2/魔術大学校 -18 魔術研究科
ヘレジナが、研究棟の扉に埋め込まれた
すると、
広々としたホールに行き交う職員たちが、一瞬、こちらを見て固まった。
「?」
ヤーエルヘルが小首をかしげる。
「どうしたのでしょう……」
互いに顔を見合わせていると、白衣を着た研究員らしき一人の男性が、恐る恐るといった様子でこちらへと近付いてきた。
「えー……、と。君たちは全優科の生徒か」
「はい」
「何か用があって、ここへ?」
「ええ。すこし調べたいことがありまして」
見る間に人がいなくなる。
まるで、波が引くように。
「魔術研究科は関係者以外立入禁止だ。帰ったほうがいい」
聞いていた雰囲気と、まったく違う。
ここまで露骨に拒絶の意志を示されるとは思ってもみなかった。
妙だ。
「あの──」
ヤーエルヘルが前に出る。
「ナナイロ=ゼンネンブルク。この名前を聞いたことはありませんか?」
「ナナイロ……」
研究員が、片眉を上げる。
「ナナイロ=ゼンネンブルクって、あの?」
「ごぞんじでしか!」
ヤーエルヘルの表情が、ぱっと華やぐ。
「ああ、知っている。今から三十年ほど前、純粋魔術の研究を行って永久追放となった教授の名だろう」
「──……え」
一瞬、たしかに華やいだその表情が、みるみるうちに萎れていった。
「純粋、……魔術……?」
「用がそれだけなら、帰ってくれ。ここは君たちの来る場所ではない」
研究員は、それだけ言い残すと、二の句も継がせないとばかりにきびすを返した。
そして、ホールには、俺たちだけが残される。
「ナナ、さん……。そんな」
「ヤーエルヘル……」
ユラが、ヤーエルヘルを背後から抱き締める。
「……大丈夫。大丈夫だから」
サンストプラの人々にとって純粋魔術がどれほどの禁忌であるか、俺にはわからない。
だが、この反応を見るに、相当根の深い問題であると感じられた。
「そうか」
ヘレジナが、ヤーエルヘルの前に立つ。
「ヤーエルヘル。お前の師は、禁忌を犯した。そうだな」
「……は、い」
「ならば──」
慣れないウインクと共に、ヘレジナが言った。
「見つけて、とっちめてやらねばな。尻叩き百回だぞ。よいな!」
「ありがとう、ございまし。ヘレジナさん……」
そして、
ヤーエルヘルが俺を見上げた。
不安そうに。
救いを求めるように。
赦しを乞うように。
「──……あ」
イオタが、何かを言い掛けて、言葉を止める。
それを横目に、俺は口を開いた。
「純粋魔術がどれほど悪いことなのか、俺にはわからない。でも、ナナイロさんが悪い人でないことだけは、わかるよ」
ヤーエルヘルと視線の高さを合わせる。
「ヤーエルヘルは、ナナイロさんのこと、好きか?」
「……はい」
「なら、いい人だ。会うのが楽しみだな」
「──はいっ!」
微笑みを浮かべたヤーエルヘルの頭を、帽子の上からぽんと撫でる。
「追放されたってことは、ここには戻らないだろうな。手掛かり、なくなっちゃったか」
「三十年も前のことだし、研究成果も残ってないよね……」
ユラの言葉に追従する。
「たとえ残っていても、見せてはくれないだろうな。この様子だもの」
誰もいないホールを見渡す。
勝手に調べて回りたい衝動に駆られるが、それは人としてどうだろう。
「仕方があるまい。一度帰るとするか」
「そうしよう」
ヘレジナの言葉に頷き、きびすを返す。
「……?」
研究棟を出ようとしたとき、ふと違和感を覚えて振り返った。
イオタが立ち尽くしていた。
「どうした、イオタ」
はっとした表情を浮かべ、イオタがこちらへ駆け寄る。
「あ、いえ。あはは……。筋肉痛が」
どうしたのだろう。
「イオタ、お前──」
そう、言い掛けたときだった。
「──カナト=アイバ」
ホールの奥から、聞き覚えのある声が響いた。
「パドロ──」
「デイコス!」
イオタを背にかばい、ヘレジナと共に臨戦態勢に入る。
武器はないが、無力なわけでもない。
「本当に、本当に、本当に、忌々しい。こちらの考える最悪を悠々と越えて行きましたね。あなた方がネウロパニエに来るまでは想定の範囲内でした。それが、イオタ=シャンの護衛をしているだなんて。これだから関わり合いになりたくなかったんだ」
姿を現したパドロが、大きく溜め息をつく。
「そいつは申し訳なかったな」
「本当、反省してください。大きな力を持つということは、大きな影響力を持つことと同義だ。あなたが動くだけで、さまざまな事柄が狂っていく。良きにつけ悪しきにつけ、何かが大きく変わるのです」
「暗殺なんぞを止めて、何が悪い! 元より気に食わなかったのだ。不躾に現れて、ネウロパニエに来るな、などと。お前たちの都合など知るものか!」
ヘレジナの怒号に、パドロが肩をすくめる。
「ええ、ええ、そうでしょうとも。これでイオタ=シャンの暗殺は事実上不可能となった。カナト=アイバ。あなたがその少年を守る限り、我々の持つすべての手札を注ぎ込んだとしても目的は果たせない。依頼失敗、です」
「そうか」
パドロが、お手上げとばかりに両手を上げる。
「冬華寮と赤葉寮に潜ませていたデイコスは、引き上げさせましょう。あとは御自由に学園生活とやらをお楽しみください」
そう言って、パドロが俺たちに背を向ける。
「待て」
「何か?」
「どうして研究棟にいる」
「潜入していたからですよ、僕も。それもここまでですがね。さっさと荷物をまとめて帰ることにします」
「──…………」
違和感がある。
だが、それが何かわからない。
「何か、隠してないか?」
「何を?」
パドロが苦笑する。
「まあ、よくあることです。暗殺者などをやっていれば、常に含意を疑われる。心の底で何を考えているか、わからないと。言ってしまえば、今回は苛立ちですよ。仕事を遂行できなかった苛立ち。あなたたちへの苛立ち。そして、復讐すら成せない矮小な自分への苛立ち。僕たちの影を気にしながら、せいぜい無意味な護衛とやらを続けてください。では失礼」
そう吐き捨て、パドロは今度こそ研究棟の奥へと姿を消した。
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