異世界の種
ちかえ
異世界の種
その植物がいつこの世界に入ってきたのかは正確には分かっていない。千年ほど前に神によってもたらされたと言う者もいるし、その前からずっとこの世界にあった言う者もいる。
でも、私が調べる限りでは、この植物がこの世界に入って来てから四百五十年ほどしか経っていないようだ。ミュコスという国の国民の何人かが異世界に赴き、現地の者と交流をして種を手に入れたという。
この種がこの世界に来た時、魔術師の間ではかなり大騒ぎになったようだ。それも無理はない。育った植物から魔力を回復させてくれる薬が出来たのだから。これは奇跡だと、当時の人間は思っただろう。
そしてその種はミュコスが所有している島で育てられる事となった。
数十年すると植物の評判は他の国にも聞こえて来たそうだ。ミュコスは特に隠していたわけではないらしいので当たり前なのだろう。
魔力を回復してくれる効力を持つ植物だ。魔術師は喉から手がでるほど欲しい。それは私にも分かる。私が魔力を持っていたとしても欲しがると思う。
各国の王族は必死にミュコスと交渉をしたようだ。そして、最初はミュコスで作られた薬自体を交易する事になった。魔力自体を信仰しているミュコスの民は魔力持ちを放っておけなかったのだろう。自分達だけで独り占めする事も出来たのにそうしなかったのだから。
ただ、魔力持ちをたくさん抱える国は薬の消費量が激しい。もちろん、植物自体を欲しいと言って来る国も出て来る。そうして交渉の末、いくつかの国には種を譲ってもらえる事となったようだ。
しかし、問題が出て来る。その種は寒い地域では育たなかったのだ。元々、暖かい場所にあるミュコスのさらに南の方にある島で育てられていたものだ。当然北の方の国々では定着しない。
なのでしばらくは薬、または収穫した実をミュコスから輸入していた。それしか方法がないのだから仕方がない。
ただ、外国に輸出するとなると、植物がもっと必要になる。ミュコスは他の地方でもその植物を育てる事にした。
それからまた年月が経つ。
三百五十年ほど前、元々は王族でさえ魔力を持たなかったレトゥアナという国の新しい王に大国の王女が輿入れした。この婚姻はレトゥアナ王国の王族に魔力持ちの王を産ませるためだったと言われている。
どうして当時の王妃と王太后しか魔力を持たなかった国がミュコスに助けを求めたのかは知られていない。でも、何かの理由から、彼らは魔力を回復する薬を欲しがった。
ただ、当時のレトゥアナ王妃は甘党で、苦い魔力回復薬は苦手だったようだ。なので、固形のものではなく、ミュコスでその頃普及し始めていた砂糖を入れた子供用の飲み物に加工したものを勧めたという。
レトゥアナの王妃はその味をとても気に入り、国民にも飲ませてあげたいと考えた。だから嗜好品として広げられないだろうかという、あの時代では信じられないような提案をした。
私はその時代に生きていないし、王族ではないので、レトゥアナ側がどんな風にミュコス国を説得したのかは分からない。だが、結果として、その甘い飲み物は、嗜好品として、王都に作られた『ショコラテリア』という名前の新しい飲食店で提供される事になった。
最初は王族と上流貴族しか飲む事は出来なかったそうだ。でも、その新しい甘い飲み物の話は少しずつ広がっていく。少しずつとは言っても丸薬時代の比ではなかっただろう。甘くて美味しくて、おまけに魔力まで回復してしまうのだ。他国だって欲しい。
レトゥアナもミュコスもそれを独り占めする気はなかった。ただ、嗜好品となると、今までの比ではないくらいの材料がいる。とてもミュコスだけではそれらをまかなう事が出来なかった。
なので、ミュコスの民は南の方の土地で育てられないかと考えた。そして試行錯誤の結果、一部猫の外見を持つ人間である『獣人』という生き物に育ててもらう事にしたようだ。もちろんただで育てさせている事はないだろう。そのかわりに彼らにはミュコスにしかないものを渡しているはずだ。
こうしてその魔力を回復する植物は世界に広がっていった。
そして——。
「お待たせいたしました」
来た来た、と私は心の中でつぶやく。そして、給仕にお礼を言った。
懐かしい香りが私の元に漂って来る。
ここはレトゥアナ王都にある『ショコラテリア』一号店だ。そして嗜好品としての飲み物を私は今飲もうとしている。
その種はこの世界でいう『異世界』から来た。そうしてこの世界で普及したからこそ、今、『異世界』から転生した私の口に入るのだ。
これを飲むのは前世ぶりだ。これがどういう仕組みで魔力を回復するのかは分からない。でも私は魔力持ちではないから問題はない。
その植物、それは、私の前世に暮らしていた世界では当たり前にあったカカオなのである。
異世界の種 ちかえ @ChikaeK
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