2/ハノンソル -10 ハノンソル・カジノの長い夜(3/3)

「──…………」

 もし、メルダヌアが〈魔術〉ではなく、ただの〈技術〉によって出目の操作を行っているとすれば?

 俺は、ジングル・ジャングルに必勝法はないと考えていた。

 だが、出目の操作さえ可能であれば、ディーラーにとって必勝に近い戦法は存在する。

 客の不安を煽りながら、同じ出目を繰り返し出し続ければいいだけだ。

 卑怯とは言うまい。

 俺のほうが、二枚も三枚も上手の卑怯者だ。

「いずれにしても、次が最後の勝負になりますかねえ……」

「そうだな」

 テーブルに積まれたチップの総額は、百二十六万シーグル。

「端数くらいは取り置いた方がいいと思いますよお? 百万あれば、イチイチで勝ったとしても、目標の二百万シーグルには届くんですしい……」

 だが、即答する。

「全額だ」

 俺は、メルダヌアを信用していない。

 二百万シーグルというのは、あくまで、メルダヌアが独断で決めた金額に過ぎない。

 最初から稼がせる気もない相手と、誠意ある約束を交わすだろうか。

 であれば、完膚なきまでに叩き潰し、自ら負けを認めさせる以外に道はない。

「──…………」

 メルダヌアが目を細める。

「……残念です。気持ちよく帰っていただきたかったのですが」

 金貨を入れたカップをテーブルに伏せる。

 だが、俺は見逃さなかった。

 カップを伏せた直後、ほんの一瞬だけ──素早くカップを左右に動かすところを。

 それが何を意味するか、それはまだわからない。

 だが、警戒すべきだと思った。

「メルダヌア」

「はい」

「カップから手を離してくれ。俺が開ける」

「……ええ、構いませんよ」

 メルダヌアが、カップから手を離す。

「さあ、コールを──」

「待った」

 メルダヌアの言葉を、ナクルが遮った。

「……なあ、メルダヌアの姉ちゃん」

「なんでしょうか」

「あんた、どうして自信満々でいられる? 自分が負けるだなんて、今、これっぽっちも考えてないだろ」

「──…………」

「言葉と態度が繋がらねえ。凄腕の博徒との勝負で、緊張してるんじゃなかったのかよ。ひとつ前の勝負では動揺して、最後の大一番では心の底で笑ってる。ちょいと道理が通らねえな」

「やだなあ。わたくしもひとりの博打打ちですから、いよいよ覚悟を決めただけ。お客さまとの勝負を楽しんでるだけですよお」

「違うね」

 ナクルが断言する。

「オレは餓鬼だが、一端の経験は積んでる。人の顔色窺わなきゃ生きてこれなかったから、わかんだよ。あんた、乳はでけえが、目が濁ってる。賭け事を純粋に楽しんでるって目じゃねえな。もしかすると、あんた、賭け事が好きなんじゃなくて──」

 口角を吊り上げながら、ナクルが言った。

「人の裏かいて勝つのが好きってだけじゃねえか?」

「……知った口を聞きますねえ」

 裏をかく。

 カップから手を離した以上、メルダヌアにこれ以上の介入の余地はない。

 出目の操作は既に終わっていると考えるべきだ。

 ニーゼロ。

 イチイチ。

 ゼロニー。

 俺がどれを選んだって不思議じゃない。

 どの出目に調整したとしても、必勝はない──はずだ。

 だが、ナクルの洞察が正しければ、メルダヌアは既に勝利を確信している。

 どうすれば、俺の裏をかける?

 どうすれば、勝利を確信できる?

 メルダヌアは何をした?

 もしかして──

 そこまで考えたところで、世界が無色に染まった。



【黄】ニーゼロを選択する


【黄】イチイチを選択する


【黄】ゼロニーを選択する


【青】いずれも選択しない



 ああ、そうか。

 そういうことか。

「──メルダヌア。一つ確認したい」

「なんでしょう?」

「なに、大した話じゃない。ただの好奇心だ。なにせ、滅多にないことだろうからな」

「焦らしますねえ」

 椅子から腰を上げ、中指の先でカップの底に触れる。

「コインが立っていた場合、配当はどうなる?」

「ッ!」

 メルダヌアが、目を見張る。

「……随分と、おかしなことを気になさるんですねえ」

「確率がゼロでない以上、起こり得る。なら、ルールで規定されているはずだ。違うか?」

 引き攣った笑顔を浮かべながら、メルダヌアが答える。

「……その場合でも、没収試合にはなりません。立ったコインは、表にも裏にもカウントされず、ないものとして扱われます。僅かな可能性に賭けて、イチゼロやゼロイチでコールするお客さまも時折おられます。当てたところを見たことはありませんが」

「配当は?」

「十倍となっております」

「なるほど。でも、まだ説明してないことがあるな」

「……?」

「ゼロゼロ──つまり、両方立っていた場合の配当は?」

 俺の言葉を聞いた瞬間、

「──……あ、は」

 笑い声にも似た呼気を漏らしながら、メルダヌアが半歩後ろによろめいた。

「そのまま全員動くな。テーブルにも触れるな」

「──…………」

「それで、何倍だ?」

「……は、ぐゥ」

「何倍だ?」

「──…………」

「耳クソでも詰まってんのか。答えろ。何倍だ?」

「……百、倍──です」

「百二十六万シーグルの百倍なら、一億二千六百万シーグルになるな。ここまで来るとピンと来ない数字だ。でもよ」

 にやり、と。

 露悪的に笑ってみせる。

「──潰れるんじゃねえかな、このカジノ」

「あ──」

 メルダヌアの顔は青ざめ、額には脂汗が浮かんでいる。

「随分動揺してるな。まだ負けると決まったわけでもないのに」

「──はッ、はあッ……、はあッ……」

 メルダヌアの呼吸が、目に見えて荒くなる。

「では、コールだ」

 すこしだけ溜めて、告げた。


「ゼロゼロ」


「──…………」

 ふらり。

 その場に座り込んだメルダヌアが、呆けたように天を仰いだ。

「メルダヌアさま!」

 護衛の一人が駆け出そうとする。

「──動くな! 勝負の最中だ!」

「く……!」

 俺の言葉に、護衛が足を止める。

 フロアに緊張が走るのがわかった。

「立てよ、メルダヌア。そこからじゃ結果が見えないだろ。勝負はまだ、決まったわけじゃあない」

「……ぬけぬけと」

 メルダヌアが、ゆらりと立ち上がる。

「あんた、何者です。何が目的だ……」

「最初に言ったはずだ。ケレスケレス=ニアバベルに会いに来た」

 鋭い眼光が俺を射抜く。

「お前、随分と自分のテクニックに自信があるみたいだな。カップの中身がゼロゼロだと確信してる。血の滲むような練習の果てにしか習得し得ない、〈技術〉だ」

「──…………」

 メルダヌアは何も言わない。

 さあ、チキンレースはここまでとしよう。

 今から必要になるのは、恫喝でも、脅迫でもない。

 交渉術だ。

「──とは言え、俺たちも馬鹿じゃあない。一億シーグルを素直に支払うか。それとも、身元のわからない死体を三人分処理するか。どちらが簡単かは言うまでもないだろ」

「……ふん」

「だから、よく覚えておけ」

 目を見開き、メルダヌアを視線で射抜く。

「これは」

 カップの底から中指を離す。

「一億シーグルぶんの、貸しだ」


 ──ダン!


 俺は、両の手のひらを、カジノテーブルに思いきり叩きつけた。

「な……ッ!?」

「答え合わせをしよう」

 伏せていたカップを開く。

 表が一枚。

 裏が一枚。

「残念、イチイチだ。全部スっちまったな」

 プルに笑いかける。

「……ふ、ふぎゃ……」

 見れば、へなへなと膝から崩れ落ちるところだった。

 少々脅かしすぎたか。

「──……ハハ」

 メルダヌアが、乱れていた前髪を掻き上げる。

 その表情は男性的で、先程までの態度が作り物であったことがわかる。

「参ったね、どうも。一億シーグルの借り作っちまった。この体を差し出したって到底足りやしない」

 それはそれで嬉しいが、プルの教育に悪いので自重する。

「オレにおこぼれをくれてもいいんだぜ」

 この状況でそんなことを言えるナクルは大物だ。

「アンタもなかなかの目を持ってるね。気に入ったよ」

「よし、おっぱい揉ませてくれ」

「あとでね」

「マジか……!」

 ナクルが目を輝かせる。

「冗談だよ。五年経ったらおいでなさい」

「そのころにゃあ、とっくに垂れてんだろ! 今揉ませろ!」

「失礼なエロ坊主だね。アタシは永遠の二十代だ。五年後だってピチピチさ」

「さっきっから、なーんか言動がオバサンくせえんだよなあ……」

 メルダヌアが、懐から煙管を取り出し、魔術で火をつける。

「──それで、ケレスケレス=ニアバベルに会いたいんだったか」

「ああ」

 紫煙を吐き出しながら、メルダヌアが言った。

「残念だけど──〈ケレスケレス=ニアバベル〉なんて人間は、この世に存在しない」

「……存在しない?」

「ンなわけねーだろ! あの方が実在しねえなら、ソルは誰が治めてるってんだ!」

「そう逸るな、エロ坊主。ちゃあんとからくりがあるんだよ」

「か、からくり……」

「さて、改めて自己紹介でもしようかね」

 姿勢を正したメルダヌアが、気取った風に口を開いた。

「アタシの名は、メルダヌア=アンフォルド=ニアバベル。七番目のニアバベルだ」

 プルと顔を見合わせる。

「七番目の──」

「に、にあばべる、さん」

「さっきも言ったが、ケレスケレス=ニアバベルなんて人間は存在しない。〈ケレスケレス〉とは、ロンド古語で〈十一〉を意味する。ハノンソルは、十一人のニアバベルによる合議制、共同統治なのさ」

 なるほど。

 道理で、顔や性別すら判然としないはずだ。

「全員血縁者なのか?」

「血縁の者もいるが、基本的には関係ない。ニアバベルの襲名は指名制だ。アタシは、前任の〈七番目〉から、ニアバベルの名を奪い取った」

「指名制じゃなかったのかよ」

「アンタと同じさ。ギャンブルだよ」

 メルダヌアが、くつくつと笑う。

「と言っても、〈七番目〉の立場を直接賭けたわけじゃないけどね。自分の能力をギャンブルで証明してみせただけさ」

 ナクルが腕を組み、感心したように言う。

「ジングル・ジャングルみたいなゲームで出目の操作ができるなんてな。抗魔術式の時点で不可能だって思い込んじまった」

「一見、できないと思われることこそ、する意味があるんだよ」

「ほんと、裏をかくのが好きな姉ちゃんだな」

「アタシは真面目で堅実だからねえ」

「どの口が言うんだ……」

 呆れたように溜め息を吐き、ナクルが肩をすくめる。

「あ、あのう……」

 たまりかねたように、プルが口を開いた。

「る、ルインラインを呼び出すこと、で、できますか……?」

「ケレスケレス=ニアバベルの意思決定は、合議と多数決だ。アタシを除いて五人の承諾を得れば事足りる。ハノンソル・ホテルの一室を空けるから、そこで一眠りしておいで。起きるころには間に合うように手配するからさ」

 カジノテーブルに煙管を置いたメルダヌアが、右手の甲をこちらへ向け、一礼する。

「──〈七番目〉の誇りにかけて」

 俺にできるのは、ここまでだ。

 慣れないことをしたからか、気力がごっそり削れてしまった。

 椅子にどっかと腰を下ろすと、メルダヌアが俺に尋ねた。

「時に、お客さま。あなたの名前をお聞かせ願いたい」

「ナクル」

「エロ坊主はエロ坊主で覚えとくけど、今はこっちのお兄さんだ」

「へいへい」

 細く、長く息を吐き、答える。

「……鵜堂 形無だ。鵜堂が苗字で、形無が名前」

「カタナ、か」

 メルダヌアが、カジノテーブルに上半身を乗り出した。

「ねえ、カタナ。アンタ、ハノンソルでアタシと一緒に暮らさないかい?」

「──ぶッ! ごっほ、ゴホ!」

 あまりに唐突な提案に、思わずむせてしまった。

「自分で言うのもなんだけどお、わたくしはいい物件ですよお? 実質、このハノンソルの支配者にもなれますしい。それに、一億シーグルの借り、まだまだ返せそうにありませんしね?」

「……あー」

 心惹かれる提案ではある。

 メルダヌアは正直好みだし、永住こそしなくとも、一週間はハノンに逗留する予定なのだ。

 だが、

「──……ふへ、……へ、へ……」

 プルが虚空に視線を彷徨わせながら、乾いた笑い声を漏らしている。

 この子の前では、さすがにな。

「魅力的な申し出だが、やめておく」

「!」

 プルが目をまるくし、俺と目を合わせた。

「そ、その! わたしに気を、遣わ、……なくても……」

「いいんだよ」

 俺は、プルの頭に手を乗せ、優しく撫でた。

「……なんか生々しいじゃん」

「そ、それは、そう……」

「ははっ、振られちまったねえ」

 メルダヌアの誘いに乗らなかった本当の理由は他にある。

 一連の勝負はすべて、俺の実力ではない。

 俺は、ただ、青枠の選択肢を機械的に選び続けただけだ。

 メルダヌアが認めた価値は、俺自身には、ない。

「それじゃあ、アタシは行くとしよう。エルトリ、ハザマ、この方たちに最上級の客室を」

「了解致しました」

 護衛に案内を言いつけて、メルダヌアがフロアを後にする。

「──…………」

 椅子に腰掛けたまま、天井を仰ぎ見る。

 疲れた。

 精神的には、流転の森と影の魔獣の時よりも上だ。

 カジノチップを片付ける護衛二人の姿を見ながら、俺はそっと目蓋を下ろした。

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