2/ハノンソル -5 魔法と魔術

 ハノンソルは、活気溢れる街だった。

 時計の針が頂点を過ぎても、人通りが途切れることがない。

 それどころか、繁華街へ近づくにつれ、少年の背中を見失いそうになるほどの人の波が通りを満たし始めた。

 ハノンとハノンソルは、あらゆる意味で対照的だ。

 ハノンが昼の街なら、ハノンソルは夜の街。

 ハノンは道路が石畳で舗装されているが、ハノンソルでは土が剥き出しだ。

 碁盤目状に区画整理されているハノンに比べ、ハノンソルの街並みは放射状であり、元の場所へ戻れと言われても自信が持てないほど入り組んでいる。

 枯れた声の客引き。

 ひとりで叫ぶ酔っぱらい。

 通りの端に佇む、ひときわ露出度の高い女。

 たとえ世界が違っても、盛り場の様子だけは、どこもかしこも変わらないものらしい。

「──それにしても、明るいな。随分と派手だ」

 ハノンの街灯は白一色で落ち着いた雰囲気だったが、ハノンソルの光はどれも色彩豊かだ。

 看板に描かれた絵や文字が、鮮やかに光を放っている。

 まるで、元の世界のネオン街へと迷い込んだ気分だった。

「当然だ。ハノンソル・カジノばっか目立つけどよ。ソルは灯術士の街でもあるからな」

「灯術士?」

「……おい、姉ちゃん。あんたの恋人、灯術士も知らねえのか」

「恋び──」

 おっと、落ち着け自分。

 慌ててしまえば相手の思うツボだ。

 そんなことを考えていると、選択肢が現れた。


【白】恋人ではないと訂正する


【白】恋人だと偽る


【桃】灯術士について尋ねる


 いちいち勘違いを正すのも意識してるみたいだし、わざわざ偽る理由もない。

「知らないものは知らないんだから、仕方ないだろ。灯術士ってなんだよ」

「カナト」

 俺の袖を引いたユラが、少年に聞こえないよう耳打ちする。

「その。訂正、しなくていいのかなって……」

「男女ふたりで歩いてれば、勘違いくらいされるさ。ユラが嫌なら訂正するけど」

「……嫌じゃない、けど」

 ユラの頬が、淡く染まっている。

「──…………」

「──……」

 なんだか妙な雰囲気になってしまった。

「もしもーし。質問しといて答えも聞かずふたりの世界作ってイチャイチャするのは人としてどうかと思いまーす」

「あ、ごめん……」

 少年が、先程の問いに答える。

「魔術と魔法の違いくらいは、兄ちゃんでもさすがにわかんだろ」

「えーと、魔力マナをただ放出するのが魔法で、術式を通して魔力マナを変容させるのが魔術だっけ」

 騎竜車での道中、ユラとヘレジナに教えてもらったのだ。

「その通り。んで、光法は魔法。灯術は魔術だ。魔力マナを変質させて、色を変えたり、絵を描いたりする。いま見えてる明かりのほとんどは、灯術士の仕事だぜ」

「なんというか、食いっぱぐれなさそうだね」

「そう! そうなんだよなァ! 灯術士になりさえすれば、ジジイになっても仕事に困るこたねえ。おまけにソルじゃあ年中人材不足と来たもんだ。こんないい条件、他の仕事にあるもんかよ」

「君は、その灯術士を目指してるのか」

「この流れで八百屋目指してるわけねえだろ」

 たしかに。

 ユラが、少年に話し掛ける。

「さっき、面白い術式を使ってたね。指向性のある光、みたいな」

「ああ、これか?」

 少年が念じると、手のひらの上に光が現れた。

 ただの光ではない。

 懐中電灯のように、前方のみを照らす光だ。

「遠くまで照らせるから、わりと便利でよ。術式も、基本式の応用だし」

 魔術か。

 俺も使ってみたいなあ。

 男として生まれたからには、一度くらい、教室に押し入ってきたテロ組織を魔術で華麗に撃退したいものだ。

 無理なのはわかってる。

 でも、村人Aだって、ヒーローに憧れることくらいはあるのだ。

 そんなつまらないことを考えていると、

「──よう、悪童ナクル!」

 身長二メートルはあろうかという偉丈夫が、少年──ナクルに声を掛けた。

「まーた観光客騙して金ふんだくってんのか! ガハハ!」

「あッ、馬鹿野郎! 言うなスカタン!」

 ナクルが、あからさまに慌てている。

 ナクルの知り合いらしき偉丈夫は通りすがりだったようで、挨拶代わりに言うだけ言って、さっさと歩き去ってしまった。

「──…………」

「──……」

 俺とユラの冷たい視線が、ナクルを刺し貫く。

「……今度こそ聞き捨てならないな」

「うん。聞き捨てならない」

「か、金なら返さねえぞ。あの方の居場所は50で教えたし、カジノまでの案内は85で請け負った。金の関わる部分では、嘘はひとつも言ってねえ。そうだろ?」

「そう言われれば、そうなのかもしれないけど……」

 どうにも釈然としない。

 俺の不満を見て取ったのか、ナクルがズボンのポケットに手を突っ込んだ。

「……しゃーねえな。わかったわかった。金返すかわりに、こいつをやる」

 ナクルがポケットから取り出したものは、シンプルな形状の指輪だった。

 リング自体は荒く歪んでいるが、ほのかに光を放つ月の色をした石が美しい。

「いいの? これ、高いんじゃ……」

「兄ちゃん、もう少し目を肥やした方がいいぜ。こんなもん、そこいらのクズ鉄と拾った半輝石セルでこしらえたがらくただ。売ったって、一シーグルどころか、五ラッドにだってなりゃしねえよ」

 指輪を受け取り、夜空に翳す。

 確かに、見れば見るほど荒削りな一品だ。

 だが、リングの内側に細かな意匠が彫り込まれており、手間が掛かっていることがわかる。

「もしかして、魔術具?」

 ユラの問いに、ナクルが答える。

「正確には、その真似事だ。腕のいい灯術士は仕事が多い。魔力マナもそのうち尽きちまう。だから、あらかじめ自分の魔力マナ半輝石セルに封入しておくんだ。見よう見真似だけどよ」

 魔術具。

 本来であれば術者の想像力のみで織り上げられる術式を素材に直接刻み込み、魔力マナを流すだけで魔術に変換されるよう作られた道具である。

 ヘレジナの持つ"銀琴"は、標的を爆砕する光の矢を射出する魔術具で、流した魔力マナが多ければ多いほど威力が増すのだと聞いた。

「この指輪があれば、魔力マナを使わなくても灯術が使えるのか?」

「さあな」

 さあなと言われましても。

「わたし、鉄で作った魔術具って初めて見たかも」

「だから真似事つったろ。鉄じゃあ放熱に耐え切れなくて、途中で融解するかもな」

「──…………」

 正直、いらない。

「正直いらねえって顔してるぞ」

 大正解である。

「いらねえならいらねえで、捨てちまえばいいさ。だけど、手持ちでいちばん価値がありそうなのが、それだからな。次のは更にランクが落ちるぜ」

「具体的には?」

「ポケットのゴミクズ」

「……指輪、貰っておきます」

 魔術具の指輪を、ズボンのポケットに仕舞う。

 何かに使えるかもしれないし。

「──さ、そろそろハノンソル・カジノだ。兄ちゃんの小汚い服装はいまさらどうにもならねえから、せめて前髪くらいは整えとけよ」

 軽口を叩くナクルの後を追い、舗装された大通りへ出る。

 すると、

「おー……」

 十数階建ての見目麗しい建造物が、見事にライトアップされていた。

 ユラに話し掛ける。

「ケレスケレスって人、いるかな」

「留守じゃなければいいんだけど……」

「──…………」

 ナクルが振り返る。

 その表情は、あからさまに不満げだ。

「……リアクション薄くねえ?」

「そうかな」

「お前らが見てるのは、灯術の極致! 奇跡級の灯術士たちが数人がかりで織り上げた光の芸術だぞ! もっと、こう、口開けたまま絶句するとか、あまりの美しさに涙するとか、しろ!」

「そんなこと言われても……」

 光の芸術。

 ナクルの言葉は的を射ている。

 だが、カジノときいてまず思い浮かぶラスベガスやマカオと比べれば、いささか質素と言わざるを得ない。

「……ったく、案内しがいのねえ客だぜ。行くぞ!」

 肩を怒らせながら、ナクルが、明後日の方向へと歩き出す。

「カジノに行くんじゃ?」

「あれは、ハノンソル・ホテルだ。ホテルの地下からもカジノに繋がってるが、そいつはオカネモチの宿泊客さま専用。オレたちみたいな貧乏人にゃ、別のルートが幾つかあるんだよ」

 そう言ってナクルが向かったのは、見るからに小ぢんまりとした平屋の建物だった。

 灯術で装飾された大きな看板には、"ハノンソル・カジノ"とでも書かれているのだろう。

 読めないので推測だけれど。

 そんなことを考えていたとき、

「──ぎゃん!」

 パンツ一丁の男性がエントランスから蹴り出された。

「二度と来るかあッ!」

 奇異な光景だが、道行く人々は男性を気にも留めない。

 これがハノンソルの日常なのかもしれない。

 建物の中へ入ると、客らしき屈強な男性がナクルに声を掛けた。

「おう、悪童じゃねえか。懲りずにまーた小銭握り締めてきたのか」

「うるせえよ。俺の勝手だろ」

「怖い怖い」

 屈強な男性が肩をすくめる。

 ナクルが、カウンターに革財布を叩きつけ、正面に座っている老人に言った。

「135シーグルある。全部チップにしてくれ」

「了解致しました」

 片眼鏡を掛けた老人が硬貨をあらため、数枚のチップをナクルに手渡す。

「そんじゃ、お先!」

「えっ」

 別れの挨拶をする暇もなく、ナクルがその場から走り出した。

 通路を塞ぐ守衛を押しのけて、カウンターの奥にある階段を駆け下りていく。

「行っちゃった……」

 まあ、目的地に着いたんだから、べつにいいんだけど。

 ユラが、ぽつりと口を開く。

「お礼くらい、言いたかったね」

「そうだな……」

 対価は支払っているし、いっそ騙されてすらいる。

 だが、彼のおかげでここに立っていることは確かなのだ。

「そちらのお客さまは、いかがなさいますか」

 しゃがれた声の老人が、俺たちに話し掛ける。

「あ、えーと……」

 なんと切り出せばいいのだろう。

 逡巡していると、

「わたしたち、ケレスケレス=ニアバベルさんに会いたいの」

 ユラが真正面から本題を告げた。

「──…………」

 老人が、片眼鏡を光らせて、俺たちを値踏みする。

 そして、

「ニアバベルさまは、謎多き方でございます。ハノンソル・カジノの従業員であるわたくしどもですら、あの方の顔どころか、性別すら知る者はおりません。それくらい徹底した秘密主義なのです。ですから、お諦めになられるのが賢明だと思いますよ」

「──…………」

「──……」

 ユラと顔を見合わせる。

 そう簡単に事が運ぶとは思っていなかったが、ここまで絶望的とも思っていなかった。

 だが──


【白】ハノンソルで聞き込みをする


【青】ハノンソル・カジノへ入る


【黄】ハノンソルで宿を取る


【白】ハノンへ戻る


 俺には、選択肢が見える。

 相も変わらず出自のよくわからない能力だが、便利なことは確かだ。

「ユラ、カジノへ入ろう。可能性はゼロじゃないんだし」

「わかった」

 ナクルが駆け下りていった階段へ向かうと、ふたりの守衛が俺たちの行く手を阻んだ。

「その、カジノへ行きたいんですけど……」

「カジノチップはございますか」

「ないです」

「それでは、お通しできません。そちらのカウンターでチップをお求めください」

「──…………」

 マジか。

 カウンターまで取って返し、再び老人に話し掛ける。

「……チップの代金って、物で支払えませんか?」

「物、とは」

「さっき、身ぐるみ剥がされた人がここから出て行くのを見たんです。だから、質屋的なこともやってるんじゃないかなって」

「質屋の真似事もしておりますが、わたくしどもは専門の古物商ではありませんので、どうしても本業の方の見立てより安くなってしまいます。あらかじめ別の古物店で品物を売却し、種銭を作ってこられるのがよろしいかと」

 意外と良心的である。

 だが、今から古物店を探すほど悠長にはしていられないのだ。

「……たとえば、懐中時計なんかは幾らくらいになります?」

「ほう」

 片眼鏡の老人が、感嘆の溜め息を漏らす。

「材質、動力、及び状態にもよりますが、850シーグルは下らないでしょう」

「じゃあ、これは?」

 愛用の自動巻き時計を腕から外し、カウンターの上に置く。

「失礼して」

 老人が、片眼鏡を通して腕時計の盤面を覗く。

「──…………」

 老人の手が、あからさまに震え出す。

「これ、は──」

 この世界は、魔術を前提として発展している。

 魔術によってあらゆることを代替できるため、文化水準に比べ、技術水準が低い。

 それほど高級な時計ではないが、この世界の人々にとっては、ふたつとない珍品に他ならないはずである。

「お客さま。この時計は、どこで……?」

 ハッタリでもきかせておこうか。

「東方を旅した商人が仕入れてきたものです。全財産をはたいて買い上げました」

「……はっきり申し上げて、わたくしどもに値がつけられる品ではありません。どうしてもとおっしゃるのなら、二千シーグル。ですが、他の古物店へ行けば、優にその十倍の見積もりは出るでしょう」

 選択肢が現れる。


【白】古物店を探し、腕時計を売却する


【白】腕時計を担保に、カジノチップを購入する


 二択だ。

 今回は、どちらを選んでも変わりはなさそうである。

「では、二千シーグルで」

「よろしいのですか?」

「俺たちの目的は、ケレスケレス=ニアバベルに会うことです。一攫千金を求めているわけじゃない」

「──…………」

 しばし黙考したのち、老人が口を開く。

「……確実ではありませんが、ニアバベルさまに会う方法はございます」

「本当ですか!」

「ええ。方法は極めて単純。故に最難。現実味があるとは言い難いのですが──」

 一拍溜めて、老人が告げる。

「ただ、ただ、ひたすらに勝ち続けることです。掛け金が高額になれば、フロアから別室に移される。そこまで辿り着くことができれば、あるいは、ニアバベルさまと顔を合わせることができるかもしれません」

「勝ち続けること、か」

「……カナト、賭け事は得意?」

「得意も苦手もないよ。そもそも、やったことがない」

 パチンコも競馬も興味なかったし。

「でも──」

 ユラの不安を吹き飛ばすように、微笑んでみせる。

「なんとかなる。なんとかする。ユラが信じてくれれば、きっと」

「……うん」

 事が上手く運ぶか、それはわからない。

 都合よく選択肢が現れるとも限らない。

 それでも、ユラが傍にいてくれるなら、挑戦してみようと思える。

 不思議と力が湧いてくる。

「──このカジノで、いちばんルールが簡単なゲームを教えてもらえますか」

 老人が答える。

「ジングル・ジャングルでしょうか。金属製のカップに二枚のコインを入れ、テーブルに伏せる。お客さまは、ニーゼロ、イチイチ、ゼロニーといったコールを行い、コインの表と裏の数を当てるゲームでございます」

 なるほど。

 要は、丁半博打のコイン版みたいなものだ。

 老人が、様々な色で装飾された数十枚のチップを取り出す。

「こちら、二千シーグルぶんのカジノチップとなっております。お確かめを」

「はい」

「お客さまに、エル=タナエルの加護があらんことを」

「──…………」

 一礼し、カウンターを後にする。


 こうして、ハノンソル・カジノの長い夜が始まった。



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