わず唾を飲み込む。

 期待と不安が半々だった。

 味への期待と、それが裏切られるかもしれないという不安だ。

「か、かたな。召し上がれー……」

 正面の席のプルが、緊張の面持ちで、俺の一挙手一投足を見つめている。

「──よし」

 食ったれ食ったれ。

 俺は、豆醤炒めをスプーンですくうと、口へ運んだ。

「──…………」

 よく噛み締め、そして、飲み込む。

「……めっちゃ醤油だ」

 より正確に言うのであれば、薄味の醤油に砕いた大豆を混ぜ、とろみをつけて、旨味をすこし引いたような味だった。

 醤油として評価するのであれば決して点数は高くないが、醤油か否かと問われれば確実に醤油だ。

「よ、よかったね、かたな!」

 プルの言葉に頷く。

「すげー懐かしいわ。サンストプラに来てまだ一ヶ月くらいだってのに。一週間の海外旅行で醤油持ってく観光客の気持ちがわかるな……」

「ま、豆醤、たくさん買って、たくさん積み込もう、……ね! わ、わたし、みやぎの味、がんばって再現するから」

「……ありがとうな」

 プルの優しさに甘えている自覚がある。

 だが、それでいいのだろう。

 俺たちは仲間で、プルやヘレジナ、ヤーエルヘルが、俺を頼ることだってある。

 一方的な依存関係ではないのだ。

 互いにできないことを補完し合うのが、きっと仲間というものだ。

「ふむ、悪くないな……」

 豆醤炒めを口にしたヘレジナが、感心したように頷いた。

「これがカタナの故郷の味か。なかなかどうして美味いではないか」

「ほいひいれし……!」

 ヤーエルヘルは、何を食べても幸せそうだ。

「じゃ、じゃあ、わたしも……」

 プルが、豆醤炒めを口へ運ぶ。

「──あ、おいしい! ど、独特だけど、おいしい。これ、万能かも……」

「実際、万能な調味料として使われてたな。肉に魚、サラダに煮込み、炒め物からお菓子まで、醤油を使った料理はいくらでも思いつく」

「お、お菓子……?」

「砂糖と醤油を混ぜて作った甘じょっぱいタレを、団子っていうもちもちしたお菓子に絡めて食べたりするんだ。わりと美味い」

「すごい……」

 プルが感心している。

「と、とりあえず、かんたんな料理から試してみる、ね。よるごはん、楽しみにしてて」

「ああ。今から腹を減らしとくわ」

「食べている最中に次の食事の話とは、随分と食いしん坊よな」

「それだけ楽しみってことだよ」

 青菜と挽肉の豆醤炒めを賑やかに食べ進めていると、不意に、俺たちのテーブルへ近付く者があった。

「──もし、そこの方々」

 それは、細い声に反して筋骨隆々の男性だった。

「何の用だ」

 ヘレジナが警戒しながら尋ねると、男性が会釈して答えた。

「私はゼルセン。ゼルセン=タッカーグレンと申します。各国を渡り歩いては荷物を運搬する〈配達人〉です。少々お伺いしたいことがございまして」

「配達人さんでしか。大変なお仕事でしね……」

「ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。私はこれから、ウージスパイン共和国へ荷物を届けねばならない。ですが、ラーイウラは旅人狩りが盛んな国と聞き及んでおります。実を言いますと、私、腕に覚えがまったくありませんで……」

 わりと強そうに見えるんだけどな。

「そこで、ウージスパインへ行く方がおられればと、手当たり次第に声を掛けている次第なのです」

「──…………」

 ヘレジナの目が鷹のように細められる。

「妙だな。配達人であれば、専用の配達ルートがある。毎回違ったルートを選ぶ配達人などいない。そもそも、ウージスパインへ向かうのならば、ラーイウラを迂回して、アインハネスとクルドゥワを経由したほうが遥かに安全ではないか」

「それが、急ぎの荷物でして……」

 ゼルセンが、困ったように笑みを浮かべる。

 それを見かねてか、プルが口を開いた。

「わ、わたしたち、ちょうど、ラーイウラを抜けて、う、ウージスパインへ向かうところで……」

「本当ですか! どうか、同行させてはいただけませんか」

 喜ぶゼルセンとは対照的に、ヘレジナが眉をしかめる。

「プルさま。わざわざ行き先を告げずとも」

「う、運命の銀の輪は──」

「あなたの隣人が回す、でしね」

 その言葉を言われてしまっては、ヘレジナに断ることなどできるはずもない。

「お前の負けだな」

「仕方がない……」

 ヘレジナが、嘆息と共にゼルセンを見上げる。

「だが、私たちの騎竜車に同乗はさせんぞ。見ず知らずの者と同じ空間にいては、気が休まらないのでな」

「ええ、ええ。もちろん。積み荷がありますので、私は私の馬車で過ごします。騎竜車の後を追わせていただければ、それで十分です」

「ならば、いいのだ」

「馬車一台では襲われる道でも、二台であれば見逃してくれるかもしれない。確実な自衛法とは言いがたいですが、それでも幾分かは危険を減らせるはずです」

「旅程は四日前後。なるべく早く抜けてしまいたいでしね……」

「そうだな。ロウ・カーナンで水と食料をたっぷり買って、どこにも寄らずにまっすぐ突っ切る。それが最善だろ、たぶん」

 俺の言葉にプルが頷く。

「う、うん。ウージスパインは、あ、アインハネスと同じくらい治安のいい国だから……。そ、そこまで行けば、あんしん」

「それでは、短いあいだですが、よろしくお願い致します」

 ゼルセンが、右手の甲をこちらへ向けて、深々とお辞儀をしてみせる。

 たったの四日であれば、旅人狩りに遭遇することもあるまい。

 仮に襲われたとしても、こちらには俺とヘレジナがいる。

 ヤーエルヘルだって頼りになる。

 きっと大丈夫だ。


 ──そのときの俺は、愚かにも、そんなことを考えていたのだった。

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