2/ロウ・カーナン -4 来訪者
「──ユラさんが、皇巫女さま……!」
「ええ。わたしの本名は、ハルユラ=エル=ハラドナ。パレ・ハラドナの皇巫女。……いまはもう、違うけどね」
ユラが、ヤーエルヘルに、これまでの顛末を話している。
事ここに至れば一蓮托生、すべてを打ち明けるのが誠意というものだろう。
ヤーエルヘルなら、軽々に秘密を漏らすことはない。
それだけは疑いないのだから。
「──……う゛ー……」
体中が痛い。
関節がみしみしと軋みを上げている。
ここまで来れば、筋肉痛ではなく、もはや普通に怪我である。
ユラに治癒術をかけてもらったのだが、どうやら疲労には効きが悪いらしい。
だが、翌日以降の筋肉痛は抑制できるらしいので、決して無意味ではないだろう。
「大丈夫か、カナト」
ヘレジナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
普通に気遣ってくれるのは珍しい。
「大丈夫──とは言いがたいけど、大丈夫。俺はまだまだ弱いんだから、たまにはこれくらい体をいじめたほうがいいんだよ」
「私が認める。カナトの精神力は大したものだ。級位が上の人間に体操術なしで六時間も食らいつくなど、私とて気が遠くなる」
「はは……」
力なく笑う。
普通に笑うと全身に響くからだ。
「ヘレジナが素直に褒めるだなんて、明日は雪が降るかもな」
「素直に褒められておけばよいものを」
ヘレジナが苦笑し、俺の額に軽くデコピンをした。
「て」
「自業自得だ。風呂を沸かしたから、先に入るといい。湯に浸かりながら軽くマッサージをしておくと、治りが早くなるぞ」
「わかった、ありがとう」
ふらふらと立ち上がり、風呂へと向かう。
魔術があれば、風呂を沸かすことも容易だ。
井戸水を汲み、沸騰術と呼ばれる火法系統の魔術で水の温度を上げるだけでいい。
沸騰術の術式は、炎術とほとんど変わらない。
よって、子供に火法系統の魔術を教えるときは、炎術より安全な沸騰術から教えていくのが常識であるらしい。
「じゃ、お先──」
そう言って、浴室に入ろうとしたときのことだ。
──コン、コン。
玄関の扉が遠慮がちに叩かれた。
「うん?」
きびすを返し、玄関へと向かう。
「誰だ」
来訪者へと声を掛ける。
すると、男の声が返ってきた。
「──銀の刃のハイゼルだ」
「ハイゼル」
意外な相手だった。
「話がある。出てこい」
「──…………」
皆のいる部屋を振り返り、声を掛ける。
「なんか、ハイゼルが来た。すこし出てくるよ」
「ハイゼルさん、でしか?」
「あの男か。私も共に出よう」
「いや、いいよ。ヘレジナは先に風呂に入っててくれ。四人いるんだから、効率よく回していかないと夜更かしになるだろ。それとも、三人で一緒に入るんだっけ?」
「あれは冗談だ。あの狭い風呂では、ふたりとて窮屈だろう」
「たしかに」
「では、先に入らせてもらおう」
ヘレジナが立ち上がるのを見届けて、玄関の扉を油断なく開く。
そこには、腕を組み、仁王立ちをしたハイゼルが立っていた。
「おせぇ」
「そりゃ悪かったな」
ハイゼルが、こちらに背を向け、歩き出す。
出てこい、ということだろう。
「つ──」
痛みに耐えながら、ゆっくりと扉を閉じる。
「お前らが釈放されたって聞いてな。どんだけシケたツラしてんのか、わざわざ見に来てやったんだよ」
「御苦労なことで」
「──…………」
すこしの沈黙ののち、ハイゼルが疑問を口にする。
「実際、いくら賠償すんだ」
「百三十万シーグル」
「──ッ」
ハイゼルが絶句する。
「……いや、まあ、そんくらいにはなるか。妥当っちゃ妥当だ」
「そうだよなあ……」
「悪いが、銀の刃は一銭も出さねぇぞ。お前らが勝手にやったことだ。お前らの責任だ。俺たちには関係ねぇ」
「わかってるよ。わざわざそんなことを言いに来たのか?」
「──…………」
ハイゼルが、目を逸らし、言った。
「……いちおう、感謝しておく。肩の傷のこともな。なにせ、命あっての物種だ」
俺は、目を見張った。
「まさか、あんたの口からそんな言葉が飛び出るとは……」
「ヴィルデが──仲間が礼を言ってこいとよ。あいつがキィキィうるせぇから、来た。そんだけだ。悪いか」
「悪くはないよ」
思わず苦笑する。
「じゃあ、俺からもひとつ礼を」
「なんだよ」
「俺たちに有利な証言をしてくれて、ありがとう。あんたたちは、俺たちを陥れることだってできた。俺たちの運命は、あんたたちの胸三寸だったんだから」
ハイゼルが眉をひそめた。
「何言ってんだ、お人好し。素直に言わねぇと、こっちに飛び火すんだろうが」
「それでも、だ」
「……チッ、調子狂うぜ」
足元の小石を蹴り飛ばしたあと、ハイゼルが、いいことを思いついたとばかりに片方の口角を吊り上げた。
「ああ、そうだ。せっかくの機会だ。ちっと稽古をつけてくれ、奇跡級サマよ」
「……あんた、俺が筋肉痛なの見て吹っ掛けてるだろ」
「あン? コンディションが悪いから戦えませんってか? 調子が悪かろうがなんだろうが、ンなこた敵は知ったこっちゃねぇ。殺されちまえばすべて終わりだ。言い訳の余地はない。そうだろ?」
「よく回る口だな……」
思わず感心してしまう。
「わかった、一戦だけな」
「よっしゃ!」
ハイゼルが、腰に提げた長剣を、鞘に入れたまま構える。
「おら、待ってやるから得物を用意しな」
「いいよ。屈むのもつらいんだ。いつでも打ち込んでこいよ」
「……言ったな。後悔しても知らねぇぞ」
ヘレジナと六時間も模擬戦をしたおかげで、俺の感覚はかつてないほど研ぎ澄まされている。
ハイゼルの実力は、足運びだけでわかる。
恐らく師範級。
決して弱くはないのだろう。
「頭カチ割れろ、──やあッ!」
ハイゼルが、長剣を無防備に振り上げる。
こちらに得物がない以上、好手ではないが悪手とも言えない。
動作は淀みなく、鍛錬の成果が見て取れた。
だが、相手ではない。
俺は、迫りくる鞘に側面から触れると、その軌道を横へずらした。
「な──」
長剣が空を切り、ハイゼルがたたらを踏んだ。
反転し、その膝裏を雑に蹴る。
「のわッ!」
膝カックンの要領で、ハイゼルがその場に膝をつく。
「これでいいか?」
「……チッ、ヒョロい見た目してるくせによ」
ハイゼルが立ち上がり、膝の砂を払う。
「もういい、わかった。用事はそんだけだ。じゃあな」
長剣を腰に提げ直し、ハイゼルがきびすを返した。
「──ああ、そうだ。ついでだ。ヤーエルヘルに、悪かったって伝えといてくれや」
「ふ」
思わず鼻から吐息が漏れた。
「なんだよ」
「あんた、実は、最初からそれだけ言いに来たんだろ」
「──…………」
ハイゼルが、とても渋い顔をした。
「……ま、せいぜい気張れや。お前らの足掻きを酒の肴にしてやっからよ」
憎まれ口を叩きながら、ハイゼルがその場を立ち去っていく。
「……そう悪いやつでもないのかな」
性格がねじ曲がっているのは否めないが、思ったほど悪辣でもないのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺は平屋へと戻っていった。
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