種を植え、水を撒き、日を浴びて、花が咲く

はやしはかせ

種まく人たち

 大野奈美と戸田良一が初めて会ったのは、夜の繁華街だった。


 四十過ぎの冴えない風体の男に、完璧な美人が近づいて、男を喫茶店に誘う。

 変な絵を買わされるに違いないと戸田は思ったが大野は予想を遥かに超えてきた。


「私、タイムマシンで未来から来たの」


 そして大野はわずかな時間で未来人であることを立証した。

 戸田の預金通帳の残高、抱えているローンの総額。

 そして幼少期の惨めな日々……。


「実を言うとね。おじさんは四十年後に死ぬの。警察が踏み込んだときにはもうぐしゃぐしゃの死体で」


「ああそう」


 驚きはしない。

 この年になると、このまま無駄に年を重ねていくだけだと既に諦めている。


「私達はね、そんな可哀想な人を少しでも減らそうと活動しているボランティア」


 女は本と一輪のバラを差し出した。


「この本にはね。おじさんと相性のいい女の人が書かれてる。で、この中からピンと来る人がいたら会いに行く。で、この花に水を一滴垂らす。そして花の匂いを女の人に嗅がせる。この花が媚薬になってるから、あっという間に相手はあなたのトリコ。子供もじゃんじゃん」


「馬鹿な話を……」


 しかし大野はそれ以上何も言わず笑いながら喫茶店から出て行った。

 そしてスマートフォン型タイムマシンを使って未来に帰還する。


 しかし、大野の上司、木田は素っ気なく言った。


「何も変わってないぞ」

「ええっ?」


 翌日、大野はまた過去に戻った。

 戸田は自宅でテレビを見て大笑いしていた。


「ちょっとおじさん! 言ったこと全然やってないじゃん!」

「忙しいんだよ。明日やる」


 ボリボリ腹をかきながら菓子をむさぼり食う姿は中年男性の姿をした妖怪に見える。


「未来にいるからわかるの。歴史が変わってない!」

「いや本は見たよ。綺麗だなって思う人もいて、住所も書いてあるから行ったよ。そしたら居るんだよ、本当に。だけどこれガチなんだって思ったら、怖くなって」

「怖い?」

「未来の人ならわかるでしょ。貯金もないし、その日暮らしで精一杯。そりゃ孤独死するなってくらいの男よ俺は。そんな奴がさ、ずるい手を使って女を騙しても、そのあとが続かないじゃん。養えないもん」

「じゃ、これ」


 小型のタブレットを戸田に突き出す。


「クイズです。バック・トゥ・ザ・フューチャーの二作目でビフはどうやって金持ちになりましたか?」

「たしか、スポーツ年鑑を手に入れて、賭博で大もうけって、おい!」

「そう! これで一攫千金間違いなし!」

「いや、これはダメだろう!」


 抵抗する戸田を睡眠銃で強引に寝かしつけて大野は再び未来に戻った。


「どうですか? 子供は生まれました?」

「いや、暮らしの水準は上がったんだが……家族は増えない」

「ええ?」


 戸田は確かに与えられたデバイスを使って、当たりくじをひいたりはしたが、遠慮があるのか、小遣い程度の金銭しか懐に収めなかった。

 結局一人のまま彼は人生を終えたが、そこそこ貯蓄があったので老人ホームに移り住み、スタッフに見守られながら一生を終えたのであった。


「ぶん殴ってきます」


 怒りに震える部下を見る木田の目は冷たい。


「大丈夫なんだろうな。何度もタイムマシンを使えばすべて台無しになる恐れがある。俺たちの計画は絶対に成し遂げねばならんのだ」


「……わかってます」


 そして翌日、大野は戸田の家に侵入した。

 大口を開けて眠っている戸田にビンタを一発。


「このクソ親父! なんで女を抱かない! 子を産め!」

「いや、良くないよ! フェアじゃないっていうかさ! 恋愛とか結婚って、好き合うもの同士がさ!」

「ええい話を聞け!」


 大野は真実を告げた。


 遥か未来。

 日本人の平均寿命は60歳まで下がっていた。

 科学や医療が発達しても、日本人の衰弱化は止められない。

 その原因は、計画性のない繁殖によるものだとわかった。


「強い競争馬を作るには、強い牡馬と強い牝馬を掛け合わせるのが一番でしょ。そんな当たり前のことを人類はやらなかったのよ! 見た目とかお金とか表層的なことばかり追いかけて、大事なのは遺伝子の質だってことをわかってなかったの。ちょっとした風邪が致命傷になるくらい私達は弱くなってしまった……」


「なんと……」


 人類は遺伝子を解読すべく徹底的に研究した。

 自分たちの時代だけでなく、過去の人間のデータも採集した。

 そして、どの遺伝子を掛け合わせれば強い体を持った人間が生まれるのか徹底的にシミュレートした結果……。


「おじさんが選ばれたの。おじさんの遺伝子はすっごくタフなのよ。今まで病気一つしなかったでしょ?」


「いわれてみれば……」

「こんな不摂生な生活しているのに無駄に八十まで生きるなんて奇跡よ」

「嫌な言い方だな」

「だから子供を産んで欲しいの。見た目通りのオットセイなハーレムライフを過ごして欲しいのよ! そうすれば私達の未来におじさん並みに強い人間が生まれているはずなの!」

「いちいち言い方がしゃくに障るが事情はわかった。人の役に立つのは悪い気はしない。しかし大野さんよ。こんな手数のかかることしないで、俺の精子やら何やらを採取して未来に持ち帰ればいいんじゃないの?」


 悲しそうに溜息を吐く大野。


「体外受精なんてそんなモラルに反することはしません」


 こうして大野は戸田と固い約束をして未来に帰って行った。


「さすがにもう大丈夫だと思うんですけど」


 しかし木田は呆れたような、感心しているかのような、なんとも言えない表情をしていた。


「予想外のことが起きた……」


 結局、戸田は子供を作らなかった。

 しかし、競馬で大金を手に入れ、それを医療の分野に惜しみなく寄付した。

 さらに有志を集めて医療に関係した研究所を作り、様々な良薬を開発し、それを安価で誰の手にも届くように売った。


「結果的に人口が一万人ほど増加している。平均寿命も5歳ほどあがった」

「なんと……」

「興味深いデータだが、当初の目的とはだいぶ違ってしまったな。骨折り損というか。お前もご苦労だった」


 それでも大野は無断で戸田に会いに行くことにした。

 しかし未来が大きく変わった戸田は常に大勢の人に囲まれ、二人きりで会う機会が作れない。

 三十分以上の時間を使って話せる時間は、なんと最後に別れた日から40年後だった。


 大病院の個室で、年老いて干からびた戸田が眠っている。

 大野が静かに入室すると、戸田は両目を開けて、ゆっくり身を起こした。


「久しぶりだな。四十年ぶりか……」

「私は昨日会ったばかりなんだけどね」

 

 老人と女は目を見合わせて笑った。


「おじさん、私のために今日だけ時間を空けたでしょ」


 頷く戸田。


「あんたと話したかった。なあ、俺はあとどれくらいで死ぬ?」

「三日後、お弟子さんに囲まれて眠るように」

「そうか。いや、悪かったね。家族を作れなくて」

「それを聞きに来たのよ。何があったわけ?」

「たいしたことじゃないさ……」


 あれだけ強く言われたのに、どうしても媚薬をつかう気になれず、悶々とした思いで街を歩いていたら、再生医療の研究に関する国の援助が打ち切られ、寄付を求めているというニュースを見た。


「自分の死ぬ日がわかっていると、自分がいた証を世の中に置いておきたくなる。だから、あれだけ馬鹿にしていた慈善事業って奴に、つぎ込めるだけつぎ込んでみようと思った。知らなかったよ。人から感謝されることがこんなに救いになるのかって。まだ俺はやれる、やらなきゃいけないことがある。そんな風に考えて生きてたらこうなってた」


 大野は笑う。

 体の悪い血が浄化された気がした。


「おじさんみたいな人、初めてよ」

 あえてさよならを言わずに大野は出て行こうとしたが、


「体外受精なんてモラルのないことはできんと言ったね。あれが引っかかっていた。媚薬を使って女をものにしろなんて言う奴が使うセリフじゃない」


 背中を向けたままその言葉を浴びる大野。


「どう考えても俺の遺伝子を採取して未来に持ち出すのが手っ取り早い。なのにそれができない。つまりあんたらはボランティアでも何でも無い。非合法の活動家。俺はそう考えるようになって、弟子に頼んで俺の体を徹底的に調べて貰った。俺の遺伝子をばらまくことで何が出来るのか。俺の体に何が宿っているのか……」


 大野は全身の力が抜けたようになった。観念したように口を開いた。


「病気に負けない強い人間を作るっていうのは本当よ。でも段々と研究を進めていくうちに、強く、凶暴で、狂信的な人間を作れるんじゃないかって暴走が始まったの。ネフィリム計画なんて言って。馬鹿みたいでしょ」


 ネフィリムとは、旧約聖書に出てくる堕天使と人間の女の間に生まれた子供である。力強く粗暴であったとされる。


「おじさんは最初のサンプルだった。その身に宿る、とびきり強い遺伝子で、人を超えた人を作る。奪われた物を奪い返すために。ま、ちっとも上手くいかなかったけどね」


 白状した大野に戸田は微笑んだ。


「話してくれてありがとう。すっきりしたよ」


 安堵したように目を閉じる戸田。


「冷蔵庫を開けてみなさい。中にあのバラがある」

「まだ取っておいたの?」


 目を丸くする大野。笑う戸田。


「俺なりに改良を加えてみた。水を一滴垂らすだけで、あんた達が望むすべての効果が匂いを嗅いだ人間に出る。バーサーカーを作る狂気の花だよ。地面に植えれば簡単に種を落とす。種を植えれば大量に生えてくる。あんたが渡してくれたものだ。あんたに返すよ」


「おじさん……」


「だが聞いてくれ。未来に戻って俺が作った研究所に行けば、そこの所長があんたを待っている。そいつにこのバラを渡せば、最新技術で遺伝子に改良を施して、どんな病原菌にも耐えられる究極の抗体遺伝子を作ることが出来るはずだ。あんたはどうする? どんな種を撒く?」


「私は……」


 バラを持ってその場を去った大野がどこに行ったのか。

 彼女が撒いた種はどんな形で世界に拡散されていったのか。

 それは未来になってみないとわからない。






















 


 


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種を植え、水を撒き、日を浴びて、花が咲く はやしはかせ @hayashihakase

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