1/ベイアナット -5 帽子の少女
「しっかしよう。人は見た目によらねェってな、このことだな」
受付の男性が、カウンターに額をぶつけかねない勢いで頭を下げる。
「申し訳ねェ、見誤った。俺の目は節穴だった。このギルドを開いて二十年、すこしは見る目が養われたと思ってたが、気のせいだったみてェだな。少なくとも、うちのギルドにゃあ、あんたら以上の使い手はいねェよ」
ヘレジナが薄い胸を張る。
「ふふん。最初から白旗を上げておけば、手間が一つ省けたのだぞ」
「見た目で侮るのは、もうやめにする。さっそく登録すっから、パーティ名と代表者、メンバーの名前を──」
受付の男性がそこまで言ったとき、
──がらごろん!
出入口の扉が乱暴に開かれた。
「あうッ!」
大きな帽子を深々とかぶった少女が、勢いそのままに床へと倒れ込む。
「おい、大丈夫か?」
助け起こそうと近付きかけたとき、少女の背後から男の声がした。
「ッたく、クソの役にも立たねえ! コイツのせいで何匹取り逃したか!」
「──……う」
「おい、オッサン! よくも不良品掴ませてくれたなぁ!」
受付の男性が眉をしかめる。
「そりゃ申し訳ねェが、相性ってもんがある。たまたま合わなかっただけだろう」
「相性以前の問題だ、ボケ!」
見れば、男の仲間だろうか、三名の男女が扉の傍で不快そうな表情を浮かべている。
その表情の理由が少女の失態なのか、見苦しく騒ぐ男に対してのものなのか、それはわからなかった。
「ごめ、なし──」
「チッ」
冒険者の男が、鞘ごと長剣を振りかぶる。
ほんの一秒後には少女の肩をしたたかに打ち据えるだろう。
そう思った瞬間、体が動いていた。
「やめとけ」
振り下ろす直前で、男の手首を掴む。
「ぐッ……」
不意を突かれたのか、男が剣を取り落とした。
「無抵抗の子供を殴るな。ムカつくんだよ」
「出しゃばってんじゃ──」
男が拳を握り締める。
その様子を見て、酔客の一人が大声を上げた。
「おい、ハイゼル! そいつは!」
だが、男は止まらない。
「──ねえッ!」
俺は、不用意に殴りかかってきた男──ハイゼルの腕を軽くいなし、そのままカウンターの要領で鳩尾を殴り抜いた。
「ぐボ……ッ!?」
ハイゼルが鳩尾をかばい、そのまま膝から崩れ落ちる。
「悪い悪い、弱い者いじめになっちまったな。まあ、お前もさっきしようとしてたことだし、因果応報ってことでよろしくな」
「……ぎざ、ま……!」
ハイゼルが血走った目で俺を睨みつける。
「……うわ、だっさ」
「普段威張り散らしといてアレとか、引くわー」
男の仲間が嘲るように言った。
「……ごろ、……ずッ!」
痛みと苦しみ、そして怒りとで顔を真っ赤にしながら、男がゆっくりと立ち上がる。
そして、拾い上げた鞘から長剣を抜こうと構えた。
「おっと、ハイゼル。剣を抜いたら出禁にするし、警邏官も呼ぶぜ。ブラックリストに載りたくなきゃあ、そこまでにするこったな」
「ぐッ……」
受付の男性の言葉に、ハイゼルが動きを止める。
「……いつか殺す!」
そして、肩を怒らせながら、仲間と共にギルドを後にした。
「チッ。もうすこし痛めつけてもよかったな」
少々強くなったところで、上には上かいる。
自分の力に耽溺し、自惚れてはならない。
それはわかっているのだが、子供を鞘で殴るような大人に手加減など必要ないだろう。
「それにしても、随分と情けない捨て台詞であったな。〈いつか殺す〉などと」
「ああ。最初から最後まで一貫してダサかった。ある意味才能だな」
「うむ」
プルが少女を優しく助け起こす。
「だ、だいじょぶ……?」
「大丈夫、でし……」
「で、でし?」
「しみません、イナカモノなので。ナマリが強くて」
少女がぺこりと頭を下げる。
「あちし、部屋に戻りまし。ありがと、ございまし……」
見るからに肩を落とした少女が、カウンターの裏にある細い階段を上がっていく。
その様子を見て、受付の男性が溜め息をついた。
「今回も駄目だったか……」
ヘレジナが問う。
「あの少女は?」
「冒険者だ。今は俺が面倒見てる」
男性が肩をすくめる。
「所属してたパーティが、あいつ残して全滅しちまってな。金もねェってんで、強そうな奴らに頼んで一緒に連れてってもらってんだが──」
そこまで言って、男性が指を鳴らした。
「そうだ。あんたら、あいつと組んでやってくんねェか! あんたらくらいの実力があれば、今回みてェなことにはならんだろ」
「断る」
ヘレジナが即答した。
「私たちは私たちのことで手一杯なのだ。申し訳ないが、人の面倒を見ている余裕はない」
「そこをなんとか! オイシイ仕事は優先的に回すからよ!」
「うっ」
甘い言葉にヘレジナの動きが止まる。
「斡旋料の歩合も赤字覚悟にしてやっから、な!」
「だが、報酬の分配となると、単純に頭数で割って二割五分だ。斡旋料を割引した程度で元が取れるものか? まさか、上前を誤魔化してはいないだろうな」
「誰が誤魔化すか! ギルド連盟の規定通りだよ!」
ヘレジナと男性が言い合っているのを横目に、プルが俺の顔を見上げた。
「……、その」
プルの言いたいことは、なんとなくわかる。
仲間にしてあげたいのだ。
俺としては、プルの意向を汲んであげたい。
しかし、一時的なものとは言え、あの少女を俺たちの事情に巻き込むことにはなるだろう。
難しい問題だった。
そのとき、
【少女を仲間にする】
【少女を仲間にしない】
「──……え?」
視界に二つの選択肢がよぎった。
選択肢には色分けがされておらず、[羅針盤]のように未来を表すものではない。
だが、二つの選択肢からは、不思議と確信めいたものが伝わってくる。
あの少女は、誘えば仲間になるだろうし、誘わなければ加わらないだろう。
どちらを選んでも、選択肢通りの未来を引き込むことになる。
いずれにしても──
「──…………」
「……わかった、わかった」
プルの潤んだ瞳を見て降参する俺だった。
「ベイアナットを出るまでって条件付きでいいか?」
「おい、カタナ……」
「わ、わわ、わたしも賛成でっす! う、運命の輪は、隣人が回す、……から」
「──……ふう」
大きく天井を振り仰いだあと、ヘレジナが渋々頷いた。
「わかりました。しばし、あの少女を預かることにいたしましょう」
「ありがてェ!」
受付の男性が、たったいま二階へと上がっていったばかりの少女の名を叫ぶ。
「──ヤーエルヘル! ヤーエルヘル! 下りてこい!」
「ひゃい!」
上着を脱ぎかけた少女が、階段を慌てて駆け下りてくる。
「ウガルデさん。酒場のお仕事、早番でしたか……?」
「次の仲間が決まった。この人たちだ」
「──…………」
ヤーエルヘルと呼ばれた少女が、暗い顔をする。
「この俺が保証する。剣術に治癒術、偽りなしの本物の奇跡級だ。この人たちについて行きゃあ、路銀くらいはすぐに稼げるはずだぜ」
「……いいでし。きっとまた、迷惑をかけてしまいまし……」
「ここは酒場以前にギルドだ。やる気がねェなら、おん出すぞ」
「ひ」
ヤーエルヘルが息を呑み、観念したかのように肩を落とした。
「行きまし、行きましよう……」
「よろしい」
俺たちに向かい、ヤーエルヘルが深々と頭を下げる。
「ヤーエルヘル=ヤガタニでし。短いあいだと思いましが、よろしくお願いしまし……」
後ろ向きなのが少々気に掛かるが、礼儀正しい子ではある。
「鵜堂 形無だ」
「ぷ、ぷぷ、プル……でっす」
「──…………」
「へ、ヘレジナ……?」
「……ヘレジナ=エーデルマンだ。よろしくお願いする」
やはり、納得しきれてはいないようだ。
「仕事の前に実力を見たい。郊外に家を借りているから、人に迷惑が掛からないよう、そのあたりで確認させてもらおう。少々手狭だが、路銀を稼ぐまでの仮の宿はそこで構わないか」
「はい」
ヤーエルヘルが頷き、きびすを返す。
「では、荷物を取ってきまし」
「急がなくていいからな」
「はい!」
ほんの数分ほどで荷物をまとめて戻ってきたヤーエルヘルに、受付の男性──ウガルデが声を掛ける。
「頑張れよ、ヤーエルヘル。駄目だったらまた来い。あの部屋はいつでも空けておくから」
ヤーエルヘルが、瞳を潤ませる。
「……ウガルデさん。いつも、ありがとうございまし……」
この二人の間柄は、よくわからない。
だが、ウガルデがヤーエルヘルの身を案じていることは容易に見て取れた。
「マスター。明日、また来る。私たちに相応しい仕事を見繕っておいてくれ」
「ああ、わかった。ついでにパーティ名も考えてこいよ」
「パーティ名、ねえ」
俺、ゲームとかだと、だいたいデフォルトネームのまま進めちまうんだよな。
「それって、絶対に必要なもんなのか?」
「名前がなけりゃあ、なんて呼ぶんだ」
一理も二理もある理由だった。
「しゃーない。明日までに考えておく」
「ど、ど、どうしよ、……っか」
「そら、名前負けしない程度にカッコいいのがいいだろ」
「ふふん。よくわかっているな、カタナ。このパーティ名如何で仕事へのモチベーションが五割は変動するであろう」
「増えるのはいいけど減らすなよ」
「こういったものにはハッタリが必要だ。できる限り大仰に、相手を威圧するような、ハイセンスな名前にすべきだろう。楽しくなってきたぞ!」
ヘレジナが大興奮している。
「や、ヤーエル……ヘル、は?」
ヤーエルヘルが目を伏せる。
「そんな。あちしが意見を出すなんて、烏滸がましいでし……」
「──…………」
──パン!
「わぶ!」
ヘレジナが、ヤーエルヘルの頬を、両手で勢いよく挟み込んだ。
痛くはないが、驚きはするだろう。
「お前は仲間なのだろう。であれば、私たちは対等であるべきだ。意見が必要な場では、しっかりと意見を出せ。それができねば追い出すぞ」
「はひ……!」
ヤーエルヘルが、目を白黒とさせている。
ヘレジナの言いたいことが伝わっていればいいんだけどな。
いずれにせよ、パーティ名を決める会議は楽しそうだ。
そんなことを考えながら、俺たちはギルドを後にした。
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