2/ロウ・カーナン -4 来訪者
「──プルさんが、皇巫女さま……!」
「え、……えへへ。い、い、今はもう、違うけど、ね……」
プルが、ヤーエルヘルに、これまでの顛末を話している。
事ここに至れば一蓮托生、すべてを打ち明けるべきだろう。
ヤーエルヘルなら、軽々に秘密を漏らすことはない。
そう信じられるくらい、俺たちのあいだには信頼関係が芽生えていた。
「──……う゛ー……」
体中が痛い。
関節がみしみしと軋みを上げている。
ここまで来れば、もはや筋肉痛とは呼べない。
普通に怪我だ。
プルに治癒術をかけてもらったのだが、どうやら疲労には効果が薄いらしい。
だが、翌日以降の筋肉痛は抑制できるらしいので、決して無意味ではないだろう。
「大丈夫か、カタナ」
ヘレジナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
普通に気遣ってくれるのは珍しかった。
「……大丈夫じゃない」
「だろうな……」
「でも、これくらいでいいんだよ。俺はまだまだ弱い。努力や痛みがイコール成長になるわけじゃないけど、前に進んでる感じがするからな」
「……私が認める。カタナの精神力は大したものだ。級位が上の人間に体操術なしで六時間も食らいつくなど、私とて気が遠くなる」
「なに、慣れてるだけだよ」
仕事と違って、自分の身になるだけずっとましだ。
「しかし、お前が素直に褒めるなんてな。雪でも降るんじゃないか」
「素直に褒められておけばいいものを」
ヘレジナが苦笑し、俺の額に軽くデコピンをした。
「でっ」
「自業自得だ。風呂を沸かしたから、先に入るといい。湯に浸かりながら軽くマッサージをしておくと、治りが早くなるぞ」
「あいよ」
ふらふらと立ち上がり、浴室へと向かう。
魔術があれば風呂を沸かすことは容易だ。
井戸水を汲み、沸騰術と呼ばれる火法系統の魔術で水の温度を上げるだけでいい。
沸騰術の術式は、炎術とほとんど変わらない。
よって、子供に火法系統の魔術を教えるときは、炎術より安全な沸騰術から教えていくのが常識であるらしい。
「じゃ、お先──」
そう言って浴室に入ろうとしたときのことだ。
──コン、コン。
玄関の扉が遠慮がちにノックされた。
「あん?」
きびすを返し、玄関へと向かう。
「誰だ」
来訪者に声を掛けると、男の声が返ってきた。
「──銀の刃のハイゼルだ」
「ハイゼル……?」
意外な相手だ。
「話がある。出てこい」
「──…………」
皆のいる部屋を振り返り、声を掛ける。
「なんか、ハイゼルの野郎が来た。ちょいと出てくる」
「ハイゼルさん、でしか?」
「あの男か。私も出よう」
ヘレジナを言葉で押しとどめる。
「いや、いい。先に風呂入っててくれ。四人いるんだ。さっさと回してかないと、明日に響くだろ」
「ふむ……」
数秒思案し、ヘレジナが答えた。
「では、先に入らせてもらおう。問題はないと思うが、いちおう気を付けるのだぞ」
「わかってる」
ヘレジナが立ち上がるのを見届けて、玄関の扉を油断なく開く。
そこには、腕を組み、仁王立ちをしたハイゼルが立っていた。
「おせぇ」
「そりゃ悪かったな」
ハイゼルが、こちらに背を向けて歩き出す。
出てこい、ということだろう。
「つ──」
痛みに耐えながら、ゆっくりと扉を閉じる。
「お前らが釈放されたって聞いてな。どんだけシケたツラしてんのか、わざわざ見に来てやったんだよ」
「趣味のおよろしいことで」
「──…………」
すこしの沈黙ののち、ハイゼルが疑問を口にする。
「実際、いくら賠償すんだ」
「百三十万シーグル」
「──ッ」
ハイゼルが絶句する。
「……いや、まあ、そんくらいにはなるか。妥当っちゃ妥当だ」
「ああ、やっぱ妥当なのか」
迷惑料も含めているとは言っていたが、法外というわけでもないらしい。
「悪いが、銀の刃は一銭も出さねぇぞ。お前らが勝手にやったことだ。お前らの責任だ。俺たちには関係ねぇ」
「わあってるよ。せびってないだろ、べつに」
「──…………」
ハイゼルが目を逸らし、言った。
「……いちおう、感謝しておく。肩にかけてもらった治癒術のこともな。なにせ、命あっての物種だ」
俺は、思わず吹き出した。
「くくッ。まさか、お前から感謝されるだなんてな。鳩尾殴り抜いたときには想像もしてなかったぞ」
「ヴィルデが──仲間が礼を言ってこいとよ。あいつがキィキィうるせぇから、来た。そんだけだ。悪いか」
「悪かないさ」
ニヤリと笑い、告げる。
「だったら、俺からも一つ礼だ」
「なんだよ」
「お前ら、俺たちに有利な証言をしてくれただろ。一歩間違えばテロリスト扱いだったからな。その点は助かった」
ハイゼルが眉をひそめた。
「何言ってんだ。事実を伝えねぇと、こっちにまで飛び火すんだろうが」
「礼くらい素直に受け取っとけよ、天邪鬼」
「……チッ、調子狂うぜ」
足元の小石を蹴り飛ばしたあと、ハイゼルが、いいことを思いついたとばかりに片方の口角を吊り上げた。
「ああ、そうだ。せっかくの機会だ。ちっと稽古をつけてくれ、奇跡級サマよ」
「……お前、こっちが筋肉痛なの見て吹っ掛けてんだろ」
「あン? コンディションが悪いから戦えませんってか? 調子が悪かろうがなんだろうが、ンなこた敵は知ったこっちゃねぇ。殺されちまえばすべて終わりだ。言い訳の余地はない。そうだろ?」
「正論で殴りやがって……」
事実、その通りだ。
敵はこちらのコンディションを考慮してはくれない。
むしろ、弱っているときにこそ狙ってくる連中もいるだろう。
「わかった、わかった。一本だけな」
「よっしゃ!」
ハイゼルが、腰に提げた長剣を鞘に入れたまま構える。
「おら。待ってやるから獲物を用意しな」
「あー。いい、いい。そのまま打ち込んでこい。もう屈むのもつらいんだ」
「……言ったな。後悔しても知らねぇぞ」
ヘレジナと六時間も模擬戦をしたおかげで、俺の感覚はかつてないほど研ぎ澄まされている。
ハイゼルの実力は、足運びだけでわかる。
恐らくは師範級。
決して弱いほうではないのだろう。
「頭カチ割れろ、──やあッ!」
ハイゼルが長剣を無防備に振り上げる。
こちらに得物がない以上、好手ではないが悪手とも言えない。
動作は淀みなく、鍛錬の成果が見て取れた。
だが、相手にならない。
俺は、迫りくる鞘に側面から触れると、その軌道を横へずらした。
「な──」
長剣が空を切り、ハイゼルがたたらを踏んだ。
反転し、その膝裏を雑に蹴る。
「のわッ!」
膝カックンの要領で、ハイゼルがその場に膝をつく。
「これでいいか?」
「……チッ、大して鍛えてるようにも見えないのによ」
見る目があるな。
その通りだ。
ハイゼルが立ち上がり、膝の砂を払う。
「もういい、わかった。用事はそんだけだ。じゃあな」
長剣を腰に提げ直し、ハイゼルがきびすを返した。
「──ああ、そうだ。ついでだ。ヤーエルヘルに、悪かったって伝えといてくれや」
「ふ」
思わず鼻から吐息が漏れた。
「なんだよ……」
「お前さ。実は、最初からそれだけ言いたかったんだろ」
「──…………」
ハイゼルが、とても渋い顔をした。
「……ま、せいぜい気張れや。お前らの足掻きを酒の肴にしてやっからよ」
憎まれ口を叩きながら、ハイゼルがその場を立ち去っていく。
「不器用なやつ」
性格がねじ曲がっているのは否めないが、思ったほど悪辣でもないのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺は借家へと戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます