1/ベイアナット -6 ヤーエルヘルの事情
遺物都市ベイアナット。
言葉の響きから連想される古めかしい建造物の姿は、ここにはない。
当然だ。
遺物三都は、カナン遺跡群の地下迷宮が発見された三十年前に築かれた、ごく新しい都市なのだから。
ベイアナット、ロウ・カーナン、ペルフェンの中央に存在するカナン遺跡群へと向かえば、イメージ通りの廃都を見ることができるだろう。
「そう言や、このあたりまで来たのって初めてだな。ずっと療養してたから」
ベイアナットは活気に満ち溢れた街だ。
武器を提げた冒険者たちが荒々しく闊歩し、露天商や呼び込みも語気が強い。
すれ違いざまに肩がぶつかったとしても、睨まれるどころか、誰も気に留めすらしないのだ。
あのハノンソルが上品に思えるほど、すべてが粗野で大雑把だった。
「カタナさん、病気だったのでしか……?」
無意識に腹部を撫でる。
「いや、ちょっと、内臓までえぐられちまってな」
「ふひえ」
ヤーエルヘルが目をまるくする。
「プルがいなけりゃ、今頃お陀仏だ。感謝してもし足りない」
「ふ、……ふへ、へ」
プルが、両手を頬に添えて、怪しげな笑い声を漏らす。
照れているらしい。
「仲がよくて、羨ましいでし。あちしにはそんなひと、いないから……」
「──…………」
ヘレジナが、神妙な表情を浮かべ、ヤーエルヘルへと向き直る。
「話したくなければ、話さずとも構わない。だが、お前は、このベイアナットにおいて私たちの先達である。これまでどんな経験をしてきたか、私たちに教えてはくれまいか」
ヤーエルヘルが目を見張る。
ヘレジナにそんなことを言われるとは思ってもみなかったらしい。
「わかりました」
微笑み、ヤーエルヘルが続ける。
「あちしは北の出でし。故郷を放り出されてからベイアナットに辿り着くまで、ずっと放浪を続けていました」
「一人でか?」
だとすれば尊敬に値する。
旅慣れない俺たちは、三人ですら戸惑うことばかりなのに。
「いえ、あちしには仲間がいたのでし。仲間と言うより、保護者や師に近いのでしが……」
ヤーエルヘルが、遠い目をする。
「行き倒れていたあちしを拾って、身を守るための魔術を教えてくれた。とても優しくて、けれども厳しいひとでした」
ふと、ウガルデの言葉が脳裏をよぎる。
所属したパーティが全滅した──そう言っていたっけ。
「え、、……と」
プルとヘレジナが顔を見合わせる。
彼女たちも同じことを考えているようだった。
「──あ、違いまし違いまし。そのひとは、たぶん、生きてまし」
「そ、……それなら、よかった、……のかな?」
プルが、ほっと胸を撫で下ろす。
「そのひとは、ある朝突然いなくなっていました。宿の主人に伝言を残して」
こつん。
ヤーエルヘルが、足元の小石を軽く蹴った。
「〈卒業試験だ、おれに追いついてみろ〉」
「──…………」
「あちしは子供でし。路銀を稼ごうにも、子供のできる仕事なんてそうそうない。だからあちしは、遺物三都を目指したのでし。年齢も性別も関係ない、実力主義の街へ」
「そっか」
頑張ったな。
頭を撫でて、そう言ってやりたい衝動に駆られる。
だが、それは俺の自己満足に過ぎないだろう。
親元で安穏と暮らしているはずの年端の少女が、たった一人で旅をしている。
本当は、頑張りたくなんてなかっただろう。
だが、そうせざるを得なかったのだ。
出会って三十分の俺が踏み込むべき領域じゃない。
すこしだけ、話の矛先をずらす。
「ベイアナットに来てからはどうだ?」
「いろんなパーティに混ぜてもらって、すこしずつお金を貯めていまし。最近では、ギルドの酒場で働いた賃金のほうが多くなってましたが……」
「パーティとは、一度組めば一蓮托生。解散するまで常に同行するものではないのか?」
「最初はそうでした。でしが──」
ヤーエルヘルが言いよどむ。
「……そ、そっか。例の……」
「はい……」
パーティの全滅。
冒険者という仕事は、死と隣り合わせだ。
そのことを改めて実感する。
「それに、あちし……」
帽子を深々とかぶり直しながら、ばつが悪そうに続ける。
「あちし、そういうの、向いてないので……」
「──…………」
理由が気になったが、なんとなく聞きづらい。
「し、仕事って、どんなの、してきたの……?」
「いろいろしました。他のパーティと合同で魔獣退治をしたこともありましし、護衛、調達、やたらと報酬のいい草むしりなんかも」
「草むしり?」
そんな仕事まであるのか。
「やることは、要は警備でし。草むしりという名目で庭に待機させて、怪しい人影や野生動物、魔獣なんかが現れたら、冒険者が自主的に撃退するよう仕向けるのでし」
「普通に警備頼めよって思うんだが……」
「名目上は草むしりでしから、何も出なければ相場が警備よりお安いのでし。何か出て撃退してくれれば特別報酬でも支払えばいいでしし、庭がきれいになるおまけ付き。この手のずるい依頼は、あんまりおすすめしません」
「ふむ」
ヘレジナが感心したように頷く。
「腕に覚えこそあれど、私たちはギルドの仕事をこなしたことがない。ヤーエルヘルの話は非常に参考になるな」
「えへへ……」
照れ笑いを浮かべるヤーエルヘルを慈しむように眺めながら、プルが口を開く。
「じゃ、じゃあ、食材買って、帰りましょう。か、かたなのおなかもよくなってきたし、や、ヤーエル、ヘルの、歓迎会も、……へへ」
「いいんでしか……?」
「も、もちろん! み、みんな、食べたいもの、ある……?」
「そうだな……」
プルの気持ちは嬉しいんだが、この世界の料理自体をあまり知らないんだよな。
パンや麦粥、腸詰めなど、元の世界と共通の品はあれど、見たことも聞いたこともない料理や食材も少なくない。
「私は、プルさまの作られるものでしたら、なんでも構いません。欠片も残さず完食いたします!」
「そ、それがいちばん困る……」
プルが苦笑する。
「や、ヤーエルヘルは?」
「あちしは、故郷のサルナ──」
そこまで口にして、ヤーエルヘルが慌てたように首を横に振った。
「あ、いま、いまのなしでし。ちがいまし!」
「……?」
急にどうした。
気にはなるが、無理に追求することもない。
俺たちにだって隠し事くらいはあるのだから。
そんなことを考えていたとき、ふと、見覚えのあるものが露天で売られていることに気が付いた。
マンゴーによく似た外見の果実だ。
「お、フルルカじゃん」
「フルルカがどうかしたか?」
「ハノンでプルと食べたんだよ。あのときは生で食ったけど、本来は調理するもんなんだっけ?」
「う、うん。せっかくだし、フルルカを使った料理に、す、する?」
「それいいな」
「ふ、ふたりも、それでいい、……かな」
「もちろんですとも」
「フルルカ好きでし。熱を入れると渋みが抜けて、ほくほくになるんでしよね」
「へえー」
調理されたフルルカがどんな味になるのか、楽しみにしておこう。
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