愚者だからこそ彼らは挑み続けた
あいうえお
第1話 赤子を植え付けられた男
その国は激動にあった。
隣国の侵略に際し、真っ先に亡命、寝返りに走った貴族に後を『押し付けられた』下級官吏の青年が絶妙な軍略で奇跡の勝利を掴み取った。
厚顔な貴族が貴族号と恩賞を餌に帰国せんとした際はそれを拒否し、彼らの売国と腐敗を糾弾、『逆賊』の汚名を着させられながら貴族軍をも打ち破り、建国以来の民主国家を確立した。
それでも貴族らは当初楽観的だった。戦はまだしも国家経営までうまくいくはずがないと。
しかし、青年と仲間たちはその苦境も乗り切り内外に新国家の樹立を認めさせた。
ここに貴族たちは行き場を失った。国内はもちろん、国外でも亡命を破棄され追われる身となり惨めな最期を迎えていった。
先頭に立ったのは搾取され虐げられた民たちであるが、もうひとつの勢力もあった。
貴族からは『狼(ヴォールケ)』、民からは『のっぽ犬(ジャイロー)』、当人たちは『我ら(イロコイド)』。3つの名を持つ、少数民族である。
かつてヴォールケの名を持つ貴族が発見し、その身体能力に目を付け奴隷として連行された人々で、後年にはほぼ全貴族が護衛として『飼っている』状態だった。
頑健な肉体と、反逆阻止を兼ねた寄生武具『胎矛具(ディナモノ)』は貴族の権力誇示の一部となっていた。民への弾圧にも駆り出され、彼らからの呼び名はそれを蔑んだものである。
だが、『我ら』とて鎖に繋がれているばかりではなかった。一人が『胎矛具』の反逆阻止に関する機能のみを無効化する術を探ってから数十年、奇しくも貴族の崩壊が始まった現代に叶ったその夢は養子が引き継いでいた。
侵略戦争、その後の内戦に青年らが勝利したのは与した彼らの力も大きい。戦後の貴族追撃が苛烈を極めたのも、虐げられた恨みもあるがその後の地位確立のために、反感の強い民たちから支持を得るためでもあった。
青年は感謝を示して『我ら』を政府中枢に招くとともに、非公式ながら貴族らへの苛烈に過ぎる罰を黙認した。
この時代の新生国家は、革新し跳躍を見せていると同時に、過去との決別から後ろ暗い醜聞を多く生み出している時期でもあったのだった。
この日も、とある森の中で民に貴族が追われてその命を落としつつあった。数名の従者と夫妻は刃に倒れ丸裸、残るは籠に籠るその娘のみである。
ニッキ・サナンタ・リスキバボルは、逃亡生活による衣服や肉体の疲弊、眼前の危機に際して青ざめつつ、殺人者に毅然として強い眼を向けていた。
雪の肌と両親から継いだ橙の髪、薄緑の瞳は末期にあっても美しくも気高く、貴族の『理想』の姿と言えよう。
だが、それは襲撃者にはこの上ない嗜虐心をそそらせるだけであった。薄笑いを浮かべ彼女の籠へ徐々に詰め寄る姿は醜悪に尽きる。
殊に、彼らが素朴な民の外観をしていることもそれを際立てている。農作業着で、血塗られた農具を手に略奪した宝石を飾る姿はまさしく浅ましい。いっそ盗賊然としていた方が諦めがつくだろう。
「最初は俺だ」
「ふざけるな、俺だ」
「お、俺……」
「黙ってな」
相談事は、誰が最初にニッキを凌辱するかである。
貴族討伐においては、皮肉にも民を搾取弾圧した本人よりも若く無知なはずの子息らが凄惨な迫害を受けることが非常に多かった。実行した側も、殆どが極々善良な市井の者ばかりである。人とは性質以上に、立場によって変じてしまうのだろうか。
ニッキは籠の中から迫る獣に震えながら、掌の丸薬を見た。汗にまみれ既に溶けかかっているそれはツンとする匂いを放っている、逃げ切れぬとわかった時、母が与えた『名誉を守るための術』である。
呑めば、苦しみなく死ねる。
そして、一つだけ残った秘宝。
足音が近づいてくるのを認めてニッキは震えあがった。凌辱への恐怖と、自殺への恐怖が相まって空白が頭を支配し、呆けたように獣の来襲を待つしかできなかった。
襲撃者たちは丁寧に籠を囲み、一番槍の栄光を勝ち取っただろう丸鼻が興奮しきり籠へ手をかけんと一歩を踏み出した。
刹那、籠と丸鼻の間に何かが降ってきた。
腰を抜かした丸鼻が倒れこむ。仲間に引き上げられてよくよく見れば、籠の前に黒い長髪の青年が立っていた。
裾の長い簡易な上下にその上からでも伺える立派な体躯、剣と鞭を背負い、端正な顔は片目が潰れていた。
襲撃者の馬面が叫ぶ。
「『のっぽ犬』だぞ⁉」
皆が一様に後退した。
青年は襲撃者を見、それから籠に手をかけた。
「失礼、開けるぞ」
ニッキと青年が顔を突き合わせる。ニッキは恐怖と混乱で涙と鼻水を流しながら、反射的に汗で粘土になりつつある丸薬を握り込んでいた。
青年はじっとニッキを見つめ続け、やがて何に納得したのか頷くと襲撃者たちに宣告した。
「子供だ、逃がしてやれ」
襲撃者たちはやや冷静さを取り戻した。得体の知れない存在が意志を示したことで、それへの反応が可能になったからだった。
「ふざけるな! 貴族の餓鬼だ!」
「『のっぽ犬』が! まだ貴族の尻につく糞のつもりか!」
「お、俺の番が来なくなるだろ!」
襲撃者たちはいっせいに青年を罵倒した。『我ら』は民との関係修復に重点を置いているため、対立の度譲歩する傾向が強い。彼らも過去に同様の経験があり、青年にも強気に出たのだった。
だが、青年は動じなかった。
「女子供を手にかけるのは良くない。逃がしてやるんだ」
丸鼻が血まみれの農具を掲げで喚いた。
「どけってんだ! ぶっ殺すぞ!」
瞬間、農具に鞭が巻き付き丸鼻から強奪され、青年の手の中に収まっていた。
襲撃者たちは再び後退し、丸鼻は一人より大きく下がる。
青年は農具を地面に突き立てると、彼らへ再度宣告した。
「これはここに刺しておく、後から取りにくればいい。今は……痛っ?」
背に感じる痛みに、最初青年はニッキが錯乱して刺してきたのかと思った。
が、事態はそれ以上に深刻だと気づく。背に重さが生じそれが増えていき、けたたましい笑い声が聞こえてきたのだ。
「けーっひっひ! なんだいこんなのが新しいパパかいね⁉」
「赤ん坊? うわっ、ひどい顔……」
「言いなすったね!」
豊かな銀色の巻き毛とそれを台無しにする凶相を持った赤ん坊が青年の背中へ張り付いているのだった。青年は当然剥がそうとするが、何故か渾身を込めてもこの赤子は微動だにしない。
「いやだよパパン! 我が子を捨てる気かいね!」
「な、なんだこいつ?」
馬面が恐怖して叫んだ。
「まずいぞ『胎矛具』だ!」
その言葉で一斉に襲撃者たちが顔色を失い、丸鼻に至ってはすぐにでも逃走を開始しそうな勢いであった。
戸惑う青年は、背の赤子が急に重くなったのを感じて振り返る。芋虫がそうするような、巨大な丸い繭がそこにあった。
姿が変じたことで、青年にはより強引な手段に訴える口実ができた。手入れが行き届き、立派な鹿の装飾がされた柄の剣を振るい器用に背中の繭を斬りつける。だが、まるで水でも切ったように手ごたえがなく刃はそれを素通りしてしまった。
繭が蠢き、外皮を残して何かが飛び出し馬面に飛び掛かる。
「た~っぷり苦しめて殺すわああああ!」
巨大な飛蝗だった。ただし、顔面だけは赤子のままである。
「食ってやるわよお~」
「齧っちゃうわよ~」
さらに恐るべきことに、数十匹が繭から次々と飛び立って襲撃者に襲い掛かっていくのだった。生えそろった歯で噛みつき、肉を食らい、棘だらけの手足で切り裂いていく。
丸鼻が一番遠ざかれた程度で全員がその牙にかかった。顔だけは赤子の蟲が人を食い殺す光景は、身の毛もよだつものだった。
青年は剣と鞭を構え、ニッキを庇うように前に出る。
襲撃者たちを僅かの肉片と骨に変えてしまった飛蝗たちは、嘲笑と共に飛び上がった。
「誰もが『天敵』には勝てない‼ 地獄の底でも覚えておきな~‼」
飛蝗が迫るのを青年は迎えた。獣の刃が仕込まれた鞭と剣を振るい、餌食となるのを阻止せんとする。技量も動きも素晴らしいものだった。
だが、飛蝗にはそれがかすりもしない。嘲笑しながら青年の背、繭に次々潜り込み、繭が閉じると再びあの赤子が生まれた。
「っぷはあ! ただいまパパン!」
青年は冷や汗をかき、恐らくはこの『胎矛具』を施したニッキへ説明を求めるように目を向ける。
彼女は青ざめ惨劇に震えつつも、毅然と青年を見返して『主人』の態度を取る。
「わたくしはニッキ・サナンタ・リスキバボル、エイガデンスとポイウェリュの娘……『狼』よ、名は?」
「俺か? ……ドルク、ドルク・ヤマヨコ」
「ドルク……『胎矛具』により、わたくしの『狼』としてその命を捧げるのだ……」
「そしてあたしは二人の愛の結晶よん! よろしくねパパンにママ~ン‼ 名前もつけてえ~ん!」
要求が通るか否かに緊張するニッキ。
事態の把握が追い付かないドルク。
ドルクの背に張り付き笑う『胎矛具』の赤子。
偉業悪行を繰り広げ時代を駆け抜けた、『家族』がこの瞬間誕生した。
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