花開く一コマ 〜一コマシリーズKAC2020−4
阪木洋一
地に付いて花開くが如く
「気分、晴れましたか?」
「……少しだけ」
休日の午前十時のことである。
家の近所にある大きな自然公園にて、
恋人との散歩、といえば聞こえが良いが、生憎のところ好恵先輩の表情は優れていない。
普段は少しぼんやりしている印象の彼女で、周囲からは、おそらくわかりにくいのかも知れないが。
陽太からすれば、彼女が明らかに落ち込んでいるのがわかった。
それもこれも、昨夜、電話でお話をしたときに彼女の声が沈み気味だったので、理由を訊いてみたところ、
『……ちょっと、大学の課題の方で、行き詰まってて』
と、いうことであった。
大学では栄養学を専攻している好恵先輩。
彼女自身、幼少から台所に立っていたためか腕前は相当なもので、頭の良さについても、高校時代はずっと学年順位一桁をキープしていたのだが。
『……わたしの通っている大学、すごい人、いっぱいいるから』
『すごいってーと、どのくらいですかね?』
『……料理の味も、見た目も、栄養の知識も、何もかも』
『ううむ……』
陽太とて、軽い料理は出来るものの、栄養学といった専門分野の知識についてはほとんどと言っていいほど皆無だし、彼女の言う課題についてはまるで想像が付かない。
ただ、好恵先輩が今、自信を失いかけているのは確かである。
だからこそ、
『好恵先輩、明日のお休み、会う時間あります?』
『……午前中だけ。午後は、課題に取り組みたいから』
『んー、遠くに遊びにとかはいけないッスね。散歩だけでも、どうッスか?』
『……うん』
休日の今日、陽太はをこうやって彼女を外に連れ出して、どうにかその沈んだ気を晴らさせたいと思ったのだが。
こうやって二人で歩いていても、効果はイマイチのようだ。
好恵先輩の表情は、雨に打たれて弱った花のように、しゅんとなったまま。
「……ごめんね」
「? 好恵先輩?」
と、そんな心情を自分でも理解しているのか、好恵先輩は呟くかのように、こちらに謝ってきた。
「……陽太くん、折角わたしを励まそうとしてくれているのに、わたし、いつまでもこんなで」
「いや……その、気にしないで良いッスよ。誰だって、壁にぶつかる時だってあります」
「……それでも、わたし、頑張りたいの。前に進みたいの。でも、頑張っても頑張っても、みんなに届かないままで」
「…………」
「……どうしたらいいかわからないうちに、わたしは――」
言っているうちに、また落ち込みの色が濃くなっていく。今にも、泣いてしまいそうだ。
そんな彼女に、自分は聴いてるだけしか出来ないのか?
――答えは否だ。
ならば。
平坂陽太に、出来ることは。
「好恵先輩は、何のために頑張っていますか?」
「……え?」
気がつけば、陽太は彼女に問いかけていた。
その問いかけに、好恵先輩は顔を上げてこちらを見てくるのに、陽太は彼女の目をまっすぐに見たまま、
「先輩は、何のために頑張れますか?」
「……それは」
好恵先輩、言葉に詰まったけど。
「……大切な、人のため」
それでも、答えはあった。
「……お母さんのため。大切なお母さんが結婚した、お義父さんのため。将来、わたしがお仕事に就いたときに、お料理を食べてくれる人達のため」
そこにあった。
「――陽太くんの、ため」
「そッスか」
改めて言われると、照れるけど。
「オレは、好恵先輩の料理、好きです」
「……え」
「素朴だけどしっかり色が付いている見た目が好きです。ちょっと薄口で優しい味付けなのが好きです。柔らかな食感が好きです。食べていてとっても安心できる雰囲気が好きです。その時に食べたいと思っていたものが必ず一つあるのが好きです」
「……陽太くん」
「何よりも、好恵先輩と一緒に食べる好恵先輩の料理が、大好きです」
「――――」
陽太が今まで食べてきた、彼女の料理を思い浮かべることで。
陽太の中から次々と溢れてくる、彼女の料理への、好きという言葉。
それが届いたのか。
「……陽太、くんっ」
好恵先輩はまた少し泣きそうになりながらも、ようやく笑顔を浮かべてくれて。
そのまま、居ても立ってもいられなくなったのか、こちらに抱きついてきた。
「……っ!」
彼女との身長差は五、六センチなので、全力で、こちらの首にしがみつく形だったためか、彼女の身体の柔らかさを存分に感じて。
陽太は今までそうであったように、この場に於いても胸中がとても高鳴って、その場で硬直してしまいそうになるけど。
それでも、しっかりと彼女のことを受け止めた。
「……ありがと」
「はい」
陽太の言うことが、彼女の抱える問題を解決させるとは、もちろん思っていない。
でも、彼女が自分自身のもっているモノを、好きになってくれるなら。
――失いかけていた自信を、取り戻せるキッカケになるなら。
「好恵先輩、好きです」
何度でも、陽太は心からその感情を彼女に伝える。
伝え続ける。
それが、平坂陽太の、出来ること。
「……わたしも、大好きだよっ」
そして、その答えと、きゅっとこちらを抱き締める力が強くなると共に。
彼女を包んでいたしゅんとした雰囲気が、いつしか、花開くようにぽわぽわと軽くなっていく。
ああ、これだ。
小森好恵先輩と一緒にいることで、自分を包んでくれるこの安らぎの空気。
これこそが、何よりも得難いもので――
「お……?」
と、少しこの空気に浸り始めたところで、陽太は気付く。
自然公園の並木道なのもあって、通りがかる人は決して少なくなく……こうやって抱き合ってる陽太達を、誰もがぽわぽわした笑顔で見てくることを。
「――――!」
こうまで見てこられるとなると、陽太、流石に気恥ずかしいものがあったが、それを感じている間にも、このぽわぽわした空気の花は、どんどん広がっていくように感じる。
まるで。
拡散した種が、地に付いた途端に花開くが如く。
「…………」
そのためか。
気恥ずかしいけど今は、彼女のことを、ずっと離さないという気持ちのままで。
この空気に、陽太は身を委ねることにした。
――そして翌日の夜。
好恵先輩は、直接会いに来てくれて、
「……課題、出来がとってもよかったって」
「そうですか。よかったですねっ」
「……うんっ」
そうして見せてくれる、彼女の笑顔を思うだけで。
これからもずっと、気持ちを伝え続けることが出来る喜びがあることに、陽太は幸せな気持ちで一杯である。
花開く一コマ 〜一コマシリーズKAC2020−4 阪木洋一 @sakaki41
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