1/流転の森 -3 流転の森

「──死んで、気がついたらここにいた?」

「はい……」

 ぱち、ぱち。

 魔法で着火された薪の爆ぜる音が、泉のほとりを賑わせる。

「何を馬鹿なことを。ここが死者の世であるなどと、罰当たりにも程がある。運命の女神エル=タナエルがお創りになられたのは、唯一この世界のみだ。人は、死ねば、銀の輪が回るように、転生してこの世に生まれ直す。敬虔な信徒のみがエル=タナエルの御許へ行くことを許されるのだ。銀輪教の信徒であれば、そんなことは三歳の幼子でも知っている」

 そんなこと言われたって、知らないものは知らないのだ。

「アイバカナト」

 黙って俺の話に耳を傾けていたユラが、ふと俺の名を呼んだ。

「あなたのいた世界は、どんな場所だったの?」

「どんな、って──」

 当たり前を言葉にするのは、案外難しい。

 焚き火を見つめながら、答える。

「……少なくとも、魔法はなかったかな」

 ヘレジナが、してやったりという顔をする。

「ふふん、ボロが出たな。魔術がなければ火すら起こせまい。料理のたびに木を擦り合わせるのか?」

「──…………」

 常識が、かなり根深いところから異なっている。

 魔法を前提として発展した世界と、魔法に頼ることなく発展した世界。

 食い違うのも当然だ。

「俺のいた世界には、簡単に火を起こせる道具があったんだ。マッチとか、ライターとか、ガスコンロなんかもそれに入るかな」

「そんな道具、聞いたこともないぞ」

「……たぶん、だけれど」

 一拍置いて、ユラが言葉を継ぐ。

「魔術が存在しない代わりに、技術が発達した世界なのだと思う。火を起こすために専用の道具を作り上げたように、他にも、魔術に代わるいろいろな道具があったのでしょう」

 聡い子だ、と思った。

 自分の常識や価値基準をいったん捨て去り、相手の立場に立って考えることができている。

 もし逆の立場であれば、俺は、ユラの言葉を真摯に受け止めただろうか。

「──あ、そうだ!」

 慌ててジーンズのポケットを探る。

「俺たちの世界が作り上げた科学技術の結晶が、これだ!」

 電波は届かないにしろ、スマホで写真でも撮ってみせれば一発じゃないか。

「……?」

「なんだ、この板は」

 興味津々といった様子で、ふたりがスマホの画面を覗き込む。

「まあ、見てて」

 親指でホームボタンを押す。

 すると、

「ねこ……」

「ほう、実に緻密な絵だ」

 壁紙に設定してあった愛猫の写真が数秒だけ表示され、すぐに掻き消えた。

「あれ?」

「どうした。見えなくなってしまったぞ」

「──…………」

 よく考えたら、このスマホ、防水じゃなかった。

「壊れてしまったの?」

「たぶん……」

「そもそも、これは、何をするための板なのだ」

「いろいろできるけど、主目的は電話かな」

「デンワ?」

 ユラが、小首をかしげてみせる。

「ええと、遠くにいる人と会話できる、みたいな」

「──ッ!」

 ヘレジナが、唐突に立ち上がった。

「なっ、なに……?」

「その道具、直すことはできないのか?」

「今、ここで?」

「ああ」

「さすがに無理かな……」

「……そうか」

「たとえ直せたとしても電波が通じないだろうし、そもそも相手が同じものを持っていなければ通話できないんだ」

「制約が多いのね」

「一気に事態を打開できるかと思ったのだが……」

「誰か、話したい人がいたの?」

「──…………」

「──……」

 ユラとヘレジナが、互いに顔を見合わせる。

「一蓮托生。アイバカナトにも協力してもらいましょう」

「あまり戦力になるとも思えませんが」

「仮にそうだとしても、右も左もわからない彼をこの森に置き去りにすることはできない。それは、エル=タナエルの教えに反することだわ」

「"運命の銀の輪は、あなたの隣人が回す"──ですか」

「ええ。それに、別世界の知識が役立つことがあるかもしれない。期待はしないけれど、それほど邪魔にもならないでしょう」

 秘密会議なら、聞こえないところでやってほしかった。

「アイバカナト」

 ユラが、こちらへと向き直る。

「ひとまず、こちらの事情を聞いてほしい。そして、できれば協力してほしいの」

「──…………」

 選択肢が出るかと身構えていたが、その気配はなかった。

 悩むまでもない提案だからかもしれない。

「そんなの、こっちからお願いしたいくらいだよ。ここに置いて行かれても、途方に暮れたまま餓死する未来しか見えないし……」

 わからないことだらけだが、ユラとヘレジナに出会えたことだけは僥倖だ。

 死んで生き返ってまたすぐに死ぬだなんて、間が抜け過ぎていて笑い話にもならない。

「ヘレジナ」

「了解しました。それでは──」

 ヘレジナが、巨大な荷物の中から、紐でくくった羊皮紙を取り出す。

 それは、見知らぬ文字が無数に書き込まれた地図だった。

「……何語?」

「北方十三国の共用語だ。国によって僅かな違いはあるが、たいていは通じる」

 今まで気にも留めていなかったが、何故、異世界の住人である彼女たちと、不自由なく意思の疎通が図れているのだろう。

 不可解だが、考えてすぐ答えが出るたぐいの問いではなさそうだ。

「我々が今いるのは、ここ。パラキストリ連邦ザイファス伯領にある、"流転の森"と通称される場所だ」

「流転の森……」

「聞き覚えはあるか?」

「全然」

 だろうな、という顔をして、ヘレジナが続ける。

「我々は、パラキストリの隣国であるパレ・ハラドナから来た。目的地は、ザイファス伯領の西端にある"地竜窟"。流転の森は、旅路のちょうど中間点に当たる」

 ヘレジナの指先が、地図の上を軽やかに滑る。

「だが、流転の森とは、言わば迷いの森だ。千年前の神人大戦の折、大魔女アイロマスランドが要害として作り上げたものと語り継がれている。入るは易く、出るは難し。ここでは、あらゆるものが"流転"する。木々も、地形も、季節さえもだ。この泉の周辺は初夏の気候だが、先程通った獣道では雪が降っていた」

「そんな厄介な場所なら、迂回すればよかったんじゃ……」

 俺の素朴な疑問に、ユラが答える。

「わたしたちには時間がないの。流転の森を迂回すれば、旅程が五日は伸びる。それでは到底間に合わない」

「それゆえ、案内人を雇い、森を突っ切ることにしたのだ」

「案内人?」

 周囲を見渡すが、それらしい人影はない。

「──くそッ! あの忌々しいエセ案内人め! 次に会ったらギッタンギッタンのバッタンバッタンにしてやる!」

 ヘレジナが地団駄を踏む。

 なるほど。

 事情はなんとなく飲み込めた。

「つまり、どうにかしてこの森を抜けなきゃならないわけか……」

「……実を言うと、問題はそれだけではないのだ」

「他にもあるの?」

 俺の言葉に、ユラの表情が曇る。

「道中、魔獣に襲われたの。そのとき、仲間のひとりとはぐれてしまって」

「……そっか。それは心配だね」

「心配?」

 きょとん。

「ふふん。エロバカナトごときが我が師の心配をするなど、烏滸がましいにも程がある!」

「はあ」

「ユラさまが気にかけておられるのは、師匠が──その、なんだ。誠に遺憾ながら、いささか方向音痴の気がないこともないからであろう」

 ダメじゃん。

「ルインラインが方向音痴でさえなければ、いったん森を抜け出て、近くの村で落ち合うこともできたのだけど……」

「──…………」

 大丈夫なのかな、この一行。

 心配になってきた。

「その言い方だと、流転の森から出ること自体は、そこまで難しくないのかな」

「ええ。空模様によるけれど、月を見れば方角はわかるから」

「なるほど」

「可能なら、日が沈む前に師匠と合流したいのだ。妙案を出すことができれば、エロバカナトと呼ぶのをやめてやらんこともないぞ」

 そう言って、ヘレジナが胸を張る。

「できれば、普通にやめてほしいんですが……」

「ふふん。ユラさまを下劣な視線で穢した罰である」

「不可抗力だってば!」

 ヘレジナと不毛なやり取りをしていると、

「──ふふっ」

 ユラが、嫋やかな笑い声をこぼした。

「ヘレジナが男の人と楽しそうに話している姿なんて、初めて見たかも」

「……そうなの?」

「ユラさま、その言い方は誤解を招きます。私の言動はすべて、この男を牽制してのこと。楽しんでなどおりません」

 すごい楽しそうだったけどなあ。

 ともあれ、はぐれた仲間と合流する方法か。

 何通りかは思いつくけれど──

 思考を巡らせた瞬間、世界が色を失った。


【白】狼煙を上げる


【黄】ルインラインの痕跡を探す


【赤】大きな音を立てる


【青】先に流転の森を出る


 今度は四択か。

 生憎と、赤枠を選択する蛮勇は持ち合わせていない。

 青枠の選択肢があるのなら、それを選ぶに越したことはあるまい。

 そう決意すると、すぐに世界が色づいた。

「──ええと、方角がわかれば森を抜けられるんだよね」

「逐次月を確認して進行方向を修正する必要はあるけれど、それさえ怠らなければ、出ること自体は難しくないと思う」

「そっか。幾つか確認したいことがあるんだけど、いいかな」

「ええ」

「この世界では、太陽はどう動く?」

「どう──、とは?」

「東から昇り、南を通って、西へ沈む?」

「何を当たり前のことを……」

 ヘレジナが呆れたように言う。

 なるほど、北半球か。

「現在の正確な時刻ってわかるかな」

「ヘレジナ」

「はい」

 ヘレジナが、胸元から懐中時計を取り出す。

「午後三時をすこし回ったところだな。出立前に時間を合わせたばかりだから、ずれていても三十分程度だろう」

「時計はあるんだね」

「……もしかして、我々を小馬鹿にしていないか?」

「してないって! 時間も魔法でわかるかと思ったの!」

「まったく、そんな特異な魔術があるはずなかろう」

「基準がわからない……」

 呟きながら、腕に着けた愛用の自動巻き時計を確認する。

 三時十二分。

 偶然に過ぎないのかもしれないが、時刻を調整する手間がないのはありがたい。

「──それは、もしかして時計か?」

 ヘレジナが、俺の腕を覗き込む。

「あ、うん。腕時計」

「なんと精巧な……」

「別の世界から来たこと、信じてくれた?」

「その点に関しては、もう疑っていない。ユラさまが信用しているのだ。従者である私が下衆の勘繰りをしてなんとする」

「……そっか。なら、信用には応えないとね」

 ヘレジナが薪として集めてきた木の枝のうち、比較的まっすぐな一本を手に取る。

 そして、陽光の降り注ぐ一角に、それをぐさりと突き立てた。

「? 何をしているの?」

 影の方向に時計の短針を合わせ、文字盤の十二時方向と二等分した方角を指差す。

「こっちが北。だから、向こうが西だ」

「──…………」

「──……」

 ユラとヘレジナが顔を見合わせる。

「そうなの、ヘレジナ」

「いえ、その、わかりません……」

「……ええと、理屈とか説明したほうがいい? そんなに難しくはないんだけど」

「構わないわ。アイバカナトに嘘をつく理由はない。理屈を聞こうと聞くまいと、信じるという結論に揺るぎはないもの」

 そこまで信用されると、なんだかくすぐったいな。

「俺は、日が高いうちに森を出るべきだと思う」

「どうして?」

「単に危険だからだよ。夜目がきかない。足場も悪い。おまけに俺っていう足手まといまでいる。これじゃあ、夜行性の動物にエサをやるのとそう変わらない」

 詳しくはわからないけれど、魔獣とかいうヤバげなのもいるらしいし。

「……では、師匠を置いていけと?」

 ヘレジナの声音が怒気を帯び、低くなる。

 ここで、選択肢が現れた。


【青】自分の考えを話す


【黄】口をつぐむ


【白】話を逸らす


 ならば、

「そうは言ってない。ただ、合流地点を変えるべきだって提案をしてるんだ」

「……ッ!」

 たまりかねたように、ヘレジナが声を荒らげる。

「師匠を置き去りに森を出ることには変わりあるまい! 殺しても死なない御仁ゆえ命の心配こそないが、師匠はこの旅路に必要な方なのだ!」

「──…………」

 ユラが、ヘレジナの前に立つ。

 こうして見ると、ヘレジナはユラよりだいぶ身長が低い。

「主として命じます。落ち着きなさい、ヘレジナ=エーデルマン」

「ですが──」

「二度は言いません」

「……──は」

 ヘレジナが、ユラの前で片膝をつく。

 仲が良いように見えて、やはりこのふたりは主従なのだ。

「アイバカナト。あなたの考えを、一から聞かせてくれる?」

「いいけど、ひとつだけ確認したいことがあるんだ」

「なにかしら」

「こんな魔法──魔術? 使えないかな。使えたら、とても都合がいいんだけど」



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