1/ネウロパニエ -10 仔竜を抱いた少年

 おのぼりさん丸出しで周囲をきょろきょろと見渡しながら、フロントへと向かう。

「このホテルでいちばん高い部屋は、空いているか?」

 受付の女性が、不躾なヘレジナの言葉にも上品な笑顔を崩さずに答える。

「申し訳ございません。ただいま、最上階のアンパニエ・スイートは満室となっております」

「では、二番目でもいい」

 宿帳らしき立派な装丁の書物を操術で開きながら、受付の女性が言った。

「通常のスイートルームであれば御案内できます。如何なさいましょう」

「それで頼む」

「宿泊料金は先払いとなっておりますが、よろしいでしょうか」

「ああ、いくらだ?」

「一泊、九千六百シーグルとなっております」

「たッ……!」

 か、と言いそうになって、慌てて口をつぐむ。

 一泊で二百万円だぞ。

 ふざけんなって感じである。

「ふむ。では、七枚で足りるか。釣りはいらん」

 ヘレジナが、エルロンド金貨七枚をカウンターに乗せる。

 受付の女性は軽く面食らった様子だったが、それでもプロフェッショナルだ。

「──たしかに、承りました。後ほど案内の者が参りますので、ロビーでしばしおくつろぎください」

「ああ」

 ロビーへ取って返し、触り心地も座り心地も高い椅子へと腰掛ける。

「すごくお金がかかるんだね。びっくりしちゃった」

 ユラの言葉に同意する。

「うん。ニャサの宿は、四人で四十シーグルだったのにな……」

「高いのはわかるが、声には出すな。みっともないぞ」

「つい」

「コツコツ減らそうと思ってたのに、すぐなくなっちゃいそうでしね……」

「さすがに二泊も三泊もできんな。明日は普通の宿を探すとしよう」

「そうしよう。こんなとこで食事しても、味がわからないよ」

「カナト、王城では平気だったではないか。アンパニエ・ホテルがいくら高級と言っても、あの王宮には敵わんぞ」

「王城ではお金払ってないし……」

「そういう問題か?」

「小市民なんです」

「相変わらず、よくわからん男だ」

 ハノンソル・ホテルでもそうだったが、金額がわからなければ平気なのだ。

 いざ宿泊費を知ってしまうと、どうにも落ち着かない。

 だって、二百万円だぞ。

 慎ましやかに一年暮らせる金額だぞ。

 しかし、周囲の身なりの良い人々は、そんなことを気にする様子もなく談笑している。

 これが金持ちというやつか。

 感心と妬みの妬み寄りの感情を煮立たせていると、

「──ぴぃ!」

 ふわりと視界を横切るものがあった。

 それは、猫ほどのサイズの小さな飛竜だった。

 飛竜は俺たちの周囲をぐるりと旋回すると、

「わ」

 ヤーエルヘルの帽子の上に、すぽりと着地した。

「な、なんでしか……!」

 状況がわからないのか、ヤーエルヘルが慌てている。

「あ、かわいい……」

「仔竜か。どうしてこんなところに」

「ヤーエルヘル、大丈夫? 爪とか立てられてないか?」

「だ、大丈夫でし……」

 仔竜は大人しく、ヤーエルヘルの頭上ですっかりくつろいでしまっている。

 どうしようかと思案していると、

「──す、すみま……、あうっ!」

 慌ててこちらへ駆け寄ってきた少年が、目の前で転倒した。

 仔竜がヤーエルヘルの頭を離れ、今度は少年の肩に乗る。

「えーと、大丈夫……?」

 少年に手を差し伸べる。

「あ、ありがとうござ、います……」

 俺の手を頼りに立ち上がった少年が、軽く膝を払った。

「す、すみません、うちのシィが……」

「シィって、この飛竜の仔かな」

「は、はい……」

「──…………」

「──……」

 親の仇とばかりに話が弾まなかった。

「……ほ、本当にすみませんでした。ぼく、行きますね」

 少年が、ぺこりと頭を下げる。

 だが、その肩を背後から掴む者がいた。

「──迷惑を掛けたのであれば、誠意のある謝罪をしなさい。適当に済ませるものではない」

 それは、壮年の男性だった。

 上品なひげを蓄え、髪も油でしっかりとまとめている。

「息子が申し訳ない。公共の場では離すなと、言い含めてあるのだが……」

 男性が、こちらに右手の甲を向けて一礼した。

「あ、いえ、大丈夫でし。お気になさらず!」

「そうか、ならばよかった」

「……も、申し訳、ありませんでした……」

「では、失礼を──」

 そのとき、腰に長剣を提げた数名の剣術士が、慌てて駆け寄ってきた。

「──ツィゴニア様! あれほど我々から離れないでくださいと!」

「あ、こら!」

 男性が、周囲を確認する。

「……私の名を、軽々に出すな」

「も、申し訳ございません」

「ツィゴニアって──」

 心当たりがあったのか、ユラが目をまるくする。

「ああ……」

 男性が、困ったように笑う。

「申し訳ない。秘密にしておいてもらえまいか」

「はい」

「では、今度こそ失礼する。行くぞ、イオタ」

「は、はい……。し、失礼します……」

 男性と、仔竜を抱いた少年、それから護衛らしき数名の剣術士が、その場を後にする。

 その背中を見送りながら、尋ねた。

「──ユラ、あの人知ってるの?」

「顔は知らなかったけど、名前くらいなら。ツィゴニア=シャン。このウージスパインの元老院議員で、元首に次いで発言力のある方だったと思う」

「え、そんなひとが!」

「なるほど。アンパニエ・スイートを借りているのは、あの親子かもしれんな」

「待った」

「どうした、カナト」

「──…………」

 口に出したあとで思案し、再び言葉を紡ぐ。

「──大きな仕事」

「あっ」

 気付いたのか、ユラが口元に手を当てた。

「デイコスの言ってた、大きな仕事。思い過ごしかもしれないけど、可能性はあるんじゃないか」

「ど、どうしましょう……」

 ヘレジナが眉をひそめる。

「気になるのは確かだが、現状、何もできまい。デイコスが狙っているのがツィゴニアであるという確証はないのだ。護衛はいるのだし、いたずらに注意しても不安を煽るだけだ」

 ユラが、俯く。

「それは、そうなんだけど……」

 難しい問題だ。

 話した時間は僅かだが、悪い人とも思えない。

 積極的に首を突っ込むつもりはないが、亡くなったと聞けば後悔するだろう。

 どうすべきか迷っていると、


《ツィゴニアに危険を伝える》


《ツィゴニアに危険を伝えない》


 あの選択肢が脳裏をよぎった。



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