2/ハノンソル -11 神託

 ──ハノンソル・ホテル十三階、息吹の間。

 この世界にスイートルームという単語が存在するかはわからないが、少なくとも、それに類する部屋であることは確かだった。

 無駄に四部屋もあるベッドルームのうち、最も広い一室を占拠したナクルの寝息が、リビングにいる俺たちにまで届いている。

「──…………」

「──……」

 プルと二人、ハノンソルの夜景を眺める。

 プルの白髪はまだ乾ききっておらず、しっとりとまとまっていた。

 無言だが、気まずくはない。

 そんな心地の良い時間に言葉を差し挟んだのは、プルのほうだった。

「……その。かたな?」

「ああ」

「かたなには、……その。な、何が見えてるの……?」

 当然だろう。

 プルほどの洞察力があれば、あの奇跡の大勝を不自然と感じないほうが、それこそ不自然だ。

 ニアバベルであるメルダヌアがわざわざ出張ってきたのも、イカサマを疑ってのことに違いない。

 イカサマにはイカサマを。

 対抗策としては妥当だが、不本意にもこちらのほうが上手ではあった。

「……べつに、隠してたわけでもないんだがな。言う機会がとんとなかった。悪い」

「あ、その。えっと、……うん」

 軽く思案し、言葉をまとめる。

「──俺には、時折、選択肢が見えることがあってな。この世界に来てからのことだ。さっきの勝負であれば、ニーゼロを選ぶか、イチイチを選ぶか、ゼロニーを選ぶか、三つの選択肢が要所で表示されていた」

「せんたくし……」

「選択肢は色分けされていて、その選択をした場合の未来が大まかにわかるようになってる。青は好転、白は現状維持、黄色は注意で赤は危険──ってな具合にな」

「す、すごい……ね?」

「ああ、すごい」

 この能力は、すごい。

 俺自身はちっともすごくないけれど。

「……か、かたなは、エル=タナエルの寵愛を受け、て、るんだね……」

「運命の女神、エル=タナエルか」

 窓の外を見上げれば、今も俺たちのことを見守っている。

「う、うん。銀輪教の主神……。こ、この世界を、お創りになったの」

 不意に、プルが目を伏せる。

「で、でも、わたしはダメみたい。皇巫女なのに、……エル=タナエルに嫌われちゃった」

「……どういうことだ?」

「──…………」

 そっと立ち上がり、プルが窓ガラスに手を触れる。

「神託は、ある日突然に下る、……の。エル=タナエルが、わ、わたしの体を操って、どうにかして言葉を残す。そのあいだ、わたしに記憶はなくて。だ、だから、ひとがいればそのひとに伝えるし、誰もいなければ書き残す……みたい。あんまり覚えてないけど……」

 プルが、窓ガラスに吐息を吹き掛けて、曇った場所に絵を描く。

 たぶん、犬かクマだろう。

 外れそうなので、あえて指摘はしない。

「か、かたな、覚えてるかな。わたしに下賜された神託の一つに、ぜ、前皇帝の崩御があった──って」

「ああ。ヘレジナが言ってたな」

「──…………」

 夜景に背を向け、こちらを振り返る。

 逆光になったプルの表情は、よく読み取れなかった。

「パレ・ハラドナの前皇帝、は……。わたしのお爺さま、だったの」

「……それは」

 さすがに言葉に詰まる。

 なんと答えればプルを慰められるのか、見当もつかなかった。

 もっと、もっと、口が上手ければよかった。

 皇巫女の神託は決して外れない。

 避け得ない死の宣告を祖父に下さなければならなかったプルを、それでも笑顔にできたかもしれないのに。

 選択肢能力を得たことで、余計に際立ってしまった。

 俺は無力だ。

「……わたし、お爺さまが好きだった。お城の中は、……その。ぎすぎすしてて、居心地が悪くて。で、でも、お爺さまといるときだけは、そんなことちっとも気にならなかった。だから、神託が下ったとき、決めたんだ」

 プルの意志が、その言葉に宿っていた。

「未来を覆そう、って」

 確定した未来を覆す。

 可能、不可能は、もはや無関係だ。

 自らに与えられた神託をすら覆そうとしたプルのことを、俺は尊敬する。

「こ、子供なりに頑張った、の。いろんなこと、した。死因はわからなかったから、お爺さまを危険から遠ざけた。暗殺が怖いから、なるべく部屋で過ごした。ど、毒殺も怖かったから、わたしが毒味をした」

「──…………」

「お爺さまは、自分の死をとうに受け入れてたけど……。でも、わたしのわがままに、ずっと付き合ってくれたんだ」

 しかし、結末は決まっている。

「……神託で決められた日、お爺さまは倒れた。心臓の発作だったって、あとから聞いた。病気知らずだったのに。だから、思った。思ってしまったの……」

 射し込んだ光が、プルの表情を横から照らす。

 それは、自嘲の笑みだった。

「わたしが神託なんて授からなければ、お爺さまは死ななくて済んだんじゃないか──って」

「──…………」

 言葉が出なかった。

「……きっと、ね。わたし、エル=タナエルに愛想をつかされてしまったんだあ。それから三年間、神託は、一度も下らなかった。そのせいでパレ・ハラドナの権威は失墜し始めてる。神託を授かれない皇巫女に、価値はないもんね……」

「……そうか」

「三年ぶりの神託を、外れましたの一言で片付けるわけにはいかない。絶対に的中するってわかってても、手をこまねいてはいられない。頼ってばかりで、ごめん。何も返せなくて、ごめんね。わたしにできることなら、なんだってする。だから──」

 プルが、眼前まで近付き、俺の顔を間近で見つめた。

「かたな。地竜窟まで、わたしたちを導いてほしい」

 普段の吃音は、いつの間にか鳴りを潜めていた。

 そこにいたのは、ポンコツなアホの子ではない。

 パレ・ハラドナの皇巫女、その人だった。

「──…………」

 立ち上がり、プルの頭に手を置く。

「プルは、嫌われてなんかないさ」

「……?」

「神さまの世界のことはわからんが、どんなシステムだって不具合を起こす。だから、多くの場合、不具合が起きた場合の対策が講じられている」

「え、と……」

「その対策が、恐らく俺なんだろうさ。神託を下賜するシステムがエラーを吐いてるから、半端に未来がわかる俺が現れた。それは、プルの力になるためだ。そうでなきゃ、あんな場所にいきなり現れたりはしないだろ」

「な、慰めてくれてる、……の?」

「……下手で悪かったな」

「……ふへ、へ」

 プルが、頭に乗せられた俺の手を取りながら、そっと目を細めた。

「そろそろ寝るか。ほら、空が白み始めてる。ルインラインたちがいつ来るかもわからないしな」

「う、うん……」

 プルが、自分の寝室へと向かう。

 そして、一瞬だけ振り返った。

「おやすみ、かたな」

「ああ、おやすみ。プル」

 俺もまた、自分で決めた寝室で床に就く。

 あまりに疲れ切っていたせいか、夢は見なかった。

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