第5話 冒険の始まり、序章の終わり
地形や悪路をものともせず、駿馬は自在に駆ける。普通、これだけ速く走れば馬の体力も大きく消耗するものだが、ブリュンヒルデは全てにおいて尋常ではないらしい。
「ウルスラ、何か見えるか!」
後ろに流れてゆく青黒い景色を横目に、フリードリヒは前に声を張り上げた。
「ん……。前方に、何かが反射したのが見えた! あれが水面かな!?」
「ようし、いいぞ! もうすぐだ」
(これで追っ手を
「ウルスラ、ブリュンヒルデ。そろそろ渡し場だ! 足を緩めてくれ!」
「わかった! どうどう。よーし、よし――やっぱり賢い子ね」
勢いと速度を上手に落とし、彼女は足を止めた。ウルスラとフリードリヒが下りると、不満そうに声を上げる。それを聞いて、ウルスラがブリュンヒルデを労った。フリードリヒも、真似をして見事な毛並みを撫でる。
「いい子ね」
「ブリュンヒルデは、なんて?」
「『ようやく暖まってきたところだったのに』かな」
「……はは」
この馬への手入れは特別丁寧にしよう、と彼は心の中で思った。
「見て! フリードリヒ! 河だよ、河!」
「お、ウルスラは見たことなかったのか? これはレーイン河。グローレス王国と隣国との境界線だ。ここを超えれば他国だから、王国の追っ手も追跡できなくなる」
「私、生まれてからクラウ村を出たことがなかったもの! 王都は最近来たばっかりだったし!」
「そっか」
ちなみに、クラウ村は王都から東に何日もかけて歩いた先にある。山岳と森に囲まれた寒村だ。村から出なければ、海や大河を生涯見ることはないだろう。
「でも、まずいこともある。まだ夜明け前だから渡し守が起きてないんだよ。叩き起こしても夜は船を出してくれないしな……」
そう言って、フリードリヒはようやく白みはじめた空を見た。
「あ、そうだ。ちょっと試してみたいことがあるんだ。ブリュンヒルデ、この後にもうひとっ走りお願いできる?」
ヒヒン、と彼女は鳴いた。これは彼にもわかる。『任せろ』だろう。
「何するんだ?」
「ふふ。まぁ見てて」
ウルスラは聖剣を抜き放ち、身体の前で構える。
「聖剣よ、我が求めに応えよッ!」
ひときわ強い光を放ち、刃が輝き始めた。彼女は、ゆっくりと剣を頭上に構え直す。
「ちぇすとぉーッ!!」
切り下ろした剣が放った光は対岸に届き、空を切り裂く音が遅れて聞こえた。その後に、フリードリヒは信じられない光景を目にする。
「……か、河が割れている……ッ!」
河水が削り取られたように消え、河床が露出している。どういう訳か、河の水は割れたまま止まっていた。
「うまくいった! あまり長く持たないの。さあ、早く行こう! ブリュンヒルデ、対岸に着くまで目いっぱい飛ばして!」
嬉しそうに馬は応える。ウルスラが素早く鞍にまたがると、取り残されないようにフリードリヒも後に続いた。岸の向こうまでは、およそ三十馬身。
彼らが河を渡りきると、割れた部分が何事もなかったかのように戻ってゆく。一種、壮観な眺めだった。
「あの丘に登ろう。もうすぐ夜明けだ」
フリードリヒは、小高い丘を指さす。ウルスラは同意し、既に乗り手を下ろしていたブリュンヒルデの手綱を引く。
「ここだ」
「わぁ……!」
丘の頂上で二人と一匹は止まり、昇りはじめた朝日と、きらきらと光を反射する河面を飽きることなく見続けていた。
「私思うの。真の勇者とは、他の人に認められてなるものじゃない。希望を示し、自分の中の大事なものを守れる人だって」
「国中の誰もが違うと言っても、俺はウルスラを勇者と呼ぶさ」
「これから、きっと困難が待ち受けている」
「ああ」
「逃げたくなることも、目を背けたくなることもあるかもしれない」
「ああ」
「けれど、私は独りじゃない。暗い夜でも、側に立ってくれる人がいるから」
にっこりと笑いながら、勇者の右手がそっと差し出される。
「たとえ、地獄まででもお供するぜ勇者様。きひひ」
元王子は、軽口を叩きながらも左手を優しく重ねた。
「今はまだ、何の冒険も達成していないけれど――私が、私たちが勇者になる!」
「いいねぇ!『勇者フリードリヒ』。なかなかの響きだ」
「しばらくはみんなが信じる『勇者アルスラ』で通すけれど……。いつか『ウルスラ』に戻れるといいな」
警告するように、ブリュンヒルデが低くうなる。『私も忘れるな』とでも言いたいのだろうか。それを聞き、二人同時にくすりと微笑んだ。
彼らは第一歩を踏み出した。これからどんな道を辿ろうと、二人でならば乗り越えてゆけるだろう。
――後年、世界に希望を示し、魔王に決戦を挑む勇者と亡国の元王子は、慈悲深き知勇兼備の人として世に知られるようになる。けれど、それはまだまだ先の話。
最低王子と男装勇者 ~田舎娘は聖剣使い~ berio @berio
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