かわいいおはな

小鳥遊 慧

かわいいおはな

 今日の講義は2限目からなので、のんびり朝食をつつきながらワイドショーを眺めていたら、『最近若い女の子の間で流行っていること』というトピックスになった。噂に疎い私はきっと知らないことなんだろうなと思っていたら、案の定、テレビの画面に映ったものは全く知らない物だった。


 淡いピンク色の小さい花がたくさん咲いた鉢植え。


 どうやらそれを育てるのが流行っているらしい。


 毎日コップ一杯分くらいの水をあげて、一日に一時間ほど日に当たれば十分という育てるのに手軽なところとかわいらしい姿、香りがいいところが受けてるらしい。


 まあ確かにかわいい花ではあるよな。


 そう思いながら一人暮らししているワンルームをグルっと見回してみた。そのあまりにもごちゃごちゃした有様に、即、ここで植物育てるのはまず無理と結論付けて、その場ではそのワイドショーのことはすっかり忘れていた。



    * * * *



「そういえばさ、この前ドリームフラワーをとうとう買っちゃったんだけどさ」


 同じ学部の知人と食堂で昼食を食べてると、相手は突然そんな話題を振ってきた。美玖は私の周りでは珍しく流行に敏感なので、今流行っているものなのかもしれない。けど……


「なに、そのだっさい名前」


 あまりにださい名前に何かと問いただす前に名前に対して突っこんでしまった。


「ださいって酷いな。今流行ってるんだよ」


 初っ端から話の腰を折られた美玖はちょっとムッとして見せてから説明してくれた。


 曰く育てやすい可愛い花の鉢植えが今流行ってるらしい。


「あー、それ、この前朝のワイドショーで見た気がする。若い女の子に今流行ってるもの特集みたいな感じで」


 ただ、そんなダサい名前だったかなと、内心首を傾げる。もうちょっと普通の名前だったと思うんだけど。


「ふふふ、ワイドショーで見ただけじゃ、多分由衣はまだまだこの花の真価を知らないと思うな」


 美玖は耳を貸せと手招きしてきた。学食のテーブル越しに顔を寄せると、美玖は声を潜めて言った。


「ドリームフラワーっていうのはネットで言われてる名前だよ。あの花はね、枕元に置いて寝るといい夢が見られるんだよ」


 小声で囁かれた内容はまるで中学生女子のおまじないみたいな他愛もない物で、逆に困惑した。それだけでテレビに取り上げられるほど流行るものなのか? 


 そんな疑問が顔に出てたのか、美玖は笑った。


「まあ見てみないと分からないかな。由衣は特に自分で見たものしか信用しないし」


 笑って鞄からチャック付きのビニール袋を取り出して私に渡した。それは小さな種がいくつか入っていた。


「私、植物育てるの苦手だからいいよ。家も散らかってるし絶対何かをぶつけて落として鉢が割れるのがオチだよ」


 そう言って返そうとしたのだが、美玖は袋を握っている私の手の上から自分の手をぎゅうっと握ってきた。その有無を言わさない様子に眉をしかめる。


「絶対植えてね。由衣も気に入るはずだから」


 彼女は、美玖は、社交的で空気が読める。流行に敏感で女子らしい話題に事欠かない一方で、『グループみんな一緒じゃないとヤダ』とか『私が好きなものは理解してくれなきゃヤダ』みたいなところがない子だった。私が興味を示さないことには深追いしないで、興味が重なったときだけ一緒に遊びに行くようなさっぱりしたところがある、空気の読める子だった。


 だから、この態度には違和感があった。


 柔らかな声色で、しかし有無を言わさず押し付けてくる時の美玖の目は爛々と輝いていて、見続けるのが怖く、私はその袋を受け取って目を逸らした。



    * * * *



 美玖から種を貰ったのを皮切りに、学部の友達、サークルの先輩、バイト仲間と次々と種を押し付けられる羽目になった。その誰もがあまりにも熱心に勧めてくるのに不気味さが募る。


 そしてとうとう私が相変わらず種を植えていないのを察した美玖から花が咲く直前の鉢植えを押し付けられてしまった。あまりの強引さに、私の知っている美玖とは違う人物に見えたほどだ。


 だけど生き物に罪はない。気は進まないが仕方がないので育てることにした。


 確かにこの花は手がかからない。毎日コップ一杯の水をという話だったけれども、なんならうっかり二日や三日忘れても逞しく元気に育っていた。これなら枯らしてしまうことはなさそうだとホッとしていたら蕾になっていた花が咲いた。昔にワイドショーで見た通りのかわいらしい花だった。


 やれやれこれで美玖に報告できる。ここ最近美玖からは、花はまだ咲かないのかとか、夢は見ないのかと毎日聞かれうんざりしてたのだ。花が咲いたと報告したら落ち着くだろう。


 そう思いながら眠りについた。


 ――夢を見た。


 それは私がこの春落ちた、第一志望の大学に通っている夢だった。酷く鮮明な夢だった。憧れてた大学の憧れてた学部に入り、気になっていた教授の授業を受けて、友達もたくさんできて毎日楽しく大学に通ってる、そんな夢。毎日毎日幸せで一点の曇りもないようなそんな日々を送ってる夢。


「何これ……」


 そんな夢が三日も続いて、私はその花をゴミ捨て場に持って行った。酷く気分が悪かった。夢の中が幸せだっただけに、気分が悪かった。私は私なりに納得して第二志望だった今の大学に通ってるつもりだったのに、まるで納得してない自分をまざまざと見せつけられたようで不快だった。不愉快だった。あんまりにも夢の中の自分が幸せそうで、逆に吐き気がした。


「由衣! そろそろ花が咲いたでしょう? 夢は見た?」


 花を捨てたら夢を見なくなってホッとしたその日に美玖に大学で話しかけられた。


「ごめん、私には合わなかったみたい。変な夢見ちゃった」


 そう答えると、美玖はストンと表情を失くした。そうしてみると、美玖は随分やせたように見えた。なんだか顔色が悪く精彩にかける。それに心配して声をかけようとした瞬間。


「そう、ならいいわ」


 美玖は無表情のままそう言って、くるりと踵を返した。取り付く島のないその様子に私は立ち尽くした。


 それが私が美玖を見た最後になった。それ以降彼女は授業への欠席が続き、ついには親が休学手続きに来たという噂だった。



    * * * *



 夏休みに帰省したらちょうど姉も実家に帰っていた。抱えていた荷物を玄関に残してとりあえずリビングに向かうと、姉が冷凍庫からアイスを出したところだった。


「こっちはちょっとは涼しいかと思ったら、全然そんなことないや。あつーい。あ、お姉ちゃん私もアイス食べる」


「先に手を洗いなさいよ」


「はーい」


 大人しく手を洗って台所に戻ると、姉がアイスを手渡してくれた。よく子供の頃から食べていたやつだ。一人暮らししてるとこういうアイスは買ってなかったので懐かしい。


 そういえば姉は大学院でなにやら植物の研究をしていたなと思い出して、雑談がてら最近は気に留めてなかった花のことを思い出して聞いてみる。


「そういえば、ドリームフラワーって知ってる?」


 子供っぽく未練がましく食べ終わったアイスの棒を齧っていた姉が目を見開いて私を見た。


「あんたそれまさか育ててるの?」


 そこまで驚くと思わなかった私は戸惑いながら首を振った。


「いや、押し付けられたけど、捨てちゃった。……何か気味が悪くて。……こうだったらよかったのに、って夢を見せてくるんだ。私にはそれが気味が悪くて悔しくて不快だったけど……でももしかしたら、あの夢に夢中になってしまう人もいるかもしれないって思った」


 あの夢は、見ている最中はそれだけ幸せだったのだ。ただただ幸せで、それだけに目覚めた瞬間のギャップに私は耐えられなかった。


「そう、ならいいけど……」


 姉はアイスの棒をゴミ箱に放り込みながら話し出した。


「研究対象になったわけじゃないけど、話を聞く限り気味が悪い花ね。育てている者にとって都合のいい夢を見せて虜にする。虜になった者はその種を周りにすすめる。一通り勧めた頃にはその人は眠っている時間の方が起きてる時間より長くなって衰弱していく」


「え、衰弱?! 治るの?」


「花から離せば一応治るらしいよ。ただ元気になった頃また本人が花をどこかから手に入れて育ててしまう。花の見せる夢は合う人と合わない人がいるとは聞いたけど、あんたは合わなかったんだね。よかったよ」


 突然休学した美玖はどうしただろう。でも彼女は実家暮らしだし、多分親が何かしら対処して休学手続きをとったんだろう。……後で連絡してみよう。


「でも植物として種を増やす新しい手段なのかな……実際すごく効率がいいみたいだし」


「どういうこと?」


 独り言のように零す姉の言葉が理解できなくて解説を求める。


「結局植物が増えるためには種をどこかに運んでもらわなきゃいけないでしょ。例えばタンポポだったら風に乗せて飛ばす。食べれるような木の実だったら動物が食べて運んでその先で糞として蒔かれる。そういう工夫。あの花は夢を見せて人を虜にすることで他の人間に花を宣伝させて増えていったってわけ。そんなのが効くかなとは思ったけど、噂に疎いあんたが知ってる時点で相当効力をあげてるのは分かったわ」


「はああ……」


 種としての繁栄のためと言われるといきなり科学的だ。


「まあ一回引っかからなくても、時期を変えたら引っかかるかもしれないし、誰かにしつこく勧められてももう育てないことね」


「そうする」


 姉はちょっと悩んだ仕草を見せてから、冷凍庫からもう一本アイスを取り出して自室へと帰っていった。……お姉ちゃん、一日に何本もアイスを食べたら太りますよ。



    * * * *



 美玖にメールを送ったら彼女の母親から返信が来た。一度は目が覚めて普通の生活に戻ったのに、ある日また花を手に入れてまた寝込んでしまう、そういうことが続いたらしい。


 秋になって後期の授業が始まっても、美玖は大学を休学したままだった。サークルやバイト先でもぽつりぽつりとよく見た顔が欠けていた。


 彼女たちはまだ、あの花の見せる夢に囚われたままなのだろうか。



    了

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