2/ハノンソル -6 ハノンソル・カジノの長い夜(上)
「──…………」
ずうん。
思いきり肩を落とす。
「そ、その……カナト? 元気出して」
「……ごめん、ユラ」
「気にしないで。確率なんて、操れるものじゃないから」
おかしいなあ。
青枠の選択肢で、事態が好転するはずだったのに。
小一時間ほどジングル・ジャングルに明け暮れた結果、俺の手の内に残ったのは、鮮やかに青い十シーグルチップ一枚のみだった。
一時は五千シーグルほどにまで増えたのだが、そこで守勢に入ったのが悪かったらしい。
あれよあれよと減り続けて、このざまだ。
「……困ったな。手詰まりだ」
ジングル・ジャングルの勝率は、ニーゼロが四分の一、イチイチが二分の一、ゼロニーが四分の一だ。
ニーゼロ、ゼロニーは、当たれば掛け金が四倍。
イチイチでは、掛け金が二倍となる。
だが、このシステムでは胴元が得をしない。
それでは、カジノ側がどうやって儲けているかと言えば──
「もう、参加料しか残ってないね……」
ハノンソル・カジノでは、どのゲームであっても、一勝負につき一律で十シーグルの参加料を徴収される。
手持ちのチップは、奇しくも十シーグル。
参加料は払えたとしても、賭けるチップが既にないのだ。
最後に残ったなけなしの五十シーグルチップを情け容赦なく奪い去ったディーラーが、爽やかな笑顔で俺たちに問う。
「お客さま。次の勝負はどうなさいますか?」
わかってるくせに!
「……いったん席を外します」
「了解致しました」
ユラと共に席を立ち、すこし歩いて壁に寄り掛かる。
ハノンソル・カジノ。
パラキストリ連邦最大のカジノという謳い文句は、伊達や酔狂ではない。
数百名の客と、それに近い数のスタッフ。
合わせて千名を優に超える人々を快適に収容できる広大なフロアに、人々の熱気と興奮とが満ち溢れ、今この瞬間にも様々なドラマが生まれている。
世界最大と言われても素直に納得できる規模だ。
「あッつ……」
シャツの胸元をパタパタさせて、蒸れた内側に風を送り込む。
「……わたしたち、このまま、ルインラインたちを待つことしかできないのかな」
「──…………」
ここまで負けが込んだのには理由がある。
ゲーム中、青枠の選択肢が一度も出現しなかったのだ。
何が、"なんとかなる"だ。
何が、"なんとかする"だ。
得体の知れない選択肢に頼れなくなった程度でこのざまならば、村人Aを名乗るのすら烏滸がましい。
しばしの沈黙ののち、ユラが努めて明るく言った。
「ね、カナト。これ、いくらになると思う?」
ユラの右手がつまんでいたのは、彼女が着ている薄手の上着だった。
「上等な生地だから、すこしは高く売れると思うの。たぶん、百シーグルには──」
「ユラ」
ユラの手を取る。
「駄目だ。その一線は、越えちゃ駄目だよ。裸で蹴り出されてた男の人みたいに、きっと歯止めが効かなくなる」
「でも……!」
「考えがあるんだ。ラストチャンスを捻出する方法が」
「──…………」
「最後に、もう一度だけ、応援してくれないか」
「……うん」
選択肢などなくとも、自分の運命は自分で引き寄せてみせる。
腹をくくり、覚悟を決めて、さきほど俺たちが入ってきた一般客用の出入口へと歩を進めた。
「カナト、どうするの?」
「参加料ってシステムがある以上、チップを半端に余らせて帰る人が絶対にいる」
「今のわたしたちみたいに?」
「そう。だから、交渉して譲ってもらうんだ」
「なるほど……」
ユラが、感心したように、うんうんと頷く。
「さて、見るからに負けた様子の人は──」
いた。
先程までの俺のように肩を落とし、両の瞳は爪先を見据え、たった今わたくしは全財産をドブに捨てましたと全身で語る少年がひとり。
「──って、ナクル?」
「……?」
ナクルが顔を上げる。
「……カナトの兄ちゃんに、ユラの姉ちゃんか。ハハ、ごめんな……。貰った金、ぜーんぶスっちまった……」
「奇遇だな。たった今、俺たちも全財産溶かしたところだよ」
「うん、負けちゃった」
「カジノってのは、本当、ひでえ商売だよなあ……」
ナクルが、ひっひと自嘲の笑みをこぼす。
「ところで、ナクル。カジノチップは余ってないか?」
「チップ……」
ナクルがポケットを漁ると、赤一色の五シーグルチップが一枚出てきた。
「あるけど、意味ないぜ。参加料にもならねえ」
「それだけならね」
握り締めていたチップを眼前に掲げる。
「ここに、十シーグルあるとすれば?」
「──…………」
ナクルが沈黙する。
「最後の一勝負、付き合ってくれないか。配当は山分けでいい」
「……ま、五シーグル程度、換金しても虚しいだけか」
ナクルが、五シーグルチップを親指で弾く。
それを慌ててキャッチして、俺たちは、ジングル・ジャングルのテーブルへと踵を返した。
ジングル・ジャングルだけでも十卓ほどのテーブルが用意されているが、目指すは先程のディーラーのところだ。
「おや、戻られましたか」
「戻りましたとも」
十シーグルチップと五シーグルチップを、テーブルの上に離して置く。
同じテーブルに着いている客の参加料をすべて徴収したのち、ディーラーが金属製のカップに二枚のコインを入れた。
甲高い音が二、三秒響いたのち、ディーラーがカップをテーブルに伏せる。
「──…………」
実質、二択だ。
イチイチは配当が二倍だから、当たったとしても十シーグルにしかならない。
それでは元の木阿弥である。
二枚とも表のニーゼロか、二枚とも裏のゼロニーか。
どちらを選ぶべきか。
長考に入りかけたとき、テーブルから色が失われた。
【青】ニーゼロを選択する
【黄】イチイチを選択する
【黄】ゼロニーを選択する
今かよ!
心の中で、思いきり突っ込みを入れる。
選択肢には頼らない。
自分の運命は自分で切り拓く。
そう決意した途端にこれだもの。
だが、青枠の選択肢が現れた以上、わざと外すという選択はありえない。
「──ニーゼロだ」
コールした瞬間、世界が色を取り戻した。
ディーラーがカップを上げる。
名も知らぬ女性の横顔が、ふたつ並んでいた。
表だ。
「ニーゼロ。配当は四倍となります」
「おおッ! やるじゃんか、カナトの兄ちゃん!」
「やったね、カナト!」
これで、20シーグル。
参加料を支払う。
【青】ニーゼロを選択する
【黄】イチイチを選択する
【黄】ゼロニーを選択する
「ニーゼロ」
10シーグルが、40シーグルとなる。
【黄】ニーゼロを選択する
【黄】イチイチを選択する
【青】ゼロニーを選択する
「ゼロニー」
ディーラーがカップを開くと、ナクルが呆けたように呟いた。
「マジかよ……」
ふたつ並んだ女性の横顔が、どこか微笑んでいるように見えた。
30シーグルが、120シーグルとなる。
【青】イチイチを選択する
110シーグルが、220シーグルとなる。
【青】ゼロニーを選択する
210シーグルが、840シーグルとなる。
【青】イチイチを選択する
830シーグルが、1,660シーグルとなる
容赦なく、持ち金すべてを賭け続ける。
その結果、たったの三十分、たった九度の勝負で、俺の目の前にはカジノチップがうず高く積み上げられていた。
総計で、26,280シーグル。
小さな家なら土地ごと買える額らしい。
「──……ふー」
緊張をほぐすため、小さく伸びをする。
ジングル・ジャングルで大勝ちしている客がいる──そんな噂が千里を走ったのか、テーブルの周囲に野次馬の壁が築かれ始めていた。
「すっげ……」
引き攣った笑みを浮かべたナクルが、ズボンで何度も手汗を拭っている。
「カナト」
「ん?」
ユラが、真剣な瞳で俺を見つめる。
「──いえ、あとにする。今はまず、目的を果たしましょう」
「そうだね」
これだけの大勝を果たしてなお、俺の脳髄は冷え切っていた。
見知らぬ世界の、馴染みのない通貨。
現実味がないことも理由のひとつではある。
だが、最大の理由は、勝利への絶対的な確信だった。
青枠の選択肢が現れた以上、俺に負けはない。
その気になれば、ハノンソル・カジノを潰すことすらできるかもしれない。
その事実が、うっすらとした罪悪感となって、俺を苛むのだ。
自分は、卑怯な手を使っているのではないか──と。
「……お客さま」
ある種の畏敬の念を含んだ表情を浮かべ、ディーラーが口を開く。
「こちらのフロアでは、一度に賭けることのできる金額が、最大でも一万シーグルまでとなっております。もし、より刺激的なギャンブルをお求めであれば、賭け金の天井のない別室へとご案内できますが、如何致しましょう」
「──…………」
「──……」
ユラと、顔を見合わせる。
ようやくだ。
ようやくスタートラインに立つことができた。
「や、やめとこうぜ。二万もありゃあ十分だ。山分けして、ひとり八千ちょい。これだけあれば、学費払ったって、一年は働かずに暮らせるんだし……」
「学費?」
「!」
ナクルが、しまったという顔をする。
しばらく無言で待っていると、沈黙に耐えきれなくなったのか、渋々といった様子で口を開いた。
「……ああ、そうだよ。学費だよ。灯術の教室へ通うために、金が必要だったんだよ。馬鹿にすんなら好きにしろい!」
「?」
ユラが小首をかしげる。
「どうして、馬鹿にされるだなんて思うの? 立派なことじゃない」
たしかに。
手段はともかくとして、自分の学費を自分で稼ぐという姿勢は尊敬に値する。
「──…………」
しばし視線を泳がせたあと、ナクルが白状する。
「……奇跡級の灯術士リィザード=ボブルの灯術教室に通うためには、三千シーグルの学費が必要なんだ」
「うん」
「最初は軽い気持ちだった。たまたま気分がよかったんだと思う。"仕事"で稼いだ百シーグルをチップに替えて、上手い具合に増えればめっけもんだと思った。実際、そのときは十倍にまでなったんだ。こりゃあすぐにでも灯術を学べる。オレには博才があるに違いない。そう思っちまってから、あとはもう泥沼さ。稼いでは負けて、稼いでは負けて、ちまちま金をつぎ込むうちに──」
ナクルが、幼さが残る顔を、くしゃくしゃに歪ませる。
「もうとっくに、合計で五千は負けてんだよう!」
「──……あー」
「うん……」
再び、ユラと顔を見合わせる。
ギャンブルって怖い。
「そういうことなら、この時点で山分けしてもいい。ナクルに八千渡しても、別室へ行けるだけのチップは残るから」
「いやいやいや、そういうことじゃねえって!」
ナクルが俺に詰め寄る。
「カナトの兄ちゃんは、すげえ。最初は正直舐めてたけど、問答無用ですげえよ」
「ふふん」
褒められたのは俺であるにも関わらず、ユラが小さく胸を張る。
意識的にか無意識か、その様子はヘレジナそっくりだ。
「──でも、そんな賭け方じゃあ、絶対にどこかで破綻する。一度の失敗で無一文。せっかく稼いだ金をドブに捨てるようなもんだ」
ナクルの言う通りだった。
どこかでリスクヘッジを取るべきだ。
"選択肢の見えない人間ならば"と、但し書きがつくけれど。
「別室へ案内してもらえますか」
そう、ディーラーに告げる。
「了解致しました」
「ほ、ほら! 恋人ならユラの姉ちゃんも止めろって! 二万だぞ、二万! 二万シーグルが吹っ飛ぶぞ!」
「わたし、カナトを信じてるから」
「あーもー、このバカップル……ッ!」
ナクルが両手で頭を掻きむしる。
「……わかった。わかりましたよ。オレも連れてけ。あんたらだけじゃあ、危なっかしくて仕方ねえ」
「それはいいけど……」
巻き込んでしまうようで、なんだか申し訳ない。
「こちらへどうぞ」
ディーラーが歩き出すと、人垣が割れた。
好奇と嫉妬の入り混じった無数の視線を浴びながら、モーセの気分でディーラーに続く。
俺たちの行く先に、ケレスケレス=ニアバベルがいることを信じて。
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