世界樹のその下で

瀬塩屋 螢

グッバイ、ヒューマンワールド

 悔いはある。これからの世界を視れない事だ。

 だけど、君がいないのなら、この世界では僕は独りだ。

 

 独りでは生きていけない。


 だから僕は『世界樹』の下で、彼女に深くくちづけを交わした。


 『ハクブツカン』は今日も活気にあふれている。

 学習塔から見学の学習幼児と、その統率員が、毎日のようにやってくるのだ。人類の輝かしい制圧の歴史を、学習幼児に教えていくために。

 僕は、彼らに適当な注意を二、三個上げて、残りの案内を助手のエビに託した。作り笑いが上手な彼女は、オフク式の白衣とそれと同じだけ長く一直線に揃えた黒い髪を揺らしながら、彼らの前に立つ。


「はぁーい、みなさんこんにちは。『ハクブツカン』助手のエビ・JP・ユグナオースです。今日は……」


 上級監察官とも退けを取らない。数秘的に整った彼女の笑みに、湖面が凪ぐように学習幼児たちは騒めきを消していく。

その現金さに、僕は苦笑いを浮かべるしかない。快活そうに喋り出した彼女を確認し、俺は彼女に背を向ける。

 そのまま、『入場禁止』と書かれた張り紙のある暗い通路の奥へ歩いた。


 通路に入り、腕に巻かれたバンドに軽く触れる。

 足元の小さく続く光とは別に、眼前に明るく四角い光が現れた。


 僕は足を止めることなく、その光を見つめる。

 青白い光は、絶妙な色彩を持って館内の一角を映し出す。

 ガラスの中が燃えていたり、結晶が浮かんでいたりするものの目立った変化はない。この映像は最終ホールのもの。動いていないのは当然か。

 バンドに軽く触れて、画面を動かす。

 何個か画像が切り替わると、そこにエビと学習幼児たちの影が見えた。


「……そして、ここが『植物』のホールです。『植物』は、強い毒性を持つものや、その浸食によって生態を脅かすものがあります」


 彼女の口調は淡々としているようだった。けれど、僕には分かる。エビのその声は怒りを含んでいる。

 人に都合のいい部分だけ強調して、すべてを淘汰していった人の歴史を、知らないフリして語る怒り。


 こちらはこちらで作業がある。順調なら問題ない。通路の出口も近付いてきた。僕は画面を閉じて、光が射すその場所に足を踏み入れる。


 円錐形の光が満ちた空間。円錐の内側にはびっしり抽斗ひきだしが付いている。ここは『ハクブツカン』の秘蔵中部。人間が根絶やしにしてきた『動物』や『植物』の種を保存する場所。

 見た目はこの建物と同じく、建物三階分までの抽斗しかないように見えるが、抽斗は幾層にもなっており、地下にも隠されているので、その量は膨大である。

 上の開閉式の天窓からは、灰色の空がのぞいてる。


 何故この場所が存在できているかと言えば、それは人が正しい行いをしたと証明、説明できる場として、『ハクブツカン』が設けられたからだ。

 その際、証拠がある方が何かと都合がいい。

 そういう名目をこしらえて、昔の一部の人はその圧力からを守ったのだ。


 僕は廊下から歩いてそのまま正面のディスプレイの元へ向かう。

 正しいパスコードを入力する事で、棚の整理やデータの閲覧が可能なディバイス。パスコードは僕とエビしか知らない。

 ディスプレイに軽く触れて、俺はディバイスのロックを解除する。


 ブゥン。と音を立てたディスプレイが動いた。


『前のデータを読み込みますか?』

 

 無機質に浮かぶその文字列に、イエスの代わりにキーを叩く。


 画面の中心から、白い光が漏れてディスプレイが白に染まる。

 

 ディスプレイの端から、空気の抜ける音がした。そして、抽斗の前にスライドしていき、更に奥の通路が現れる。


 ここから先は、外部には絶対漏らしてはいけない場所だ。僕は背後を確認して、その奥へ進んだ。


 そこには、大地が広がっていた。


 正確には、ホログラムで再現された仮想空間だが、本物を見たことない以上、僕にとってこれこそが大地である。


 土に草に空に雲。

 どれも強い色を持ち、オフクの果てまで続いている。

 ふと、足元に目をやると、青く小さな花が仮想空間の風にそよいだ。

 変化はそれだけではなかった。


 草が揺らめいて見せた先から、赤や黄色の花が生まれる。

 土と空との空間のを埋めるように、背の高い茶色の『植物』が生える。

 その茶色いオークと言う樹はやがて、緑色の葉を頭に繁らせた。

 草地のままの部分には、角や牙を持つ『動物』鹿や猪の姿も見える。

 宙を泳ぐ蝶という『動物』も、真っ青な身体で『植物』の間を飛び回った。


「安定してきているね」


 横から、落ち着いた若い男声がした。


「保存種の外壁から当時データのスキャンに成功したので」


 僕はそっけなく答える。

 それでも、彼は嬉しそうに顔を緩ませる。


 彼もまたホログラムだ。

 この施設を作った遥か昔の人の知性をベースに作られた。カミィと名乗った存在。

 僕やエビに、この世界の本来の姿を教えてくれた人。


 この空間の基礎は彼が作った。

 保存した種にまつわる文献や、種そのものから吸い上げたデータをリアル化し、遥か昔の環境を再現する。種の選択は入り口にあったディバイスで選択でき、ここはエビのお気に入りだけが詰め込まれている。


「これだけ出来ているのであれば、十全だ。今から計画を実行しよう」


 計画を実行する。

 心臓が大きく鐘を打つ。それは、この世界への反逆を意味するからだ。


「君達は、本当の地球を知っている。これは、再生なのだよ」


 彼は囁くだけ。甘美に。


「やろう。アブァーム」


 いつから話を聞いていたのか、エビは凛とした声で頷いた。

 そして、パレードは始まる。


 はじめ、群衆は何が起こったのか、目の前の光景を理解出来なかった。

 混乱や戸惑い。中には、狂乱する者もいた。


 ホログラムの『動物』が列をなし、彼らが踏みしめた道路に『植物』が咲く。

 非現実的で、幻想めいた光景だった。


 僕らの進行を、止めるものはいなかった。

 こちらに気付いた人は、奇妙な声をあげながら、立ち去るか。その場に立ち尽くして、誰かに引っ張られるかして、逃げまどったのだ。


 それはそれは幸いなことだった。

 所詮はまやかし。街の中心から『ハクブツカン』へ続く電気管の電力を高め、疑似仮想空間を作り上げただけの事。

 本当の目的は、『ハクブツカン』から種を放出する事。

 それが、奴の言う作戦だった。


 長く保管をしているので、よくて復活は半分以下だろう。だが、あのままなら世界に放たれる事なく全てが廃る。

 はりぼてが長く保てば、保つほど拡散する種は多くなる。


 やがて、街の中心。

 『世界樹』の元へ着いた。

 そこは、白い外壁の大きな塔で、街の管理をしている場所。

 流石に、騒ぎすぎたらしい。『世界樹』の下では、黒い服を着た上級監察官達が待ち構えていた。


 エビの手を強く握る。

 彼女も言葉は発しなかったが、僕の手を強く握り返す。立ち止まる事なく、『世界樹』の影を踏む。


「止まれっ!」


 街の音すら止める、監察官の声が響いた。

 そして、一つの破裂音。


 僕の手を握っていた力がすっと消えて、滑り落ちていく。彼女が頭を打たないように、僕は彼女を抱き抱え、その重さに耐えきれず、彼らに背を向け倒れ込む。


 視界の奥で、『ハクブツカン』から白い風船が沢山飛んでいくのを眺めて、僕は笑った。


「何が、可笑しい」


 彼女を撃った監察官は顔を歪ませて、銃をこちらに構えた。

 そいつを無視するように、僕は懐から小瓶を取り出た。

 透明な中身を一気に煽る。

 少し甘味あまみのあるそれは、毒性のある植物の種から作ったもの。

 しばらくすれば、効果は表れるだろう。


 その前に、僕は世界よりも白く染まる彼女の唇に、深く長い口づけを交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界樹のその下で 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ