第2話 誰がための夢
山道といっても、舗装や手入れがされている訳ではない。茂る木々や根、石、苔、虫、人のみならず獣をも阻害する自然が天然の枷を課していた。
そこをドルクは易々と進んでいく、慣れもあったが何よりも身体能力が抜きん出ているのだ。ニッキの入った輿を肩に乗せ、背に喚く赤子を寄生させていてもその歩みは淀みがない。
ひとまず殺りく現場を後にし、ドルクらは彼の小屋へと進んでいた。襲撃者の帰りを待つ者の追跡が予見されていたし、気分の良い場所でもない。その最中に、ドルクはニッキから世界情勢から赤子のことから聞くべきことを引き出そうとしていた。
「大体わかった、わかった上でお前を助けたのは間違いじゃないと思う。けど、こいつを引きはがせないってのはどうかな」
「邪険にしちゃいやよんパパアン!」
「裏切り者の『狼』には当然でしょ」
ニッキは先ほどの窮地を救われたのにも関わらず高慢な態度であったが、不思議とドルクは怒りを覚えなかった。
彼女の持つ『そう』振舞うことが当然に思える気品と、これまでの境遇、両親の喪失が混在していたのだろう。その遺体の運搬を主張したがドルクが現実的でないと諭すと、わざわざ自力で墓を掘って彼らを埋葬して祈りを捧げていた。
問題は背中の『胎矛具』である。この赤子は自分の血肉を啜り存在する上に、ニッキの意志で生殺与奪が思いのままとあっては意識せずにはいられない。
敵対者への『天敵』と成長し重要な戦力となるのは襲撃者との一戦でわかったが、それ以上にまき散らす罵詈雑言揶揄皮肉にこちらが参りそうであった。
「今度はどんな終わりかたのしみだねえ」
「怖いことを言うな、前にも誰かにくっついてたのか?」
「『胎矛具』ってのはそういうもんよお、前のがどんなだったか知りたいパパン?」
「……やめとこう」
口調からして真っ当な最期でないことは確実であった。
家、というよりも、樵が休憩のために誂えたもの、正直に言えばみすぼらしい小屋がドルクの家であった。
ただし、手入れは行き届き周囲の草も刈り取られ、小さい畑もある。目を引くのは使い込まれた鍛錬器具の数々であり、山籠もりしている戦士の風があった。
ドルクは輿を下ろすと木剣と編んだ蔓が刺さった盛り土に跪き頭を下げた。
「父だよ、俺を育ててくれたのも家も父のだ」
「父上も『狼』?」
「いや、俺捨て子なんだ。拾って色々教えてくれた」
「パパンのパパンにも会いたかったねえ~」
「絶対させないぞ」
「その木はなに?」
ドルクは剣と鞭をかざした。手入れもそうだが造りも精巧を極めた逸品で、柄には百足を模した紋様が刻まれている。
「形見は俺に使えってくれたから、その代わりに似たのを作って刺してる」
ニッキはそれに見覚えがあったが、すぐに思い出せるものでなかったので思考を止めた。
「それより中に入れて」
「は? 歩けよ」
「わたしに素足で歩かせる気なの? 運んで」
説教しようと思ったドルクだが、堂々巡りになるだろうと諦めて輿を持ち上げて家へと入るのだった。
中は質素であるが、外よりも整然としているように見えた。鍛錬の肉体形成のためか、食材は豊富に揃っていて調理場周りは特に手入れは行き届いている。
来客はかつてないこの家であったが、何度か父はドルクを連れて買い出しに行き下界を見聞させていた。
ようやくニッキは輿から出て、新鮮な木の匂いに鼻をひくつかせながら二つあるうちの一方のベッドへ腰を下ろし、尻に感じた硬い感触に驚いていた。
ドルクは甘草の茶を沸かし、容器に入れようとして今一度拭いニッキに差し出した。
抵抗を見せたものの、ニッキはそれを受け取って飲んだ。上品な所作の中にも飢えと渇きが伺え、哀れに思ったドルクはそのまま干し魚を鍋に入れて煮立たせスープを作り出した。これも父から教わったことである。
「お前も食うか?」
「けーっひっひ、あたしはパパンの血しか飲めないんでねえ」
赤子はそう嗤い牙の生えた口でドルクから吸血する。
ドルクは肩を竦め、ニッキの前へスープと食器を置いた。
「もっときれいなスプーンはないの?」
「それが一番きれいだ」
ニッキは不服を露わにしながらも、上品且つ素早くスープを平らげた。同時に、空腹と緊張の癒えから眠気に一挙に襲われてうつらうつらし始める。
ドルクは食器を回収して、彼女が座っているベッドを指さした。
「その父のベッドの方が綺麗だぞ」
「こ、こんな薄っぺらな板でなんか……」
「俺のはもっと薄い」
ニッキの揺れがますます大きくなった。
「寝間着……」
「持ってないけど、俺の着替えでいいなら代わりに出すぞ」
ニッキは抗議せんとしたが、眠気には勝てずに体勢を崩すとそのまま寝入ってしまった。
赤子がドルクへいやらしく囁く。
「楽しんじゃうかいパパン? ママンとの愛の営みをさ」
「手を出したら仕置きされるんじゃないか? お前に」
軽く流したドルクを赤子は嗤う。
「なーんだ憶えてたのかい。でも、その危険なく逃れる術もあるさね。知りたい?」
「もう少し様子を見てからにする」
ドルクは食器を拭い、改めて寝入っているニッキを見つめた。宝石のような、これまで見た少ない子供たちの容姿の中でも群を抜いた可憐さであった。それは否が応でも、あの醜悪な襲撃者たちの姿を連想させてしまった。
「こんな子供に責め苦を負わせるのか……」
「憎い憎い貴族の餓鬼だからさ、貴族憎しや髄までもっていうだろ?」
父はそんな教えを授けなかった。それ以上に、彼自身の心がその愚行に憤りを覚えている。
「それは知らないけどな……ここは出ないと危ないか、追手が来るかもしれない」
「あてがあるのパパン?」
「ないけど、いい機会だ。父の願いは、武勇で天下無双を示し尊敬を得よだからな。相手はこいつがいれば向こうからやってくるだろう」
他にドルクが生きる目的はない。
大雨の中三日三晩泣き続け片目を喪うのみで死なず、父に拾われた赤子はそれだけを聞かされて育てられたのだから。
過去を読み取ったのか夢想への嘲りか、赤子はにたにたと嗤いながらドルクの背を強く握った。
「けーっひっひ、どうにも変な奴をパパンにしちまったねえ」
「全員変だろ」
ニッキが小さくいびきをかき出していた。
その手に残っていた何かの痕跡を見つけ、ドルクは起こさぬようにそっと丁寧に拭った。その匂いで毒だと判断するとそのまま食器も処理をする。
「でも、生きちゃいけない理由はない」
翌朝、準備を済ませたドルクはニッキが目覚めるのを待って今後の方針を伝えた。
彼の予想に反して、ニッキはそれをすんなり受け入れた。正直なところ数日は休養したいが、我欲と現実的な危機を秤にかけ重きを判別できるだけの聡明さが彼女にはあったのだった。
形見の鞭と剣、携帯食料と寝床、幾ばくかの金銭がドルクが選んだ所有物であった。ここにニッキの輿と『胎矛具』の赤子が加わる。
方針に異を挟まない代わりに、ニッキは輿に入っての運搬は譲らなかった。加えて早めの屋敷の用意や生活の改善を命令して、整わないうちは輿から出ないと宣言した。
呆れ半分、過去に縋る哀れを半分にドルクは了承した。鍛錬と思えば我慢はできる。
父の墓に言葉で尽くせない感謝と夢の成就を捧げ、『家族』は新天地を求めて歩み出したのだった。
追われる身になった時は森林の一木、即ち大勢のいる場を目指せとの父の教えを反芻し、知る限り最も巨大な街でドルクは脚を運んでいた。
道のりの半分ほども進んだころ、彼は追跡者の存在に気付いた。
既に四方を囲んで、音もなく距離を詰めつつある。かの襲撃者とは別物で、明らかに戦いの心得があった。
ドルクは輿を下ろし、鞭と剣を構えてニッキへ囁いた。
「早速お出ましだ、中から出るなよ?」
「……い、いっぱいいるの?」
「ああ~、百人はいるねえ~」
「嘘だぞ嘘」
ニッキの声に混じる恐れを除こうと朗らかにドルクは答えた。
ほどなく四方八方に人影が現れ、軽やかに移動し包囲の陣を取る。老若男女混じる一団であったが、一様に体格に優れており見たことのない武器を携えている者ばかりだった。
赤子が嗤う。
「同族だよパパン、それも『胎矛具』を持ってる。こりゃあ窮地だねえ」
「同族……」
父とニッキの話しから大まかには理解したが、実物は初めて目にする。
体格以外には、同族に共通項は見えない。奇妙なのは、彼らがドルクに集中している点である。ニッキの護衛は彼のみであるのだから当然に思えるが、浮かんでいるのは敵意と言うよりも悔いや安堵であったのだ。
身体以上の巨大な両腕を持った一人の『我ら』が、ドルクの鞭と剣を持った構えを見て呟いた。
「どこかで……?」
その呟きはドルクに聞こえなかったし、仲間が一斉に来訪者に顔を向けたことで関心も一時消えてしまった。
木立をかき分けて、最初に仮面をつけた大男が現れた。巨体揃いの中でも頭二つは大きく、粗雑な布で包まれた肉体ははち切れんばかりに筋骨隆々である。
仮面には飾り気がなく、視界さえ確保できればいい目穴が二つあるだけのくすんだ白一色で、その目も黒く沈んで光が見えなかった。
次いで、仮面男とは対照的な端麗な顔の青年が現れた。冷たさを含んだそれは険しく、氷の彫刻を思わせる。短く整えられた銀髪や細長い指からは鋭さが伺え、その外見に反して近寄りがたい空気を醸し出していた。
二人は周囲を確認すると、木立を手で押さえて3人目を頭を垂れて出迎えた。
3人の中では最も小柄で、恐らくはドルクよりもやや劣る体格であった。若いと断じるには躊躇するほどの歳に見え、長い髪と長いひげ、垂れ眼と青白く痩せていると言って良い体格からは虚弱が出ているが、同時に柔和さと親しみやすさも備えているようだった。
だが、何よりもまず喪失している両腕に注意がいった。肩口から失っているらしく、ゆたりとした衣服の腕は平たく垂れて、時折体動や風で揺れる。
髭男はドルクを見、軽く頭を下げた。中身の詰まっていない服の両腕がぶらぶらとはためく。
「やあ、私はイエニス。『我ら』の代表みたいなことをしている者さ、君のことを聞いてね」
ドルクは構えの緊張を強めた。
不快な表情を浮かべる美形の青年の横で、心外だと言うように、イエニスは首を横に振り袖をまたもはためかせる。
「貴族の子弟を守ろうとしたんだろう? それはいいんだ、先方には私から言っておく、彼女を傷つけはしない。だから、私たちの話を聞いてくれないか?」
「なんだよ」
「君は同胞だ、『我ら』は新たな出立に備えて貴族の残党狩りに協力しているが、血縁者や関係者というだけで残虐非道を働く民たちの味方と言う訳じゃない。立場の強化もあるが、かつての私たちのような悲劇は望んでないんだ。だから、そういう人々は死を偽装して助けている。君も協力してくれ、そして『我ら』のために戦ってくれないか?」
ドルクはイエニスをしゃべり終えてからも暫く凝視していた。
そして視線を外すと、剣を彼に向けて突き出した。
「だめだ」
「何故?」
「俺は父の夢を叶えたい、天下無双と名誉だ。それは、あんたの夢だろ?」
猛る美形を仮面が抑える。他の『我ら』にも緊張が走った。
輿の中のニッキは、包囲の脅威に竦みながら懸命にドルクに叫ぶ。
「わたしを助けるのが最優先でしょ⁉」
イエニスは微笑を浮かべた。
「素敵な夢だね」
「ああ、父のだからな」
「けど、私たちと来てくれればそれも叶うよ? 何しろ戦いの日々だ」
「それじゃ父の夢がついでになってしまう、こっちが第1だ」
「はは、けれど今のままで叶うかな? 私たちと来ればというのは、鍛錬も兼ねてだよ」
「このままだと俺には無理だって?」
穏やかだが侮られたと感じたドルクは一歩だけ踏み出した。
イエニスは涼しい顔のまま、大岩に乗っている禿げ頭で色黒の男へ声をかける。
「デュオン、少し手合わせをしてもらえるかい?」
「勿論だぜ頭」
デュオンは跳躍しイエニスとドルクの間に着地した。
ドルクより頭一つ背が高く、薄着に覗く胸に大きな傷跡があった。手には、穴の無数に空いた巨大な巻貝に柄をつけたような武器を握っている。
「言っておくけどな坊や、お前と似てる奴はもう何人も仲間になってるぜ。貴族だからって皆殺しになんてしない」
「そっちじゃなくて、俺の問題なんだ。それと坊やじゃない、ドルク・ヤマヨコだ」
大腕がドルクの名を聞き、聞き覚えのあるそれの源泉を探ろうと思案した。他にも数名が、その名に何かしらの覚えを持っているようだった。
そこから外れていたデュオンは、軽く体を揺らしながらドルクへ間合いを詰める。
「ま、そういうのも大事だよな。俺もこれ、この傷には―」
わざわざ着物を開いてまで傷を見せようとした瞬間、デュオンは不意を打ちドルクへ跳躍した。
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