4/最上拝謁の間 -9 行く先

 ヤーエルヘルが目を覚ましたのは、翌朝のことだった。

「──あふ」

 従者用の寝室から、ヤーエルヘルがふらりと現れる。

「ヤーエルヘル!」

「わ」

 ユラが、ヤーエルヘルを抱き締めた。

「よかった、ちゃんと起きてくれた……」

「まったく、心配かけおってからに」

 ユラとヘレジナの態度に、ヤーエルヘルが目を白黒させる。

「おはよう、ヤーエルヘル。記憶はある?」

「記憶、でしか? えと……」

 むむむと思案し、

「たしか、女のひとの腕が吊ってあって」

「うん」

「カナトさんが、それを消してくれって」

「あのときは助かったよ」

「それで──、あっ!」

 ヤーエルヘルが、悲しみに顔を歪ませる。

「ネルさん、……ネルさんが! 死ん、だ……、って──」

「呼んだー?」

 ネルが、主寝室からひょいと顔を出す。

「──ネル、さん?」

「ネルさんです」

「ネル……、さん。ネルさん! ネルさあん!」

 ヤーエルヘルが、ネルに抱き着く。

「おっと」

「わああああん!」

「はいはい、生きてますよ。大丈夫」

 ネルが、ヤーエルヘルの背中を、ぽんぽんと優しく叩く。

「……ありがとね、ヤーエルヘル」

 ヤーエルヘルが泣き止むのを待って、運ばれてきた朝食をとる。

「そーいえば、ジグは?」

「鍛錬だってさ」

「あの男、全治半年だってーのに。国王権限でベッドにくくりつけておこうかしら……」

「はは、お手柔らかにしてあげてくれ」

 やりかねない。

「ところで、ヤーエルヘル。ネルの死を確認したあたりから、記憶がないんだよな」

「はい……」

「今まで、今回みたいに記憶が飛ぶようなことって、あったか?」

「えと、あんまし覚えはないでし……」

「ふーむ」

「あちし、変なことしましたか?」

「変なこと、ではないかな」

 ネルに目配せをする。

「ヤーエルヘルは、あたしの命を救ってくれたんだって」

「あちしが、でしか……?」

「そうそう」

「ヤーエルヘルは、俺に、選択を求めたんだ。ネルを助けるのか、見捨てるのか。どちらかを選べ──みたいな感じで」

「???」

「思い出せないか……」

「しみません……」

 わからないものは仕方がない。

 気になることが、もうひとつあった。

「ラライエは、どうして、ヤーエルヘルの名前に反応してたんだろう」

「フシギでしよね」

 ヘレジナが、パンを千切りながら尋ねる。

「トレロ・マ・レボロでは、ヤーエルヘルというのはよくある名前なのか?」

「いえ、あちし以外には聞いたことないでし」

 ユラが、自分の顎に人差し指を当てた。

「失われた名、なんて言ってたね」

「……失われた名?」

「ネルは、心当たりある?」

「さっぱり」

「だよなあ」

「でも、調べ物なら、ウージスパインの魔術大学校を訪ねてみたら? 世界一の大図書館があるって聞くし。たしか、もともと行く予定だったんだよね」

 ユラが答える。

「うん。最初は、まっすぐウージスパインに抜ける予定だったから」

「とんだ寄り道になってしまったがな」

 魔術大学校、か。

 ヤーエルヘルのお師匠さんの件もあるし、行ってみようかな。

「あ、それで思い出した。読み書き覚えようと思ってたんだ」

「なら、ちょうどいいね。戴冠式やら何やらあって、あと真っ先に城下街のアレを表面上だけでもなんとかしたら、いったんリィンヤンに帰ろうと思ってるんだ。一週間くらいかかると思うから、ちょっと待ってて。カナトたちも騎竜車引き取りに戻るでしょ。一緒に行こう」

「なるほど、そのあいだに読み書きを仕込むというわけだな」

「……一週間でなんとかなる?」

 不安を篭めた俺の問いに、ユラが苦笑する。

「頑張れば、たぶん……」

「頑張るけどさ」

「何を歯切れの悪い。一週間で習得すると吠えてみせろ」

「いや、普通何年もかけて覚えるやつでしょ」

「頑張ってくだし!」

「……頑張る。せめて、数字と、自分の名前くらいは」

「男たるもの、文武両道でなければな」

「でも、本くらい読めるようになりたいんだよな。俺、もともとは読書家だし」

「そうだったんだ。なら、絵本か何かから始めたほうがいいかもしれないね。物語があると、頭に入るでしょう?」

「それもいいな」

 そんな会話を交わしていると、客室の扉が開かれた。

「戻った」

「あ、ジグ! あんた怪我人なんだからね!」

 ネルを無視し、ジグが顎で背後を指す。

「客だ」

 そこには、ヴェゼルとアーラーヤが立っていた。

 ヴェゼルが、ネルに右手の甲を向け、一礼する。

「──ラライエ四十三世。不躾に私室を訪れたことを、どうかお許し下さい」

「あー」

 客室の外には、警備兵が立っている。

「構いません。入室を許可します」

「感謝致します」

 ヴェゼルとアーラーヤが客室に入り、扉が閉じられる。

「やっほ」

「やふぁーい」

「国王と貴族の挨拶かよ、それが」

 アーラーヤが、呆れたように突っ込んだ。

「さっき、ちゃんとしたじゃん。いいだろ別に」

「いいけどよ」

「ボク、いったんロウ・ララクタに帰ろうと思ってさ。だから、挨拶」

「そっか……」

 ネルが、すこし寂しそうな顔をする。

「フン、何勘違いしてんのさ。国王とのコネなんだぜ。使い潰すに決まってんじゃん」

「えっ」

 ヴェゼルが、勝ち気な笑顔を浮かべる。

「今後もちょくちょく来るし、なんなら王城に転がり込むかもしんないよ。家、苦手なんだよね。父様は好きだけどさ。ネルの作る、奴隷のいないラーイウラってのにも興味あるし」

「あはは、そっかそっか! あたしも、友達がいてくれたら心強いや」

「そっちのハーレム色男は、ネル置いて出てくんでしょ。罪悪感とかないのかな」

「うッ」

「まあまあ。カナトたちは旅人だから」

「ネルは甘いなあ……」

「──で、俺からもひとつ用事だ」

 アーラーヤが、ヘレジナの前に立つ。

「どうした、アーラーヤ」

「手合わせしてくれや、ヘレジナの嬢ちゃん。あのラライエを下した手腕を見て、痺れちまってよ」

 ヘレジナが、不敵に笑う。

「構わんが、勝負になるかわからんぞ」

「言うねえ」

「では、中庭へ出ろ。ひとつ指南してやろう」

「アーラーヤ、満足したら行くからね」

「おう!」

 その日の午後、ヴェゼル一行は、ロウ・ララクタへの帰途についた。

 アーラーヤは、ついに、ヘレジナから一本も奪うことができなかった。



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