2/ロウ・カーナン -3 獣耳

 写真屋で登録証に顔写真を刻印してもらったのち、借り上げた平屋へと帰宅した。

 サンストプラにおける写真とは、灯術によって目の前の光景を金属板に投影し、それをなぞるように炎術でもって焼き入れていくというもので、アナログどころか手作業に近いものだった。

 しかし、完成した金属写真はかなり精密なものだ。

 俺たちを担当した写真術士の腕が良かったのかもしれない。

 迷宮に挑む準備を整えたかったが、残る所持金はたったの十二ラッド。

 一シーグルは二十ラッドだから、一ラッドは約十円。

 自販機で缶ジュースが買えるか買えないか、といった金額しか残っていなかった。

「ふー」

 ヤーエルヘルが帽子を脱ぐ。

 頭頂部の獣耳が、可愛らしくぴこぴこと動いた。

「これ、蒸れるのでしよね。できたらかぶってたくないのでしけど、仕方なくて」

「──…………」

 じ、と。

 ヤーエルヘルの獣耳を見つめる。

「?」

 ヤーエルヘルが小首をかしげた。

「カタナさん、どうしました? やっぱり物珍しいのでし?」

「まあな。なにせ、俺の世界だと、けもみみって架空の存在だったから」

「けもみみ……」

「わ、わたしも、見ていい……?」

「私にも見せてくれ。亜人と会うのは初めてなものでな」

「い、いいでしけど……」

 俺たちの圧に、ヤーエルヘルが一歩引く。

「──………………」

「──……」

「──…………」

 じー。

 俺たちの視線が獣耳に集中する。

「その……」

 ヤーエルヘルが、たまらず両手で獣耳を隠した。

「そんなに見られると、恥ずかしい、でし……」

「うッ」

 今のは、可愛い。

「か、かわ……」

 プルも同じ意見のようだった。

「うう」

 ヤーエルヘルの顔が真っ赤になっていく。

 ヘレジナが素朴な疑問を口にした。

「ところで、本来耳があるべき部分はどうなっているのだ?」

「……ひ、人の耳もありまし」

 ヤーエルヘルが、ふわふわした横髪をどけてみせる。

「なるほど、四つ耳解釈か」

 創作物ならともかく、現実ではこうして髪をどけることができてしまうからな。

 こちらのほうが自然に感じる。

「おかげで耳は純人間よりいいでし。帽子を取ったら、でしが」

「不思議なものだな……」

 ふと疑問が湧き、ヤーエルヘルの背後を覗き込んだ。

「しっぽはないのか?」

「ありましよ。でも、見せるの恥ずかしいでし。スカートまくれますし……」

「ああ、そりゃそうか」

 仕方がない、見るのは諦めよう。

 プルのパンツみたいに勝手に見えるものならばともかく、女児にスカートをめくってみせろと言うのはラインを越えた変態だ。

「命拾いしたな、カタナ。見せろだなどと世迷い言を口にしていれば、朝まで特訓コースだったぞ」

「か、かたなは、そんなへんなこと、言わない、……よ?」

「言わん言わん。これでも良識ある大人のつもりだぞ」

「うん、うん」

 プルが得意げに頷く。

 信頼されているのは、素直に嬉しい。

「──と、そうだ。尋ねたいことがあったのだ」

 ヘレジナが、改まって、ヤーエルヘルへと向き直る。

「尋ねたいこと、でしか?」

「あのときお前が使ったのは、爆砕術ではない。そうだな」

「……はい」

 ヤーエルヘルが神妙に頷く。

「爆砕術は火薬との相似魔術だ。あのとき起こったのは、爆発ではない」

「──…………」

「爆砕術と近い系統に、灰燼術というものがある」

「灰燼術?」

 聞き慣れない言葉に、思わず口を挟む。

「白い炎ですべてを焼き払う高等魔術だ。灰燼術の前では鉄すら塵と化すと言われている。習得難度の高さに比して汎用性が低いため、使い手は少ないのだがな」

 白い炎。

 炎は、温度が高ければ白く、さらに高温となれば青白く輝く。

 白く輝く恒星である太陽の表面温度は6,000度程度だったはずだ。

 鉄の融点はそれ以下だから、塵とはならずとも即座に融解、あるいは蒸発するだろう。

 恒星級の超高温を作り出すとか、とんでもないな。

「しかし、あれは灰燼術ですらないように見えた。ヤーエルヘル。お前は、何をした?」

「──…………」

 ヤーエルヘルが、呼吸を整え、答えた。

「師は、あれは〈開孔術〉と呼んでいました。魔力マナを極限まで圧縮して、空間に穴を開けるのでし。火法系統の究極形の一つだ、と」

「そんなことが可能なのか……」

 ヘレジナが瞠目する。

「いや、可能なのだろうが、にわかには信じがたい。実際に目にしてすらも、だ。どれほどの魔力マナを注ぎ込めばそんなことができるのか、皆目見当もつかん」

「あちし、生まれつき潜在魔力マナが多いのでし。トレロ・マ・レボロでは、魔法は忌避されていまし。あちしが故郷を追い出されたのは、それが原因で……」

「……そうか」

 本当に苦労してきたんだな。

「開孔術で開いた穴は、一定以上の大きさにならなければ、周囲に影響を及ぼしません。すぐに消えてしまいまし。そのため、小規模の場合は爆砕術と似た挙動をしまし」

「なるほど。いずれにしても、術の精度を上げて、制御できるようにならねばならんな」

「はい……」

 ふと疑問に思ったことがあった。

「開孔術を使ったときの、あの火花はなんだったんだ? パチパチってやつ」

「あ、あれはただの炎術でし。開孔術は、炎術で作った道を通り、その終端で穴を開きまし」

「なるほど。ただの炎術とは言え、二術同時に走らせるのか。道理で制御が難しいわけであるな……」

「ふうん……」

 軽い思いつきを提案する。

「門外漢だから的外れなことを言うかもしれないけど、ただの炎術なら制御のコツは教えられるんじゃないか? 開孔術がどこへ行くかは炎術次第なんだろ。炎術を学べば命中精度が上がる気がするけど」

「た、た、たしかに……」

 プルが、ヤーエルヘルへと向き直る。

「や、ヤーエルヘル。い、いっしょに、練習……してみる?」

「しまし! みんなの役に立ちたいでし……」

 いじらしい子だ。

「では、私たちも、ヤーエルヘルに負けぬよう鍛錬を積まねばな」

「ああ」

 枝を拾い上げ、力強く頷いてみせる。

「ほう」

 ヘレジナが感心したように頷いた。

「また情けないことを言い出すかと思っていたが、殊勝ではないか」

「──…………」

 ──ヒュン。

 俺の振った枝が、空気を斬り裂いて甲高い音を立てる。

「銀琴。取り返すんだろ?」

「……ああ」

「だったら、今までみたいな甘え腐ったことは言ってられないな。こう見えても案外義理堅いんだぜ、俺」

 ヘレジナが微笑む。

「そんなこと、とうに知っているとも」

 そして、いつも使っている二本の枝を手に取った。

「手加減はせん。全力で行く。捌ききってみせろ」

「ああ、来い」

 今まで幾度となく銀琴の自慢を聞いてきた。

 銀琴はヘレジナの宝物なのだ。

 取り返さなければならない。

 それが、大切な宝物を皆のために差し出したヘレジナに対する誠意だと思うからだ。

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