手品の種が拡散しては困るのだが……

沢田和早

手品の種が拡散しては困るのだが……

 私は手品師だ。各地のイベントはもちろん、最近はテレビなどにも出演しているちょっとした売れっ子だ。

 私をここまで有名にしてくれたのは「金貨百倍マジック」

 文字通り、一枚の金貨を百枚にする、ただそれだけのマジックなのだが、他の手品と大きく違うのはその種がまったくわからない点にある。

 まるで空中から湧き出てくるように百枚の金貨が出現し、テーブルに置かれた壺の中へと落下していくのだ。


「ねえ、その手品の種、ヒントでいいから教えてくださいよ」


 誰もが愛想笑いをしながらその言葉を口に出す。一般の観客は言うまでもなく、イベントやテレビのスタッフ、果ては同業の手品師までが訊いてくる。


「教えられるはずがないでしょう」


 本心ではないが取り敢えずそう答えるようにしている。手品師にとって手品の種は飯の種。自分の命と同じくらい大切にするのが手品師の一般常識だからだ。簡単に教えたりしては変に思われる。


「やれやれ、今日も無事終了だ」


 一仕事終えて家路を急ぐ。家族はいない。一人で安いアパートに住んでいる。テレビに出演していると言っても事務所には所属していないので、そうそう仕事があるわけではない。かろうじて人並みの生活を送れる程度の稼ぎしかないのだ。


「今夜は冷えるな。早く帰ろう」


 三月になっても深夜の風は寒い。コートの襟を立てて夜道を急ぐ。


「おい、待て。おまえあの手品師だろ」


 突然、前方に男が立ちはだかった。街灯に照らされたその顔に見覚えはない。


「確かに私は手品師ですが、何か?」

「痛い目に遭いたくなければ金貨百倍マジックの種を教えろ」


 男が近づいてくる。手には刃物を持っている。逆らわないほうがよさそうだ。


「いいですよ。でもこんな路上で教えるのも何ですから私のアパートへ来ませんか」

「へっ?」


 男が腑抜けた顔をしている。予想外の言葉を聞かされて面食らっているようだ。


「ああ、そうだな。じゃあ連れて行け」

「物騒なのでその刃物はしまってください。逃げたりしませんから」

「あ、ああ、わかった」


 男はカバンに刃物をいれた。それから私たち二人はアパートへ向かった。


「売れっ子のわりには質素な所に住んでいるじゃねえか」


 男は期待外れだと言わんばかりの表情で1LDKの私の部屋を見回している。家族がいないので家具も家電も最低限のものしかない。


「一人で住むにはこれで十分ですよ」

「変な奴だな。金貨を百倍にできるんなら一万円を百倍にして大金持ちになれるだろう。知っているぞ。おまえの手品は仕込みがないんだってな。出現する九十九枚の金貨を用意したりせず、本当に一枚を百倍に増やしているらしいじゃないか」


 やはりこの男もそれを知ってこんな行為に及んだのか。プロの手品師まで種を知りたがる理由もそこにある。このマジックに仕込みは不要なのだ。


「はい、その通りです。無から有を生み出しています」

「本当だったのか、すげえぜ。これで俺の人生は一発逆転だ」


 男の顔が歓喜に染まった。よほど金に困っているのだろう。


「何事もお金がなくちゃ始まりませんからね」

「わかってるじゃないか。世の中は金だよ、金が全てなんだ。さあ、手品の種を教えろ」


 これまで何十回、何百回と同じ言葉を聞いてきた。そしてそのたびに手品の種を教えてやった。私は私の意思で種を拡散している。今日もまたこの男に教えてやるとしよう。


「簡単です。増やしたいモノを容器に入れて固有パスワードを唱えるだけです」

「それだけでいいのか」

「はい。ただしパスワードは発音が難しく一音でも言い間違えると認証されません。ですからよく聞いてしっかり覚えてください」

「わかった」

「それでは氏名と生年月日を教えてください。それであなた専用の固有パスワードを生成します」


 男から情報を聞きパスワードを作成する。完成したら男に教え、うまく言えるようになるまで練習する。


「はい、その発音なら大丈夫です。では適当な容器と硬貨を準備してください。さっそく試してみましょう」

「せっかく百倍にするなら硬貨じゃなく万札にしてくれよ」

「これは複製品を百個作るマジックです。お札だと同じ番号のものが百枚できてしまうでしょう。一目で偽札だとバレてしまいます。硬貨にしてください」


 男は両手を容器代わりにして中央に五百円硬貨を置いた。固有パスワードを唱える。突然、空中に硬貨が出現し男の両手にじゃらじゃらと落ち始めた。受けきれなくて半分以上が床にこぼれる。


「やったぜ。成功だ」


 男は無邪気に喜んでいる。まるで子供だ。


「マジックの効果は二十四時間です。その間に複製品の所有権を放棄、つまりその硬貨で買物をしたり誰かに譲ったりしないと消滅します」

「へえ~、それは知らなかった。まあ五万円なんて一日あれば簡単に使えるけどな」


 男は床にこぼれた五百円硬貨をせっせとカバンに詰め込み始めた。私は椅子に腰掛けコーヒーを飲んで一服する。


「しかしあんた親切だな。普通は手品の種を教えたりなんかしないだろう」

「私の家族はみんなお金が原因で命を落としたのです。父は借金、母は督促状、兄は取り立て屋。そんな悲劇を少しでも失くすために私はこの手品の種を拡散しようと決めたのです。この種さえあれば誰もが好きなだけお金を手に入れられます。私が拡散しているのは手品の種ではなく幸福の種なのです」

「違えねえ。じゃあ俺は帰るぜ。ありがとよ」


 男は硬貨を詰め込んだカバンを持って部屋を出て行った。私は笑顔で見送った。


 二日後、新聞の地方版に小さな死亡記事が掲載された。とあるスーパーのレジで中年の男が倒れそのまま死亡したのだ。

 掲載されている氏名と年齢から判断して、死んだのは手品の種を教えてやったあの男に間違いなかった。


「やっぱりこうなったか。まあ、それを見越して教えてやったんだけどな」

「相変わらず無慈悲だな、おまえは」


 背後で声がした。悪魔だ。こいつとも長い付き合いになる。


「悪魔の君に無慈悲と言われるのは最高の褒め言葉だね」

「そうかい。俺だけじゃなく悪魔はみんな言ってるぜ。人間ほど無慈悲な生き物はいないってな」


 金貨百倍マジック、あれは手品ではない。魔界のわざだ。この悪魔と契約して手に入れた業なのだ。


「これでもう何人になるかな。まだ千人にはいっていないと思うが」

「いや、昨日でちょうど千人だ。そろそろ憎しみも消えたんじゃないのか」


 そうか、手品の種の拡散はもう千回になるのか。

 私は金に執着する人間が嫌いだ。父は借金の催促に追われて心を病み自殺した。母は舞い込む督促状で体調を崩し病死した。兄は事故死だが、事故に見せかけた債権者による殺人に違いなかった。

 憎かった。金に執着し他人を不幸に追い込む奴らが憎くて仕方なかった。復讐心に膨れ上がった私の心を悪魔は見逃さなかった。


「金の亡者どもを本当の亡者にする業を教えてやろう。もちろん亡者の魂はこちらに渡してくれ」


 そうして手に入れたのがこの手品だ。固有パスワードは悪魔との契約宣言。唱えた瞬間契約は完了する。そして百倍にしたモノの所有権が他人に移った瞬間、契約者は死に、その魂は悪魔のものとなる。それがこの手品の本質だ。


 悪魔と契約した私はひたすら手品の種を拡散させ続けた。


 ターゲットを見つけたらパスワードを唱えさせて知らぬ間に悪魔と契約させる。業を使って金を増やす。あとはターゲットが金を使うのを待つだけ。使った瞬間、ターゲットの魂は悪魔のものとなり私の復讐心は満たされる。拡散させているのは幸福の種ではなく不幸の種なのだ。


「こちらも汚れた魂が手に入るのだから文句はないけどな。まあ、俺としては早くおまえの魂が欲しいんだが。ふふふ」


 悪魔が低い声で笑う。私自身もこの手品の契約者である以上、百倍に増えた金貨を一枚でも使った瞬間、私の魂は悪魔のものとなる。


「そうだな、もしこの手品の種を教えても自分のために金を使わない人物が現れたら、君の望み通りになってやってもいいかな」

「ふっ、つまりおまえの寿命が尽きるのを待つしかないってことか。やれやれだな」


 悪魔が消えた。そう、そんな人間が存在するはずがない。この世は金だ。金が全てだ。人間はみな金に縛られている。それを証明するために私はこれからもこの手品の種を拡散し続けるつもりだ。

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