1/ネウロパニエ -9 三十万都市
学園都市ネウロパニエ。
魔術大学校を擁するウージスパイン最東端の都市だ。
魔術大学校を中心として発展してきた経緯があり、人口はおよそ三十四万人。
その数は年々増え続けており、都市自体も歪な円形に膨れ上がりつつある。
新しくできた街区を抜け、ネウロパニエの中央区へと到着したのは、夕刻のことだった。
「はー……」
思わず感嘆の息を漏らす。
地上十階ほどのビルが林立し、その隙間を縫うように、石畳で舗装された道路が走っている。
幅広の騎竜車が数台はすれ違えるほどの道幅だから閉塞感こそないが、まるで中世から近代へとタイムスリップしたような気分だった。
「──すッ、ごーい! でし!」
「これは、また。圧倒される光景であるな……」
御者を代わってくれたヘレジナが、無数のビルを仰ぎ見た。
雨戸から顔を出したユラも、同様に感嘆の息を漏らす。
「ふわ……、ほんとすごいね。こんなに縦に長い街、初めて」
上品な灯術の明かりが街を満たし始めている。
道行く人々が次々と街灯に明かりを灯していく光景は、すこし宗教的にも感じられた。
騎竜車を預かり所に託し、最低限の荷物と貴重品だけを持って街へと繰り出す。
ネウロパニエは人の往来も多い。
日本とは異なり十分な道幅があるため、人とぶつかりそうになることはないが、三十万都市の威圧感はたしかに感じられた。
「……なんか、久し振りだな。こういう感じ」
ユラが尋ねる。
「日本って、ネウロパニエに似ているの?」
「そういうわけでもないかな。でも、こうして人がごった返してる場所は、けっこうあったから。道幅はこの半分以下だけど」
「いや、ぶつかるではないか」
ヘレジナが至極真っ当な突っ込みを入れた。
「それが、ぶつからないんだな。何故でしょう」
「なぞなぞでしか?」
「当ててみる?」
「当てまし!」
三人が、しばし思案する。
「──あ、わかった!」
「はいユラさん」
「歩道が一方通行なんじゃないかな」
「お、鋭い」
「ふふ」
「でも不正解」
「えー!」
「鋭いのは本当だよ。車道はそうだから。馬車や騎竜車ではなくて、人間の運転する機械の車だけどね」
「ほう、そんなものがあるのだな」
「人は、狭い歩道を行き交う。前からも、後ろからも、時折は左右からも人が次々現れる。それでも、ほとんどの人はぶつからない」
「……歩道は狭いけど、人は小さい、とかでしか?」
「俺、そんなに小さいつもりはないけど……」
「でしね!」
幾つも回答は出るが、正解はない。
「──駄目だ。降参だ。カナト、答えを教えてくれ」
「すごく単純で、すごく脳筋な答えだよ。都会に住む日本人のほぼ全員が、無意識に人とぶつからない身のこなしを習得してるだけ」
「そんなのありでしか!」
「アリなんだなあ」
「ほう、なかなか見所のある国民であるな」
「でも、すごいね。想像するだけでもぶつかってしまいそうなのに」
「日本に来た別の国の人たちは、たいてい肩をぶつけるみたい。ユラたちも最初は戸惑うんじゃないかな。ヘレジナは大丈夫そうだけど」
「当然である。カナトの師だぞ」
他愛のない会話を交わしながら、ホテルを探す。
何はともあれ、まずは宿だ。
「せっかくだ。ネウロパニエでいちばん高級な宿を取るぞ!」
「……路銀、大丈夫?」
「ヤーエルヘルとも話したのだが、路銀をむしろ減らしたいのだ。腰を落ち着けて貯蓄をするのであればともかく、大金を常に持ち歩いてはろくなことにならん」
「それは、たしかに」
トラブルの元だもんな。
「義術具代を含め、半分程度になればよい。しばらくはかかるだろうが、コツコツ散財していこうではないか」
「了解」
行き交う人々に道を尋ね、ネウロパニエで最も高級とされるアンパニエ・ホテルへと辿り着く頃には、太陽はとうに姿を隠していた。
「おっきいでしー……!」
二十二階建ての白亜のホテルを見上げる。
流線型のそのデザインは、周囲のビル群から明らかに浮いており、特異な存在であることをうるさいくらいに主張していた。
「ハノンソル・ホテルより立派かも……」
「でも、灯術は控えめだな。ゴテゴテしてない」
「ハノンソルは灯術の街だったものね。奇跡級の灯術士がたくさんいないと、あそこまでの光の芸術は作れないのかも」
だが、派手さがないからこその高級感というものもある。
ハノンソル・ホテルの宿泊料金は知らないが、アンパニエ・ホテルのほうが幾分か高そうに感じられた。
「部屋が空いていればよいのだが」
アンパニエ・ホテルの玄関は、元の世界でも類を見ないほど巨大な一枚ガラスだ。
どこから入るのかと迷っていると、ホテルマンらしき男性が、ガラスに埋め込まれた
回路じみた術式が浮かび上がり、一枚ガラスの扉が左右にスライドしていく。
「手動、自動ドア……」
「手動なのか自動なのか、どちらなのだ」
「気にしないで」
ホテルマンの男性に会釈をして、アンパニエ・ホテルのロビーへ入る。
三階まで吹き抜けの広大なロビーは、白熱灯のような優しい色の明かりに包まれていた。
「広いでしー……」
ヤーエルヘルが、心なしか小声で驚く。
周囲に気を遣っているらしい。
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