第3話 大海にて

 ドルクは冷静に対処した。躱すのでなく受け止めるでもなく、『いなして』デュオンの背面に肘を叩きこんだ。

 デュオンは呻きこそすれ、さして動じずにすぐさま反転して腕を払う。

 が、一手早く、ドルクの素早い連撃がデュオンの急所に放たれていた。指を固めて集めた貫手である。

「『群蜂』」

 今度はデュオンも痛みを覚えてぐらついた。

 すかさずドルクは彼の脛へ蹴りこみ、頭突きを顔面に叩きつける。

 頭突きは抑えたデュオンだったが、再度脛を蹴りこまれ顔を顰めると後退する。

 ドルクは追撃せずに、他の『我ら』が動かないか警戒して鞭と剣をかざした。父に教わった格闘術は想像通りに通じる、次は武器を用いるのだ。

 輿を僅かに開けて、密かに観察していたニッキは初めて見る彼の技量に驚いた。心細い逃亡生活で、初めて寄りかかれる大樹を得た気分だった。

 赤子は変わらず嘲笑していたが、それでも腕は認めざるを得なかった。

「けひひっ、消える前の蝋燭ってかねえ」

 一方で、デュオンは口笛を吹き、他の『我ら』も感心しているように見えた。『敵』というよりも、聞き分けのない子供が見せた才覚の片鱗を喜んでいるようだった。

 仮面と美形は険しく推移を見守っている。

 ドルクはそれらを侮りと受け取り、軽い興奮と共に様子見を捨ててデュオンに突進せんとしたが、当の本人は躊躇なく後退して戦闘を離脱してしまっていた。

「おい⁉」

 吠えるドルクの前に、ふわりとイエニスが降り立ってきた。羽や綿毛のように軽やかで、抜かるんだ土の上に立っているのにめり込みも泥から水がしみ出しもしなかった。

「素晴らしい腕だ。それを惜しんで言おう、私たちと来なさい。同行するだけでいい、より強くなれる」

「もう十分強いさ」

 父の武術への絶対的な信望がドルクにはあった。

 イエニスはゆっくりと首を横に振る。

「世は広い、私だってまだまだ弱弱しい。だから皆に助けてもらい、鍛えて大望を果たそうとしているんだ」

「俺には父の教えてくれた強さがある、最強を証明してニッキだって守る―」

 ドルクは倒れていた。

 なぜそうなったのか、全くわからない。ただ、半身に感じる泥と水の冷たさ、その中にいる虫どもに這われている感触に倒れたことを理解した。脇腹に鋭い熱を伴った痛みがあったことで、原因も察知できた。攻撃を受けたのだ。

 慌てて立ち上がる。

 目の前には変わらぬ体勢の涼やかなイエニスがいるのみで、他の『我ら』、デュオンも動いた形跡がない。

 赤子が嘲りながらドルクの耳を掴んで囁いた。

「『胎矛具』かなあ?」

「分かるのか?」

「ううん、パパンを困らせたいだけ」

 ドルクは舌打ちしつつ鞭を振るった。

 イエニスは見切って僅かに屈んだのみで、首を狙った一撃を回避した。空を切った鞭は木の幹に当たりドルクの元へ跳ねたが、深く抉られたような跡を残している。

デュオンらは再度感心し、拍手すらしていた。獣の牙を埋め込んだ鞭であるが、ここまで深く傷がつくのはドルクの技量故である。

 輿の中でニッキが歯噛みしながら叫んだ。

「早くやっつけるの!」

「わかってる」

 ドルクの潰れた片目が開かれる。雨に打たれ続け濁った白い眼は、極度に集中緊張すると一人でに露わになるのだった。

 剣を『寝かせ』、彼は鋭くイエニスに突き込んだ。同時につま先で泥を掬い、顔を目掛けて蹴り上げる。

牽制を込めた二撃である。

「『影追い』」

 刃はイエニスを捕らえず、泥も躱された。

 しかし、ドルクはイエニスの攻撃を『目視』し防御しようと『判断』することができた。

「がっ」

 単純な蹴りである。

 だが、早さも強さも並外れたそれは、初撃でドルクに反応も察知もさせずに直撃を許し、二撃目ですら目視が精一杯に彼を打倒していた。

 ドルクは素早く立ち上がったが、衝撃は大きい。脇腹はより痛みを増し、回復が追い付かない。足が震えて鞭と剣も落とさぬようにするのが精一杯だった。

 イエニスは畏敬の目でこの青年を見つめていた。

「すごい才能だ、でも、だからこそわかるだろ? 上には上がいる」

「うる……」

「簡単には受け入れられないだろうね……暫く考えるといい、私たちはいつでも待っているから」

 3撃目が叩き込まれ、ドルクはついに倒れたまま立ち上がれなくなった。剣と鞭も離し、泥に顔を付けて呼吸を塞がれないように耐えるのも辛うじてこなせる有様だった。

 赤子が高らかに嘲笑する。

「負けちゃったねパパン⁉ 娘は悲しいですわあ~、き~ひっひっひ!」

 ニッキは唖然として雷に打たれたようだった。庇護者を喪った今、自身が窮地にいるというところまで思考が及ばず、ただただ固まっていた。

 イエニスは倒れるドルクに一礼すると、両脇を仮面と美形に挟まれて背を向けさった。他の『我ら』もそれに続き、デュオンは去り際賛美を送る。

「頭は強いだろ? 頭を冷ましたら来いよ、鍛えてくれるぞ」

「ふざける……な……」

「頭は当然『胎矛具』がある、それを使ってないんだぞ? わかるだろ」

 それを最後に、音もなく『我ら』は去った。


 ドルクがどうにか泥の中から立ち上がって輿の傍に立つころには、彼らの足跡は無論のこと、痕跡と言えるものは影すら残っていなかった。

 ニッキはようやくやってきた恐怖と安堵に滝のような汗を流しながら、ドルクの次の手を待っていた。

 赤子は、玩具をもらったばかりかのようにはしゃぎ体を揺らしていた。

「き~ひっひっひ! あたしを使う暇もない! パパンが弱いからだよお~」

「そうだ、俺が弱いからだ……父の武術じゃない」

 うわ言の様にドルクは呟いていた。そう暗示しなければ、砕けてしまいそうだったからだ。

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