1/流転の森 -3 流転の森

 ──ぱち、ぱち。

 魔法で着火された薪の爆ぜる音が、泉のほとりを賑わせる。

 焚き火の傍でスーツの上着を乾かしながら、俺は切り出した。

鵜堂うどう 形無かたな。鵜堂が苗字で形無が名前だ。好きに呼んでくれ」

「姓と名の順序が逆とは珍しいな。東部にそういった国があると習った気もするが、思い出せん」

「東部ね……」

 彼女たちの言う〈東部〉が、極東である日本を言い表しているとは思えなかった。

「ともあれ、名乗られたからには名乗り返すのが礼儀だ。私の名はヘレジナ=エーデルマン。プルさまの従者である」

「ヘレジナ、か」

「敬称をつけろ、カタナ。失敬な男だ」

「俺、年上。お前、年下。ワカル?」

 ヘレジナの年齢は、高く見積もっても高校生。

 外見だけで言うのなら、プルより下でもおかしくはない。

 対して俺は、次の誕生日で三十路になるアラサー男だ。

「ふん。年齢で身分が変わるものか」

「それは同意だな」

「犯罪者スレスレのお前と違い、私は皇都の──」

「ヘレジナ!」

「っ」

 ヘレジナが、ハッとした表情を浮かべる。

「……今のは忘れろ。死にたくなければな」

「勝手に聞かせて勝手に殺すな。理不尽が服着て歩いてんのかよ」

「うぐ」

 言葉に詰まったヘレジナに代わり、プルが自分の胸元に右手を置く。

「わたしは、プル……でっす。ふへ、へ」

 先刻までの勢いはどこへやら。

 プルは、俺から不自然に目を逸らし、乾いた笑いを浮かべている。

「ヘレジナ。お前の主人、なんか変だぞ」

「へん!」

「変ではない。プルさまは、……その。たいへん奥ゆかしいがゆえ、初対面の相手を萎縮させてはならぬと目を合わせておらんのだ」

「人見知りかよ」

「ハッキリ言うでない!」

「……ふへ、へへへ……」

 プルの視線がどんどん下がっていく。

 落ち込んでいるらしい。

「べつにいいだろ、人見知りでも。誰彼構わず笑顔で取り入って、腹の底では何考えてるかわからない。そんなやつより万倍マシだ」

 そう、仕事中の俺のように。

「──…………」

 プルが顔を上げる。

 意外そうな表情だった。

「なんだよ」

「え、と……」

 逡巡ののち、また目を逸らす。

「……なんでもない、でっす」

「そっか」

 ひとまず自己紹介は終わった。

 ここからだ。

「──妙なことを聞くんだけどさ」

「ああ」

「ここ、どこだ?」

「?」

 プルが小首をかしげる。

「何をたわけたことを言っている」

「たわけたことを言ってる自覚は、まあ、あるんだが……」

 わからないものはわからないのだから仕方がない。

「ここは流転の森だ。誤って足を踏み入れたとて、それだけ聞けば十分だろう?」

「流転の森ね……」

 埒が明かなかった。

 現状、失って困るほどの信用もない。

 引かれる覚悟をしてでも正直にすべてを伝えるべきだろう。

「……もっとたわけたことを言うが、いいか?」

「駄目だ」

「頼む」

「……つまらん話だったら容赦せんぞ」

 俺は、真剣な表情を作り、二人の顔を順々に見た。

「──俺、さ」

「ああ」

「実は、さっき、一度死んだんだよ。少なくとも死にかけた。んで、気が付いたらここにいた。ここ、死後の世界とかじゃないよな」

「──…………」

「──……」

 ヘレジナとプルが、互いに顔を見合わせた。

「なーにを馬鹿なことを。ここが死者の世であるなどと、罰当たりにも程がある!」

 怒りと言うより失礼を叱る態度で、ヘレジナが続ける。

「運命の女神エル=タナエルがお創りになられたのは、唯一この世界のみだ。人は、死ねば、銀の輪が回るように転生し、赤子としてこの世に産まれ直す。死者の世など存在せん。敬虔な信徒のみがエル=タナエルの御許へ行くことを許されるのだ。銀輪教の信徒であれば、そんなことは三歳の幼子でも知っているぞ」

「知らん知らん。たぶん、ここは俺のいた世界じゃない。俺の世界にゃ魔法なんざ存在しなかったからな」

 俺の言葉を聞き、ヘレジナがしてやったりという顔をする。

「ふふん、ボロが出たな。魔術がなければ火すら起こせまい。料理のたびに木を擦り合わせるのか?」

「……あー」

 常識が、かなり根深いところから異なっている。

 魔法を前提として発展した世界と、魔法に頼ることなく発展した世界。

 価値観が食い違うのは当然と言えた。

「……もしか、して」

 プルが口を開く。

「技術、が、すごかったん、ですか……?」

「ああ、火を起こす道具があった。マッチにライター、ガスコンロ。日常生活で火に困ることはまずなかったな」

 多少、感心する。

「しっかし、よくわかったな。これだけの情報で」

「……か、かたなの服、見たことない生地。つくりもしっかり丈夫で、ふしぎなデザイン。き、貴族だって、そんなの着てない。もっと上のひとならあり得るけど、そんなひと、こんなとこいない、……でっす」

「──…………」

 たしかに、このスーツはかなりの上物だ。

 営業にはハッタリが必要だと、一揃い三十万で自腹で買わされたものだ。

 アホな子とばかり思っていたが、プルの観察眼は確からしい。

 好都合だ。

 一つ、ここで畳み掛けて、俺が別の世界から来たことを信じさせてやろう。

 俺は、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、二人に見せた。

「こいつが、俺たちの世界の技術力を示す証拠だ」

「……?」

「先程見つけた板きれではないか。綺麗なものとは思うが」

 興味津々と言った様子で、二人がスマホの画面を覗き込む。

 サイドボタンを押すと、味も素っ気もないデフォルトのままのロック画面が表示された。

「!」

「……おお」

「わ、わ、絵だ」

「恐ろしく精巧な……」

「しかも動く」

 ポンポンと四桁のパスコードを入力すると、画面が切り替わり、アプリのアイコンが画面外から現れた。

「はー……」

 プルが溜め息を吐く。

「プル。ヘレジナ。二人とも、もうすこし近付いてくれるか」

「?」

「ああ」

 プルとヘレジナが、息がかかるほどこちらへ近付いてくる。

「違う違う!」

 パーソナルスペースを冒されて、不覚にもドキリとしてしまった。

「二人が互いに近付いてくれ。肩が触れるくらい」

「あ、は、はい」

「それならそうと言え」

 二人が肩を寄せ合うのを確認し、スマホのカメラで撮影する。

 カシャリと効果音が鳴った。

「わ、なんか鳴った」

「ほれ」

 たった今撮影した写真を二人に見せる。

「──…………」

「──……」

 二人とも、あんぐりと口を開けて、驚愕の表情を浮かべていた。

「こ、こ、これ、写真……」

「写真術とは比べものにならんぞ……」

 いちおう、この世界にも写真は存在しているらしい。

「信じてくれるか?」

「!」

 うんうんうん、と、プルが何度も頷く。

「……仕方あるまい。こんなものを見せられてしまってはな。魔術ではない、ただの道具か。神代の魔術具ですら、ここまでものはそうあるまい」

「しかも、機能としてはついでだからな。本来は電話だ」

「で、でんわって、なんですか?」

「遠くにいる相手と会話をする道具だよ。たとえ相手が地の果てにいても、電波が届く限り連絡が取れる」

「ッ!」

 ヘレジナが唐突に立ち上がり、俺の肩を掴んだ。

「そ、その道具を使わせてくれ! どうしても連絡を取りたい相手がいるのだ!」

「あー……」

 しまったな。

「悪い、無理だ。相手が同じ端末を持ってないと通話できないんだよ、これ」

「意味がないではないか!」

「実際、役立たずには違いなくてな。写真は撮れる。音楽も動画も流せる。でも、明日か明後日には電池が切れて、ただの高価な板きれになる運命だ」

「な、なんとかなるって、思ったんだけど……」

 プルとヘレジナが肩を落とす。

 ぬか喜びをさせてしまった。

 さすがに申し訳ないな。

「誰か、話したい相手がいたのか」

 ヘレジナがプルへと視線を送り、尋ねる。

「この男に事情を説明して構いませんか?」

「……うん」

 プルが頷く。

「う、運命の銀の輪は、あなたの隣人が回す。え、エル=タナエルの教えにも、あるから……」

「そうですね」

「こんなとこ、ほっといたら、死ぬし……」

 怖いこと言われた。

「カタナ。この流転の森から出るまでは同行してやる。だから、お前の世界の知識を供出しろ」

「ああ。願ったり叶ったりだ」

 察するに、この森はよほど危険な場所らしい。

 死んで生き返ってまたすぐに死ぬだなんて、間が抜け過ぎていて笑い話にもならない。

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