【しあわせの種】
ボンゴレ☆ビガンゴ
しあわせの種
コロナウイルスの対策で不要不急の外出は控えろと政府が言って、コンサートもイベントも中止になってるのに、満員電車の通勤はなくならないんだから、この国は狂ってるよ。
……しかも、目の前で痴漢が行われてるんだから、余計に面倒だ。
今日は大事な会議があって、遅刻するなんて絶対にできない。けど、目の前では女性が痴漢にあっていて、場所的に俺しか気づいていないんだもん。助けたいのは山々だけど、寝坊気味でギリギリの電車だったから、痴漢を捕まえて電車が遅れたり、警察に証言したりってなったら、遅刻してしまう。
分刻みで行動を管理される日本だから、人はいつも時間に追われてて、だから、予定外のことに関心を持つ暇がなくて、痴漢を見ても助けようって気持ちにならないんだよ。心に余裕がないんだもん。
よし、決めた。俺が助けなくても、誰か助けるだろ。よし、無視をしよう。気がつかないフリをしよう。
そう心に誓ったのだけど、
(助けてください……)
不思議な声が聞こえた。驚いて閉じかけていた目を開く。
気のせいか?
(気のせいじゃありません。そこの、目つきが悪くて赤いネクタイが似合わないモテなさそうな方……助けてください)
声は脳内に直で語りかけられているようでゾワっとした。
なんだ、この声。あたりを見渡すが、この声に気づいている人はいない。
もしかして、他の人には聞こえてないのか?
(はい、あなたにだけ、直接語りかけています。テレパシー的なやつです。そんなことより、この卑劣な痴漢を見過ごすなんて、ちょっと酷いですよ。さっきからわたしのお尻を触ってきて、不快です。早く助けてください)
ど、どういうこと?
目の前の痴漢をされてる女性が念力で俺に助けを求めてるってこと?
(だから、そうですって。早く助けてよ!)
わ。わかった。わかったって。
俺はビビりながらも痴漢をしている男の手を掴んだ。
「い、嫌がってるだろ。痴漢はやめろっ!」
俺の声が車内に響いた。
「……ったく、これで今日のプレゼン、ぱぁだよ」
駅のベンチで缶コーヒーを飲みながらガックリと肩を落とす。目の前には俺が助けた女性が立っている。金色の髪に白い肌。日本人じゃなさそうだ。
「ありがとうございました。あなたのおかげで助かりました。見て見ぬフリをされたら天罰でもくだそうかと思いましたよ。えへへ」
女は笑った。とても流暢な日本語だ。ハーフかな。
「まあ、一応当然のことをしたまでっす。ってか、さっきのあれなんだったんすか。テレパシー? あんた超能力者?」
「いえ、わたし天使です。下界仕様で天使の輪と翅は無い状態だけどねー」
天使だ? まあ天使という形容がお似合いなほど美人ではあるけど、頭おかしい人かな? 関わらないほうがいいかな。
「あ、誰が頭のおかしい人ですか。あなた、信じてないですね。こっちは心の声がまる聞こえなんですよ?」
口に出していないのに思っていることを言い当てられた。
「わたしは天使のミカちゃんです。ミカって気軽に呼んでいいですよ」
「はぁ……。どうも。ってか俺、仕事行かなきゃいけないんで、失礼します。」
こいつが天使かどうかは知らんが、なんだかヤバそうな雰囲気だ。そんな奴にはあまり関わらないほうがいい。
「だーかーら。心の声、聞こえてますからね。ヤバくないって。ちょっと話を聞いてよ」
聞きたくない。面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらだ。
「わたし実はね。この世界にハッピーを届けるためにやってきた天使なわけ。で、この『しあわせの種』を世界中に撒こうとしてるんだけど、その手伝いをして欲しいの」
ミカは懐から黄金色の小さな種を取り出した。
「ちょ、待てって。話を聞くなんて一言も言ってねえだろ」
「まあまあ、いいじゃない。手伝わないとあなた、死ぬし」
「……は?」
「あなた死ぬの。今日の午後。でも、わたしを助けてくれれば、まあハッピーにさせてあげようかなって。そんな感じでわざわざ天界から来たのよ。喜んでっ」
俺が死ぬ?
何を言ってんだ、この女。
「あ、信じてないわね。いいわ。じゃああなたの脳内に直接その時の模様を天界から念写するから、見て見て。はい!」
バシッと電気が走ったかと思うと、脳内に見慣れた景色が映し出された。会社の前の道だ。そして俺が会社から出てくる。俺が道路に出た瞬間に暴走したトラックがやってきて……うわ、グッシャグシャ。まじ?
「そ。マジなのー。けっこーグロいっしょ。たまたまそれを見た主婦なんかゲロ吐いちゃったからね。地獄絵図よ。ってなわけで、わたしの手伝いをしてくんなきゃ、それの通りな未来が待ってるけど、どうする?」
どうするって言われても……。
こんなリアルな映像見せられたら、選択肢なんてないじゃん。
「そ! ってことで手伝って! 痴漢からも助けてくれたし、あなたって見た目とは裏腹にいい人よね。ってことでわたしの仕事を説明するわ。耳の穴かっぽじってよく聞いてね」
……というわけで強引な勧誘で、俺はわけのわからない自称天使の仕事に付き合わされることになった。
「わたしの使命はね。この世界に幸せを蔓延させることなの。作戦名は『しあわせパンデミック計画』よ」
どんなパンデミックだよ。
「素敵なパンデミックよ」
にこりと笑ってミカはウインクをした。天使だけあって美しい。ちょっと馬鹿っぽいけど。
「じゃ、そういうことで、上空からこの『しあわせの種』を撒くから。手伝ってね」
空の上から?
俺が疑問を口に出すより先に、ミカの背部から純白の翅がバサーっと生え、羽ばたいたかと思うと、俺は上空にいた。
「うっわー! 何これ!? 飛んでる!? 俺、浮かんでる!?」
空の上、雲の上。
一瞬で地上は遠くにかすみ、俺は空に浮かんでいた。
ミカは隣で天使そのまんまの姿でいて、翅を優雅に揺らめかせて宙に浮いている。俺はジタバタと犬描きで泳ぐみたいに宙に浮いている。
「おーい! 展開が急だぞ!」
もがきながら叫ぶ。
「天界だけに、なんてね。てへ(天使の笑顔)」
何が天使の笑顔じゃ。このイカれ天使め。
「さあ、じゃあ、手分けしてこの『しあわせの種』を撒くわよ。実はもう世界の主要な大陸も都市も撒き終えてて、この島国だけが残りだったの。チャチャッと終わらせましょー。わたし、北海道まで撒くから、あなたは沖縄の方までよろしくー。三十分で撒いてここに再集合ね。……時間オーバーすると、わたしが付与した飛行能力が切れるから、地上に堕ちてぐしゃぐしゃになって死ぬから、気をつけてね。じゃーねー」
ピューっとミカは北に向かって飛んでいってしまった。
マジかよ。嘘だろ。
見ると手首に麻袋が引っかかっていて、中にぎっしり黄金色の種が詰め込まれている。これをばら撒けってことか。
なんだかわかんないけど、やらないと死ぬってこと?
冗談じゃねえぞ。
俺は犬掻き泳ぎで南を目指した。
そして、三十分後。
「ぜえぜえ……なんとか撒いたぞ……ってか三十分で沖縄往復なんて無茶苦茶だぞ」
鼻水をたらしながらミカに抗議する。
駅のベンチだ。通勤ラッシュは終わりかけではあるが、人々は忙しく往来していて俺たちに目を止める者はいない。
「あら、でもやれたじゃん。グッジョブよ! ……えっと。あ、名前まだ聞いてなかったね」
「山崎太郎だ」
「タロちゃんね。ヨロピク。と言いつつお別れだけど」
「お別れかよ」
「そ。『しあわせの種』は一ヶ月で成長するからね。一ヶ月後には世界中にハッピーが蔓延しているはずよ」
「本当かよ」
「ええ。じゃあ一ヶ月後にまた来るからね!! あなたも幸せ一直線よ!」
「彼女くらいできるかな?」
「もーバッチリよ!」
「じゃあ、まあよしとするか」
「ふふふ。では、一ヶ月後ね。アデュー!!」
キラキラな笑顔を残して天使は去っていった。
大遅刻になってしまったが、まあ世界が幸せに包まれるなら、いいだろう。今日は仕事休んじゃおうかな。なんだか朝からもうぐったりだよ。
そして、一ヶ月後。
「ヤッホー! タロちゃん! 元気してた? 幸せいっぱいかな? ……ってあれ?」
天使のミカは突然現れた。
「どうしたの? 死にそうな顔してるじゃない?」
「コロナ……ウイルスに掛かっちゃって……」
俺は病床に伏していた。高熱は下がらず、食事も何日も取れていない。痩せ細って幸せには程遠い。
「えー!? おかしいなー。種はちゃんと世界中に撒いたんだけどなー」
ミカは不思議そうに首を傾げた。
「ちょっと、世界の様子を見てくるねー」
と言い残しピュピューンと翅を伸ばして飛んでいった。
そう、あれから一ヶ月が過ぎたが、世界は幸せになるどころか混迷を極めていた。世界中でコロナウイルスが蔓延し、変異したウイルスは致死性が極めて高くなり、日本の後手後手の対策は一つも成果をあげず、疑心暗鬼やデマに踊らされ各地で内戦が勃発し、こうして俺も死にかけているってわけだ。
あの天使が撒いた種は「しあわせの種」なんかじゃ、なかったんだろう。
なんかそそっかしい奴だったし、何かヤバイ種を間違えて撒いたんじゃねえか。
朦朧とする意識で横たわっていると、ミカは戻ってきた。
「いやー。なるほどねー。原因がわかったよ。めんごめんご」
枕元に座って、ミカが頭を掻く。
「わかってるよ、どうせ君が撒いたのは『しあわせの種』じゃなくって『不幸の種』とかだったんだろ?」
だから、この世界は今、大変なことになってるんだ。そうじゃなきゃおかしい。
でも、ミカはきょとんとした顔で固まった。
そして、吹き出した。
「あはは。違う違う。そんな間違いはしないよ。ちゃんと『しあわせの種』だったよ。でも、ちょっと勘違いしててね。
……地球にとっての幸せって人間がいないことだったみたい! 種の影響で人間の数が減ってるんだよ。だって地球にとって一番の幸せは人間が減ることなんだね。てへ」
てへ。じゃねえよ。
……でも、そういわれれば、そうだよなと、渇いた笑いが漏れた。
そして、俺の意識は遠のいていった。
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