植物メイドとありふれた日々

秋田健次郎

植物メイド「オジギサン」

 私が子供の頃、母親にオジギソウという植物を買ってもらったことがある。鳥の羽のように広がった葉のところをそっとなでると、ぎゅっと葉が折りたたまれるのだ。小さいながらに私は「これってお辞儀か? 」と思ったものだ。


 あれから数十年経った今日、オジギソウなんて比ではない植物が世に出回っている。正式名称は忘れてしまったが、一般的には「植物メイド」と呼ばれている。聞くところによると、元はオジギソウでそれを品種改良して出来上がったらしい。


 シルエットはかなり人間に近く、二本の脚は木の幹のように硬くてしっかりとしていて、その二本の脚が互いにねじれるような形で胴体を形成している。一方で腕はタンポポの茎のような素材で脚と比べるとしなやかに曲げることが出来る。腕の先に人間のような指はついておらず、さすがに人間ほどの複雑な作業を行うことは出来ないが、掃除や皿洗いといった作業はうまく腕を巻き付けてこなしてくれている。

 頭部には昔小学生の頃、学校で貰ったチューリップの球根のようなものがついており、これが人間の脳と同じような役割を果たしているらしい。


 ある日、私が目覚まし時計で目を覚ますと、オジギサンがトースターの前に佇んでいた。オジギサンとは私の植物メイドの名前である。名前を付ける必要などないのだが私は何となく愛着を持ってそう呼んでいるのだ。ちなみにオジギサンがお辞儀をしたことは一度もない。


「オジギサンありがとね 」


 私はかすれた声でそう言いながら洗面台へと向かった。もちろん返事などない。


 顔を洗って、歯を磨き、リビングに戻ってくるとちょうど出来立てのトーストと淹れたてのコーヒーがテーブルの上に並んでいた。


「今日もベストタイミングだねぇ。いただきまーす 」


 私は手をパチンとたたいてからもそもそと食べ始める。もちろん返事などない。一人暮らしを始めてから独り言が多くなったように思っていたが、オジギサンが来てからは形式上少し会話のようになるため、より一層独り言が多くなったような気がする。


「オジギサン、仕事行ってる間に軽く掃除しておいて 」


 私はそう命令すると、スーツに着替え、身だしなみを整えてから家を出る。


「いってきまーす 」


 そのあとに聞こえるのは家のドアがバタンと音を立てて閉じる音だけでオジギサンが返事をしてくれる訳では当然ない。


 私はいつものように取引先に頭を下げ、謝り倒し、人としての尊厳をしっかり傷つけられてから会社を出た。混雑した電車の窓には死んだ目をした私の顔が夜の中に浮かんでいた。


「ただいまー 」


 鉛のように重い体をシミの付いたソファに投げだすと、テレビの電源をつけた。埃一つないテレビ台を見て、オジギサンが掃除してくれたのだと気が付いた。


「オジギサン、ありがとね。私の味方は君だけだよ 」


 私は重い体を無理やり持ち上げると、オジギサンがおとなしく待っている専用ケースにたっぷりの水を入れた。植物メイドが流行った理由としてこの維持コストの安さもあるのかもしれない。最初に買ってしまえばあとは水道水を一日一回上げるだけで十年近く働いてくれる。オジギサンの頭をなでているとテレビでは深刻そうな顔をしたアナウンサーがニュースを読み上げていた。


「本日昼頃から発生している行動型植物、通称植物メイドの異常行動について、専門家チームは特殊な種が体内で発芽し、頭部の処理装置に何らかの影響を与えている可能性が高いとの見解を示しました。 」


「へー 」


 これまでも植物メイドについては色々と議論を巻き起こしており、今回の事件もそのうちの一つだろうと私は特に気に留めることなくその日は眠りについた。


 翌日、ベストなタイミングで出来上がったトーストをもそもそと食べながら、昨日のニュースの続きが何となく気になり、テレビをつけると例の事件についての続報が流れていた。


「昨日から続く行動型植物の異常行動について、昨夜11時半頃家の植物メイドに暴行を受けたとの通報が入り警察が向かったところ、血まみれで倒れた男性を発見しました。その近くには凶器と思われる血の付いた包丁を持った行動型植物がおり、その場で確保したということです。」


 私はそのニュースを見て衝撃を受けた。これまで植物メイド関連の事件と言えばせいぜい割ってしまった皿の破片で利用者が怪我をしたなどといった程度のものでしかなかったが人を殺したとなれば話は別だろう。


「専門家チームは今回拡散しているこの特殊な種は花粉程度の大きさで行動型植物を完全に保護することは困難であると発表しています。また、これを受けて政府は危険性排除のため、行動型植物の自主的な廃棄を呼び掛けています。」


「廃棄って 」


 私はみしみし音を立てながらゆっくり専用ケースに入るオジギサンを見ながら、この子が人を殺すとは思えないなぁと心の中で呟いた。


 その日、仕事から帰ってきて家のリビングに入った瞬間、思わず


「うわっ 」


 と声を上げてしまった。オジギサンが一人で勝手に動いているのだ。今日、仕事に行くときには何も命令を出していなかったため、オジギサンは間違いなく意味もなく動いている。


「オジギサン、どうしたの? 」


 私はいつもの癖でオジギサンに話しかけた。もちろん返事などないのが普通でありそうでないといけないのだが、オジギサンはめきめき体を鳴らしながらこちらを向いた。


「反応した? 」


 私は及び腰でテレビのリモコンを取ると、電源をつけた。


「つまり、植物メイドが人間でいうところの感情に近い処理を行なっているということでよろしいでしょうか? 」


「ええ、まあそういうことになるでしょうね。」


 テレビの中では髭を生やした中年男性とアナウンサーと思われる女性が話していた。


「自分の名前が分かってるのか 」


 問題のオジギサンはというといつの間にか専用ケースに入って、腕をくねくねさせていた。


「ああ、水ね 」


 私がバケツに入れた水道水をケースの中に入れると、腕のくねくねが少し早くなった。こっちの方がもしかするとかわいいかもしれないと思いつつ、コンビニで買ってきたパスタを電子レンジに入れた。


 次の日もオジギサンは何か反乱を起こすわけでもなく、いつも通りベストなタイミングでトーストを焼き上げ、淹れたてのコーヒーの匂いが朝の焦燥感を和らげていた。テレビでは相次ぐ植物メイドの廃棄を取り上げており、政府もそれを全力で支援すると発表したらしい。


 私はふと、私の座るソファの後ろで立ちすくんでいるオジギサンに気が付いた。


「私は捨てないから大丈夫だよ 」


 オジギサンのねじれた幹で出来た胴体、人間で言うと脇腹のあたりをぽんぽんと叩いた。すると、昨日と同じように腕をくねくねさせた。喜ぶと腕をくねくねさせるのだろうか。


 食事を終え、身支度を始めるとオジギサンは玄関の方へと移動し始めた。私は家を出るため、玄関に向かうとオジギサンはドアの方を向いてじっと待っていた。まさかこれは、と少し期待しながら


「いってきまーす 」


 と言うと、そこにあったのはいつもの沈黙ではなく、初めて見るオジギサンのお辞儀姿だった。

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