1/赤銅の街道 -2 赤銅の街道
赤銅の街道。
それは、ラーイウラ王国をぐるりと一周する長大な舗装道路である。
その名の理由は至極単純、道路に赤銅色のレンガが敷き詰められているからだ。
また、ラーイウラ国内での交易に極めて重要な街道であるため、国王をして〈赤銅の貨幣を生む〉と言わしめたことが理由という説もあると、ヤーエルヘルが教えてくれた。
──かた、かた。
騎竜車が優しく揺れる。
ぐずついた天気だが、それもまた風情だろう。
そんなことを思える程度には、騎竜車での旅路は快適だった。
自分の腕を枕にして寝転がりながら、あくびを一つ漏らす。
「……この道、あんま揺れなくていいなあ。前はひどかった」
独り言じみた俺の言葉を、プルが拾って返した。
「る、流転の森から、ハノンまで、み、未整備だったもんね……。す、すーごい、がたがた……」
「ハノンに入ってからは快適だったけどな」
「こ、この道、ラーイウラをぐるっと一周してるんだよね。舗装するのに、何年かかったんだろ……」
暇なのか、広い車内で柔軟をしていたヤーエルヘルが、あっさりと答えた。
「赤銅の街道がラーイウラを一周するまで、六十年かかったと言われてまし」
「ろ、六十年!」
プルが目をまるくする。
「まあ、かかるわな。手作業だもんな」
敷き詰められた焼成レンガは、隙間も少なく、草もまばらだ。
丁寧に敷かれたことが窺える。
「く、国のお金、なくなっちゃいそう……」
「それがでしね。ラーイウラの歴史上、最も景気のよかった時代が、その六十年間だそうなのでし。人足はほとんど奴隷だったとは言え、フシギでしよね」
「あー……」
大学で取っていた経済学の講義で、そんな話を聞いたことがあった気がする。
「ラーイウラって内需国だろ」
「そうでしね」
「内需国にとっての好景気って、どれだけ金の巡りがいいかなんだよ。金ってのは、国にとっては血液みたいなもんだ。街道の整備っていう公共事業で国から支払われた金が、国民の消費行動を誘発して、巡り巡って国庫に戻ってくる。これが経済が回るってこと」
「はー……」
ヤーエルヘルが、感心したように頷く。
「か、かたな、物知りー……」
「いや、すげーうろ覚えだからな。前にチラッと習っただけ」
「ちらっと習えるのがすごいことだと思いましよ?」
「どういうことだ?」
「
「ああ、そっか。考えてみりゃ、義務教育で九年、高校行けば十二年、大学通えば十六年も学び続ける日本がおかしいのかもな。そのわりに身になってねえし」
「じゅ、じゅうろくねん! か、か、かたなも、十六年も勉強したの……?」
「したした。無駄にした。プルの人生より長い期間、ずーっと学校通ってたよ。あんまり真面目ではなかったけどな」
「ふえ……」
「プルとヤーエルヘルも塾通ってたのか?」
「わ、わたしは、ずー……っと、個人指導……」
皇巫女だもんな。
そりゃそうか。
「あちしも、塾に通ったことはないでし」
思わず目を見張る。
「……マジで?」
「え、おかしいでしか……?」
「だって、なんでも知ってるじゃん。俺たち三人、わからないことがあれば、とりあえずヤーエルヘルに聞こうぜって空気になってるぞ」
プルが、うんうんと同意する。
「えと……」
ヤーエルヘルが、てれりと微笑んで言う。
「あちしの知識はすべて、師に教わったものでし。読み書きも、計算も、魔術も。筋金入りの旅人で、なんでも知ってるひとでしたから」
「……もしかして、教わったこと全部覚えてるのか?」
「はい、覚えてましよ」
「お師匠さんもすごいけど、ヤーエルヘルも負けてないな。俺なんて、先生の言ってることの九分九厘、反対側の耳からぼろぼろこぼれ落ちてたからな」
「お、同じく、……でっす」
「おい皇巫女」
「だ、だって、むつかしくて……」
そんな俺たちの様子を見て、ヤーエルヘルがくすくすと笑う。
「──ああ、そうだ。ヘレジナはどうなんだろ」
のそりと身を起こし、御者台へ続く小さな引き戸を開く。
すると、涼やかな風と共に、御者をしているヘレジナの小さな背中が見えた。
「ヘレジナぁー」
ヘレジナが首だけで振り返る。
「どうした、カタナ。暇なのか?」
「暇だから雑談しようぜ」
「構わんぞ。赤銅の街道は素晴らしい道だが、素晴らしすぎて騎竜に指示を出す必要がほとんどないものでな。ちょうど退屈しておったところだ」
そんなヘレジナに、プルが尋ねる。
「ね、ねえ、ヘレジナ。ヘレジナは、こ、子供のとき、塾に通ってた、……の?」
「塾──とは少々趣が異なりますが、皇都のスクールに十二年ほど通っておりましたね」
「十二年も、でしか」
「なあ、ヤーエルヘル。塾って普通はどのくらい通うもん?」
「おおよそ五、六年って聞きました。ヘレジナさんは、かなり高等な教育を受けられたんだと思いまし」
「ふふん。このヘレジナ=エーデルマンは、皇都で最高の教育を受けた才媛なのだ。崇め奉るがよい」
「まあ、俺は十六年通ってたけどな」
ヘレジナが愕然とする。
「な、なんだと……!」
「いえーい、俺の勝ち。ぶいぶい」
ダブルピースでヘレジナを煽ってみる。
「くッ! こんな学のなさそうな男に……!」
「……まあ、十六年間も勉強した結果、とんでもねえクソブラック企業に入社することになったんだけどな」
「──…………」
ヘレジナが、俺の肩にそっと手を置く。
「ヘレジナ……」
慰めてくれるのかと思いきや、
「私は十二年学んだ結果、プルさまの従者になれたぞ。私の勝ちだな」
「──…………」
振り返ってプルを見た。
「プル、慰めてくれ。お前の従者に言葉で殴られた」
「い、いまのは、かたなも悪いような……」
「そういう正論は聞きたくないんじゃー!」
両耳を塞ぎ、ごろんごろんと駄々をこねる。
「か、カタナさん。カタナさんは頑張ってましよ! えらいでしよ!」
「うう、ヤーエルヘル……」
ヤーエルヘルが、俺の頭を優しく撫でてくれる。
これがバブみか。
「子供に何をさせとるのだ……」
ヘレジナの視線が痛かった。
「──あ、あれ? もう夕方……?」
プルが、ヘレジナの肩越しに空を見上げる。
騎竜車の中は灯術で明るいために気付かなかったが、既に太陽が沈みかけていた。
「旅程は順調か?」
「ああ。川を一本、村を一つ越えたから、現時点で六分の一ほど進んだことになる。昼過ぎに出立したのだから、思った以上に順調だ。これならば予定通り、四日でラーイウラを抜けられるだろう」
それはよかった。
危険は短いほうがいい。
「そろそろ野営の準備をしなければな……」
「で、でも、半端なところで野営するの、ちょっと不安、……かも」
「ああ、例の旅人狩りか」
「野営は野営で怖いでしし、宿に泊まるのもそれはそれで怖いのでしよね。あちしたち、旅人狩りの実態を知らないでしから。村ぐるみ、街ぐるみで行ってる可能性も……」
「そうなのだ。それが怖い。いずれにしても危険であれば、進めるだけ進んで最短で抜けるのが最善であろう」
「な、な、なるほどー……」
「先にも言ったが、カタナには寝ずの番をしてもらうぞ。御者ができるのは私しかいないのでな」
「了解。そのためにたっぷり昼寝したんだしな」
それに、徹夜は慣れている。
慣れたくもなかったが、それが役に立つのであれば悪くはない。
「そ、そだ。ヤーエルヘル。わ、わたしと順番で、かたなとおはなし、……しよう! か、かたなひとりだと、寝ちゃうかも……」
「あ、いい考えでしね!」
「おー、頼むわ。一人無言でじっとしてると、マジで時計進まないからな」
すこし憂鬱だった寝ずの番が、途端に楽しみになった。
「──よし。この木立を抜けてしばらくしたら、そこで野営とする。ヤーエルヘル、飼い葉を用意しておいてくれ。騎竜も腹を空かせていることだろう」
「わかりました!」
あのラーイウラ王国を横断しているというのに、心地よい旅路だ。
水も、食糧も、飼い葉も、薪も、軽く十日分の備蓄があるため、不安はない。
なにより、三人と話しているのが本当に楽しかった。
これで旅人狩りの危険がなければ最高なのだが、そうそう上手く運ばないのが現実だ。
せめて、三人が気兼ねなく休めるよう、目を光らせておくとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます