4/最上拝謁の間 -8 分かれ道

 ヘレジナがヤーエルヘルを背負い、皆で王の間を後にする。

 長い廊下を歩いているとき、ふと脳裏をよぎるものがあった。

「──そうだ。ネルのリボン、落としたままだった」

 あのときは、拾う気力もなかったけれど。

「みんな、先行ってて。すぐ取ってくる」

 ヘレジナが心配顔で問う。

「……危なくはないか?」

「危ないものは、今さっき排除したし」

「それは、まあ、その通りであるな」

「じゃ、行ってくるよ」

 きびすを返し、小走りで最上拝謁の間へと向かう。

 開け放されたままの真紅の大扉を抜けて、ヤーエルヘルの開孔術によって中央を大きく削り取られた広間と足を踏み入れた。

 周囲を見渡すと、リボンはすぐに見つかった。

 ただ、

「……あー」

 各所が焼け焦げ、ネルの血液やサザスラーヤの血潮が染み込み、元の色すら判別できなくなっていた。

「ネル、怒るかな」

 そう呟くと、

「──あはは、怒らないって」

 背後から、楽しげな声が返ってきた。

「ネル」

「やっぱり、すこし心配でね。大丈夫なのはわかってるんだけど……」

 気持ちはわかる。

 あんなことがあった場所だものな。

 ヤーエルヘルの魔術が削り取った半球状の穴の縁に、ネルが腰掛ける。

「すこし、話していいかな」

 ぽん、ぽん。

 ネルが、自分の隣を軽く叩いてみせた。

「うん」

 請われるがまま、ネルの隣に腰を下ろす。

「──…………」

 しばしの沈黙ののち、ネルが口を開いた。

「ママとパパ、死んでた」

「……うん」

「あたし、ずっと自分を誤魔化してた。ママとパパは忙しいんだ、とか。王城は危ないんだ、とか。手紙を出せない事情があるんだ、とか。滑稽だよね。とっくに死んでたのに」

「──…………」

 ネルが、俺の肩に頭を預ける。

「……つらい」

「うん」

「つらいよ、カナト」

「……うん」

 俺には、ネルの頭を撫でてやることしか、できない。

「──いつ、だったかな。あたしがこんなこと言ったの、覚えてる?」

 ネルが、ぽつりと言う。

「"あたしに告白されたらどうする"」

「覚えてる」

「……カナトは、こう答えた。申し訳ないけど、断るって」

「──…………」

「すごく、ずるいことを言うね」

「うん」

 ネルが、俺を見つめる。

 濡れた瞳で。

「……あたしのこと、可哀想だって。すこしでも、好きだって。ユラや、ヘレジナや、ヤーエルヘルの──ほんの十分の一だっていい。それくらいでも、好きだって思ってくれているのなら」

 言葉を止め、意を決したように口を開く。

「……あたしと、一緒にいて。ラーイウラで、ここで、一緒に暮らそうよ。あたし、頑張るから。ここが住みよい国になるよう、頑張るから」

「──…………」

 ネルの頬に、涙が伝う。

「……置いて、行かないで……」


 ──嗚呼。


 好きだよ。

 好きだ。

 でも、それは、ジグに対して抱くものと同じだ。

 親愛、だ。


 ここで一緒に暮らしたい気持ちもある。

 でも、決めたんだ。

 皆で一緒に、日本へ帰るって。


「──…………」

 俺は、長い沈黙のあと、こう言った。

「ネルが、来てくれ」

「えっ」

「俺は、ラーイウラにはいられない。だから、ネルが一緒に来てくれ」

「──…………」

 ネルは、しばし呆然としたあと、

「……ふふ」

 と、笑みをこぼした。

「そっか。あたし、カナトをこんな気分にさせてたんだね。理不尽な二択、あたしが迫っちゃってたね」

「──…………」

「ありがとう、カナト。でも、あたしはラーイウラを選ぶよ。カナトにはあの三人がいるけど、ラーイウラにはあたししかいない。新たな王として奴隷制を廃止できるのは、あたしだけだから。だから──」

 ネルが、優しく微笑む。

「ここでお別れ、だね」

「……そっか」

「よしよし、あたしなんかでも、カナトを悩ませることくらいはできましたな」

 ネルが、俺から身を離す。

「ありがとう、もう悔いは──」


 俺は、ネルを、正面から抱きすくめた。


「え──?」

「俺は、ここにはいられない。流れ者だ。だから」

 強く、強く、抱き締める。

「俺にくらいは、泣き言を言ってくれ。誤魔化さないでくれ。全部、持って行くから」

「──…………」

 しばし呆然としていたネルが、

「……う、あ、……ああ、……ああああ」

 俺の体を掻き抱いた。

「ばかあ……! なんで、最初に、ラーイウラに出てこなかったのさあ! ……なんで、なんで最初に、あたしと出会わなかったのさ! ばか、ばか、ばか! ばかかなとお……!」

「……うん」

「こっち、王だぞ! 王さまだぞ! 王さまが四番目でいいって言ってるんだぞお……!」

「うん」

「ばかあ……ッ!」

 しばらくのあいだ、俺は、ネルの優しい罵倒を聞き続けた。

 片方を選び、片方を捨てる。

 それが、選択だ。

 人生とは選択の連続である。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 いつか、後悔するのだろうか。

 それでもいい。

 俺は、ネルのことが大好きだから。

 後悔は、この気持ちが本物であった証拠だから。


 俺は、進む。

 この選択の先に、何が待ち受けていようとも。

 自分で選んだ道なのだから。



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