1/流転の森 -4 影の魔獣

「──ひッ、ひい、ふう、ひ……も、ダメ……」

「ほら、しゃんと前を向け! 男のくせに情けないぞ、アイバカナト!」

 小さいくせに恐ろしく力強いヘレジナの手が、繋いだ俺の手をぐいぐい引っ張っていく。

「そ、そんなこと、言われたって……」

 豪雨に吹雪、砂丘に沼地、虎、熊、狼、大ムカデ──この数時間で幾度の死線をくぐり抜けただろう。

 にも関わらず、ヘレジナはもとよりユラさえ平気な顔をしているのは、俺が情けないのか、この世界の人間が屈強すぎるのか。

 後者だといいなあ。

「──顔を上げて、アイバカナト」

「はひ……」

 ユラの言葉に、反射的に従う。

 すると、

「うッ」

 赤銅色の陽光が、俺の網膜を焦がした。

「西日が射し込んできた。もうすぐ森を抜けるわ。だから、頑張って」

「頑張ります……」

 そう。

 重要なのは西日だった。

 どんな方向音痴だって、日が沈む方角は西だと知っている。

 日が傾いている僅かのあいだ、ルインライン氏も西へと歩を進めるに違いないのだ。

 ある程度距離を詰めてさえいてくれれば、いくらでもやりようはある。

 流転の森のほとりで束の間の休息を取ったあと、俺たちは、すぐ近くの高台へと移動した。

 時刻は午後八時を過ぎ、日はとっぷりと暮れている。

 見慣れたものより遥かに巨大な月が、ここは異世界であると声高に主張していた。

「今言うことじゃないかもしれないけど──」

 強行軍の疲労から、ぼんやりと口を開こうとしたとき、選択肢が現れた。


【白】「星が綺麗だね」


【桃】「ユラはすごいね」


【桃】「ヘレジナは立派だね」


【白】「ルインラインってどんな人?」


「──…………」

 また、新しい色が現れた。

 直感的な話をすれば、桃色から受ける印象はそう悪くない。

 だが、白と赤の中間色であることを考えると、安易に選択できないのが難しいところだ。

 ここは無難に、

「ルインラインさんって、どんな人?」

 と、ふたりに尋ねた。

「我が師だ!」

「知ってる」

「私の師匠なのだから、人格も実力も折り紙つきというものだろう?」

「……まあ、うん」

 ヘレジナの実力は、流転の森で嫌というほど見せてもらった。

 まさに鎧袖一触。

 二刀流の短剣で虎の爪をいなし、親指で弾いた小石で熊の目を潰し、魔術の炎で狼の群れを追い払い、"銀琴"で放った光矢で体長数メートルはあろうかという大ムカデを縦に真っ二つと来たものだ。

 あれ以上の実力となると、ちょっと想像がつかない。

 人格は、もっと想像がつかない。

 俺の困惑を察したのか、ユラが口を挟む。

「ルインライン=サディクルは、〈不夜の盾〉──パレ・ハラドナ騎士団の団長なの。齢六十に近くして、いまだ不敗と謳われる。彼の存在こそが国家間の楔になっている──なんて、大真面目に唱える人がいるくらい」

「……そんなにすごい人なんだ」

 方向音痴なのに。

「でも、緊張することはないと思う。ちょっと敬虔すぎるところはあるけれど、ただの変わったおじさんだから」

「だといいけど……」

「弟子である私に対しては、少々厳しいがな」

 ルインライン氏からすれば、俺なんて、ちょっと目を話した隙に護衛対象にまとわりついていた悪い虫程度の存在だろう。

 問答無用で潰されなければいいのだが。

「そんな人と同行してるなんて、ユラって──」

 そう言い掛けたとき、ユラが、俺の言葉尻にかぶせるように口を開いた。

「さあ、そろそろ行動に移りましょう」

「あ、うん……」

 言いたくない理由でもあるのかな。

 まあ、いいか。

 人にはそれぞれ事情があるのだし。

 遠方の人間に自分の存在を知らせたいとき、取るべき手段は大まかに分けてみっつある。

 聴覚に訴える。

 嗅覚に訴える。

 そして、視覚に訴える。

 どの手段にも一長一短あるが、今回最も適しているのは、視覚だ。

「──…………」

 ユラが、手のひらに息を吹き掛ける。

 すると、指の先ほどの小さな光が手の上に幾つも立ち現れ、くるくるとその場で舞い踊り始めた。

 無数の光は、やがてひとつの球を成し、徐々に光量を増していく。

 直視するのが難しくなったころ、ユラが光球を夜空へ放した。

 高台の周辺のみが、真夏の陽射しより強い光で照らされる。

 まるで、小さな太陽だ。

「夜を待ってよかった。これなら、ルインラインさんもきっと気づくよ」

「そうか!」

 ばん、ばん!

「いだッ!」

 ヘレジナが、俺の背中を力強く叩いた。

「申し訳ない。このような深い考えがあるとも知らず、愚かにもただ感情のみでお前の言葉を否定してしまった。許してほしい」

「そんな、謝ることなんて……」

「非礼を侘びたなら、礼も言わねばなるまい。此度は知恵を貸していただき、感謝に堪えん。アイバカナトがいなければ、合流までに何日かかったことか」

「ヘレジナにそんなこと言われると、なんだかむず痒いな。それに、まだ合流できたわけじゃないんだし」

「ふふん。私は大人だからな。非礼をしたなら素直に謝るし、恩人には礼を欠かさないのだ」

 そう言って、ヘレジナが胸を張る。

「……大人、ねえ」

 見た目も、態度も、どこから見ても、十四、五歳といったところだ。

 大人を名乗るには、十年ほど早い。

「む。何か文句でもあるのか」

「文句はないけど」

「紳士なら、年上の女性にはしっかりと敬意を払え。最低限の礼儀だぞ」

「年上……」

 大人ぶりたい年頃なのだろうか。

「アイバカナト」

「?」

 背後からヘレジナの両肩に手を置いたユラが、いたずらっ子の顔で俺に尋ねる。

「ヘレジナのこと、何歳だと思ってる?」

 すこし高めに答えておこう。

「十六歳、かな」

「むう……」

 何かを諦めたような顔をして、ヘレジナが口をつぐむ。

「……ええと、もしかして、十八歳?」

「──…………」

「十九歳!」

「二十二、なのだが……」

「──…………」

「──……」

 ユラに向き直る。

「マジで?」

「うん」

 まさか、そんな。

 俺よりみっつも年上だなんて。

 地味に衝撃を受けていると、ユラが微笑みながら自分の顔を指差した。

「ところで、わたしは何歳に見える?」

「……十八歳?」

「十五歳だよ」

「マジか……」

 自分の観察眼に自信がなくなってきた。

「つまり、ユラさまより年下だと思われていたのか……」

「……なんか、ごめん」

「気にするな。慣れている……」

 ヘレジナの瞳が、あちらこちらへふらふらと泳いでいる。

 口では気にするなと言っても、本人は大いに気にしているらしい。

「その、なんだ。三十路を過ぎれば、むしろ、若く見られたいって思うように──」

 下手な慰めの言葉をひねり出そうとしていたときのことだった。


【赤】ヘレジナの肩に手を置く


【赤】ユラに向かって苦笑する


【白】視線を逸らす


【赤】時計を見る


 ──瞬間、背筋が総毛立った。

 赤。

 赤。

 白。

 赤。

 何気ない会話。

 そのはずだ。

 にも関わらず、四択のうち三つの選択肢が、明らかに悪い結果に繋がっている。

 何故だ。

 何が起こる?

 その答えを見出だせないまま、ヘレジナから視線を逸らした。

 選択が確定し、世界が色を帯びる。

 ふと地面へと注意を向けたとき、

「……っ!」

 光球が作り出す墨色をしたユラの影が、ぶくぶくと奇怪に膨れ上がりつつあることに気がついた。

 影の頭部を横断するように切れ目が走り、ラグビーボールのような形に開かれる。

 それは、目だった。

 一ツ目の怪物と化した影が、徐々に厚みを帯びていく。

「──ヘレジナ! ユラの影!」

「えっ──」

 ユラが、己の影を見ようと振り返る前に、ヘレジナは既に動いていた。

「疾ッ!」

 腰の鞘から抜き放つ一連の動作でそのまま短剣を投擲し、影の目を地面に縫い止める。

 その瞬間、ユラの影から厚みが失われ、即座に元の大きさへと立ち戻った。

「影の魔獣! 夜を渡ってきたのか!」

 ぎい、ぎい。

 ぎい、ぎい。

 壊れた蝶番のような音が、周囲にこだまする。

「……ありがとう、アイバカナト。危ないところだったのね」

「今のが魔獣?」

「ええ。どうやら、つけ狙われていたみたい」

 ぎい、ぎい。

 ぎい、ぎい。

 この音は、魔獣の鳴き声だろうか。

「ユラさま! お怪我はございませんか!」

「大丈夫。それより、魔獣がわたしの影に囚われているあいだに──」

 言葉を紡ぎながら、不意にユラが身を屈める。

 そして、

 影に刺さった短剣を抜き、

 その刃先で自らの喉を刺し貫こうと──

「ユラ!」

 俺が事態を正しく理解する前に、ヘレジナの二本目の短剣が、狙い違わずユラの短剣を弾いた。

 ユラが体勢を崩す。

 だが、相当な力で握り込まれているのか、ユラの右手には変わらず短剣の姿があった。

「ユラさま、お気を確かに!」

 崩れた姿勢のまま、ユラが苦しげにうめく。

「──から、だ、……の、自由が……」

 ぎい、ぎい。

 ぎい、ぎい。

 無機質なその鳴き声に愉悦が混じっているように聞こえるのは、気のせいではあるまい。

 世界が漂白され、選択肢が眼前に現れる。


【黄】ユラから短剣を奪う


【赤】落ちた短剣を拾う


【赤】逃げる


【黄】様子を見る


 色を失った世界で、俺はただただ呆然とする。

 黄。

 赤。

 赤。

 黄。

 そんなのってアリかよ。

 どれひとつとして、安全な選択肢がないじゃないか!

 赤枠の選択肢は論外だ。

 選ぶことを想像しただけで、怖気が走る。

 俺の無意識が、本能的に危機を察知しているのかもしれない。

 選び得るのは黄枠の選択肢のみ。

 すなわち、

 ユラから短剣を奪うか、

 あるいは様子を見るか。

 前者を選べば、俺自身が魔獣とやらに操られる可能性がある。

 ユラを助けるためと割り切ったとしても、容易に短剣を奪えるとは思えない。

 後者は、どうなのだろうか。

 状況が進めば進むほど、事態は悪化していくように思われる。

 それならば、迅速に行動したほうが良いのではないか。

 思考が堂々巡りを繰り返す。

 前者を選ぶべきか、後者を選ぶべきか。

 わからない。

 心中で頭を抱えていると、


 ──す、と。


【黄】ユラから短剣を奪う


 この選択肢が掻き消えた。

「えっ」

 口から間抜けな声が漏れる。

 何故消えた。

 どこへ消えた。

 色のない世界を見渡すと、理由はすぐに知れた。

 ユラに巣食う魔獣が、今まさに、ヘレジナへ向けて短剣を投げ放つところだったからだ。

 短剣を持っていなければ、短剣を奪うことはできない。

 自明の理だ。

 それより、衝撃的な発見があった。

 俺は、選択肢が出ているあいだ、時間が止まっているのだと思い込んでいた。

 選択肢を決定するまでに、いくらでも猶予があると勘違いしていたのだ。

 だが、実際は違った。

 猶予はある。

 だが、それは、永遠ではない。

 世界が色を失っているあいだも、時間は、ゆっくりと、しかし確実に流れていく。

 タイミングを逸すれば、また選択肢を失うだろう。

 短剣を奪えなくなった以上、様子を見る以外に道はない。

 そう決意すると、世界が彩色された。

「──…………」

 様子を見る。

 動かない。

 一歩を踏み出したい衝動と戦いながら、その場に足を縫い付ける。

「避け、て……ッ!」

 ユラに取り憑いた魔獣が勢いよく投擲した短剣を、ヘレジナが指二本であっさりと受け止める。

「心配めさるな! このヘレジナ=エーデルマン、短剣の百本や二百本、容易く受け切ってみせますとも!」

「違うの!」

 ユラが、悲痛な叫び声を上げる。

「魔獣の魂胆は、そんなことじゃない! いま、短剣の影に潜んで──」

 ぎい、と。

 魔獣の鳴き声がした。

 ユラではない。

 ヘレジナの足元からだ。

 見れば、ヘレジナの影が厚みを帯び始めている。

 ぎい、ぎい。

 ぎい、ぎい。

 笑っている。

 俺には、そう感じられた。

「──アイバカナト」

 ユラへ向けて短剣を腰溜めに構えながら、ヘレジナが口を開く。

「できるなら、私を殺せ。できないのなら、ユラさまを連れて逃げろ。私に背を向けて、二度と振り返るな。ヘレジナ=エーデルマンの旅路はここで終わる」

 ヘレジナが、気丈な笑みを浮かべる。

「せめて、師匠と合流するまで、ユラさまを慰めてあげてほしい。ユラさまは、とてもお優しい方だから」

「ヘレ……、ジナ?」

 ヘレジナの言葉を理解したくないのか、ユラが呆然と立ち尽くす。

「──さあ、行け!」

 ああ、そうか。

 ひとりで勝手に納得する。

 俺は、許せなかったんだ。

 嫌で仕方がなかったんだ。

 少女は、愛犬を助けようと車道に飛び出した。

 ヘレジナは、ユラを守るために、自らの命を差し出そうとしている。

 自己犠牲なんて、くそ食らえだ。

 誰かのために躊躇なく危険の渦中へ飛び込めるような人間は、生きて幸せにならなきゃ嘘だ。

 だから、助ける。

 得体の知れない能力を活用してでも、必ずふたりとも助けてみせる。


 俺の覚悟に呼応するように、選択肢が現れた。


【赤】弾かれた短剣を拾う


【赤】ひとりで逃げる


【赤】ユラを逃がす


【黄】ユラとふたりで逃げる


 実質、一択だ。

 呆然としているユラの手を引っ掴み、光球の反対側へと駆け出す。

「アイバ、カナト……?」

「舌噛むよ!」

 そのまま高台を一気に駆け下りようとしたとき、右肩に、強く殴られたような衝撃が走った。

「ぐ、うッ……!」

 だが、振り返る余裕はない。



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