拡散する種の噂

九十九

拡散する種の噂

「拡散する種、と言う物を君は知っているかい?」

 夕暮れ時、古びた椅子の背凭れに添って背筋を伸ばしながら、教授は尋ねた。

「それは、何かの暗喩ですか?」

 尋ねられた純朴な青年は、仕分けていた資料の束を抱えたまま首を傾げる。

「いや、そのままの意味だよ」

 教授は更に背筋を伸ばすように身体を反った。凝り固まった背中から小気味の良い音が鳴る。

「えっとじゃあ、マスメディアとかSNSとかの用語ですか? 情報を拡散させるために使う話の種とかそう言う奴です?」

 青年は右から左へと一度、視線を動かした後、自信なさげに答えた。実際に「拡散の種」なる単語を聞いたことは無かったが、もしかしたらそう言った言葉が界隈では使われているのかも知れない、と青年は教授の答えを待つ。

 しかし教授の答えは、苦笑の後に首を横に振ると言うものだった。

「そう言う単語の使われ方をしているのかも知れないけれど、私が言っているものは違うものだ」

「そうですか。ううん……」

 青年は数分、記憶の中に「拡散する種」なるものが無いかと考え込むが、全く取っ掛かりが見えない。

「駄目です。分らないです」

 青年は教授に降参を訴える。

 教授は苦笑のまま「多分そうだろうと思った」と頷いた。


「それで、なんなんですか『拡散する種』って?」

「そうだね、その前に。君は占いや呪いの類いをした事は有るかい?」

 急に話の腰を折られた青年は、きょとんとした顔で教授をまじまじと見つめた後、過去を思い出すように視線を下へとずらした。が、直ぐに教授へと視線を戻し、首を振った。

「小学校の頃とかそう言うのは無かったのかい?」

「女子はやってましたけど、男子はもっぱらカードゲームに忙しくて流行らなかったんですよね」

「ああ、成程」

 教授は頷いて、容易に思い浮かぶのだろう子供達の光景を微笑まし気に笑う。

 ひとしきり笑った後、教授は「それでね」と話を続けた。

「君はあまり実感が湧かないかも知れないんだが、私の言った『拡散する種』と言うのはね、占いや呪いの物らしいんだ」

「えっと……?」

「そのままの意味だと言っただろう? 『拡散する種』とはまさしく、種なんだ。何の種かは分からないが植物の種の形をしている。そうしてその種は、今、ある種の人気を伴って若い子達の間で占いや呪いに使われているようだ」

「つまり『好きな人の名前を書く消しゴム』って事ですか?」

「ああ、あったよね、そう言うの。うん、そう。そう言う感じ」

 にこやかに返す教授に青年は成程、と頷く。

「つまり何かの占いとかお呪いとかの媒体なんですね、拡散する種って。でも、具体的にはどんな占い……或いはお呪い? に使うんです?」

「何でもいいんだよ」

「え、何でも?」

 青年は驚いた声を出して、身を乗り出した。

「おや、乗り気だね。何か叶えたいことがあるのかい?」

「ああ、いえ。興味が有るから驚いたんじゃ無くてですね。大体占いとかお呪いって、目的とか使い場所が絞られているじゃないですか」

 占いや呪いは、例えば恋愛に関してとか例えば未来に関してとか、そう言う大きなジャンル分けがあって、好きな人と結ばれるとか将来は大家族だとか、更に細かく細分化されているものだと青年は思っていた。

 そう言った見解の違いを青年が教授に伝えると、教授も納得したように頷く。

「まあ、多くの場合がそうだね。若い子達が簡単に出来るような呪いなんかは、特に流行りやすいものに関して言うと目的が絞られている場合が多いよね。恋のお呪いは最たる例だ」

 けれど、と教授は続ける。

「不思議な事に『拡散する種』はお呪いだ。もしも、未来の事を知りたいのだと願ったら、占いにもなる。……それでなんだが、君はこの呪いに関してどう思う?」

「えっと……怖い、ですね」

 頬を掻きながら眉根を下げて青年は教授の質問に答えた。

「それは何故?」

 純粋な疑問として教授は尋ねた。

って言われると、知らない内に何か大きな代償が発生しそうで正直怖いです。占いやお呪いって手順を経て行いますよね?」

「うん、子供達がやるものでさえ手順は付いて回るし、そう言う専門の人がやるとなったら特にそうだね」

なんて大それたお呪いをやるのなら、それなりの手順が必要そうですが、人伝えに聞くと省かれていたり、ローカルルールみたいなのが付いていたりして、ちゃんとした手順になっていない様な気がするんですよね」

「確かに、流行ったが故に何時の間にか最初の伝聞から変化していたりするね」

「そうなんです。それで手順を間違えてやっちゃって、思わぬ代償を払いそうで怖いです。それに、もしかしたら元々は全然違う意味合いのお呪いでって言うのも有りそうで、殺虫スプレー掛けていた筈が、樹液スプレーを掛けていましたなんて事になってたら嫌じゃないですか」

 青年は困った様に笑って、そう言うのが怖いんです、と言った。

「あ。後、昔やるなって言われていた占いとかお呪いとかって大体、人伝えで聞くとお呪いに変化しているんですよね」

 具体的な例を思い出して若干、顔を青褪めさせた青年に対して、教授は困った様に笑って同意を示した。


「でも『拡散する種』って結局何なんですかね?」

 仕分け切った資料を片付けながら、青年がぽつりと呟く。日はもう殆ど沈み、室内を電気が明るく照らす。

「興味が……?」

「無いです。……でもってどう言う事かなって」

 青年の即座の返答に、揶揄っただけだ、と教授は笑った。青年は面白そうに笑う教授を不満そうに見詰めた後、そう言う。

「種が溶けるんだってさ」

 手に持っていた砂糖をコーヒーの中に落としながら、教授は言った。

「種なのに?」

「見た目は植物の種って感じらしいんだけど、お酒に入れると拡散するんだって。色の付けた水を透明な水に流し込んだように、種が溶けてお酒を変えるんだって」

「だから、拡散する種?」

「そうらしい。そして、そのお酒でお願い事をするらしい」

「なんか、ふわふわとした話ですね」

「噂のお呪いなんか皆、素性が掴めないさ」

 教授は笑い、砂糖が溶け切ったコーヒーを一気に呷った。


「あれ? でも教授、さっき若い子の中で流行っているって言っていましたよね?」

「うん」

 帰り支度を終え、さて帰ろうか、と言う所で青年は何かを思い出したように教授に尋ねた。教授は頷き「それがどうかしたのかい?」と尋ね返す。

「種ってお酒に溶かすって……」

 手順の中に飲む工程が含まれるのか青年には分らない。が、単純に使うにしても未成年には手に入れにくいのではないか、と青年は首を傾げる。

「うん。水なり炭酸水なり香水なりに変わっていたよ。飲んだり、字を書いたり、吹きかけたり、大変そうだ。つまり、とっくの昔に呪いは変化して伝わっているようだから、どんな代償があるかは分からない。君はやらない方が良い」

 穏やかな声で教授は言うと、颯爽と歩き出してしまった。

 青年は青い顔で、え、とだけ声を溢すと、慌てて教授の後を追った。



「人伝いの呪いほど、不確定な物は無いよね。間に人が入れば入るだけ変化してしまうから尚更だ。彼が賢い様で不安が一つ減ったから良かった」

 気に入っている子供が下手に流行りに乗らないかと心配していたが、取り越し苦労だった様で、教授は安堵する。

「何も無いと良いね」

 インターネット上の「拡散する種」に関する纏めやコメントに目を通しながら、ぽつりと呟く。

 部屋の中、教授は穏やかに笑むと種を一つ掌の上で転がした。

 

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