第16話 我儘はどちらだろう
レットモルと言う名は建国者が国民一人一人の幸福を願ってつけたものだ。由来となったのは二輪の花であり、それらは王族の紋章にも刻まれている。
巨大なカルデラの盆地に創られた国は、傍から見れば土壁に囲まれた砦のようであろう。国を出入り出来る場所は砦の一か所を削った場所だけであり、通行用と貿易検品門とに二分されている。
イセルブルーの一件以来、検品はより強化されており、貿易の品だけでなく貿易団の荷物は全て調べられるようになっていた。それに不服を唱える者はおらず、レットモルの為ならばと頷くのだ。
彼らは平和であることを疑っている。平和が一度崩れた様を知っているから。
「リオ、ほら見てよ。またお客さんだ」
だから平和を保とうと躍進する者がいる。平和は永遠ではないと知っている者が守ろうとしている。
「そうだね、入国証は持ってなさそうだ」
「なら入国審査をしなきゃいけないね」
レットモルの土壁の上に立ち、クラウンとリオリスは目を細めている。
時間は真夜中。明かりが消え、国が闇に沈む時間。
リオリスは、駆け出したクラウンの背中を見つめていた。
道化は土壁を抉りながら駆け抜け、暗闇に紛れていた不法入国者達の頭に蹴りを入れる。容赦なく、
それに不法入国者達が悲鳴を上げる前に。
彼らを締め上げた白い糸がある。
粘着性を備えた糸はリオリスの指先から伸びており、入国希望者達を地面へと叩きつけた。
糸と大地が触れ合い、強力な粘着力によって入国希望者達は起き上がれない。
「やぁやぁ入国希望者ご一行様、滞在は何日をご希望ですかね?」
クラウンは問い、口を塞がれている者達の顔からは脂汗が滲んでいる。彼らの首は千切れんばかりの勢いで横に振られ、リオリスは糸を締めていた。
入国希望者達の骨が軋み、血管が締まる。
彼らの体が発する悲鳴を団員達は拾っており、それは眠りに落ちた国の中では一番の雑音と化していた。
深緑の髪を揺らす少年は、呆れたように笑顔を浮かべている。
「国に入りたかったら、昼間に来て欲しいんですけどね」
「夜に来るなんて迷惑
「だからこうして俺が口を塞いでるでしょ?」
「さっすがリオ~」
クラウンは称えるようにリオリスの肩を叩く。少年は目元を染めて微笑み、腕を引くことで不法入国者達の首だけをのけぞらせた。
向かない方へ首を曲げられつつある彼らの瞳には涙が滲み、視線だけで懇願する。
気道が締まり呼吸が正しく出来ない。口と鼻を塞がれ空気すら上手く吸えない。目の前が霞み、思考は
彼らの伸ばされた皮膚繊維が徐々に切れ始め、口から出る悲鳴は糸に吸い込まれた。
骨が軋みを上げる。その方向には曲がるように出来ていないと主張する音を無視し、リオリスは指を握っていった。
そして、楽し気にクラウンに聞いてみせるのだ。
「さぁ、本日の入国審査官さん。彼らを国に入れますか?」
ままごとでもするような聞き方に審査をされている者達の心拍が暴れる。
クラウンは彼らの背中や腰にある武器を一瞥し、陽気に言い放った。
「武器所持につき入国不可! 死刑ですね!」
瞬間、クラウンの足が動いた。
審査を通らなかった者達から、骨が折れる音がする。
背骨が折れ、血管が千切れ、目から涙を流していった者達。
リオリスの糸は彼らの骨と血管を引き千切り、クラウンの蹴りが首の骨を砕いたのだ。
こと切れた者達はリオリスの糸に繭として包まれ、クラウンは何体かの繭を華奢な肩に担ぐ。そのまま二人はカルデラの外に繭を投げ捨て、暗闇に沈んだのを確認した。
「無事に大地の肥やしに戻ってねー」
クラウンは節操のない雰囲気で手を振り、リオリスは指先から出していた糸を消す。
二人はカルデラの中に目を戻し、穏やかに眠る国民達に笑ったのだ。
「さ、見回りに戻ろうか、クラウン」
「だね、今日の入国希望者、これで終わると良いなー」
クラウンは伸びをし、リオリスとは反対側へ歩いていく。
――貿易で財を成しているレットモル。貴重な品や希少な商品が集まることが多いこの国は、一部の種族からは「宝箱」と言う異名を与えられている。
レットモルの昼を守るのは王宮騎士団。ロシュラニオンを総騎士団長に置くレットモルの精鋭達が目を光らせている間、国に害成す者の侵入は許されない。
レットモルの夜を守るのは異種族混合のサーカス団。イセルブルーの一件以来、貿易団筆頭とサーカス団とは別の顔、
言い出したのはサーカス団の
団長は危惧したからこそ進言した。この国を守る為だと頭を下げ、サーカスと旅で鍛えられた自分達ならばまず負けることは無いと戒めて。平和を揺るがした事件の二の舞を起こさせない為だと奥歯を噛んで。
夜警に関して周知しているのは王と王妃、総騎士団長のロシュラニオンと各騎士団長達である。
国民もランスノークも、ニアも知らない夜の番人達。
彼らはレットモルの生まれの者ではない。そこまでする義理は無いと言う他者もいるだろう。
けれども彼らはそれで良かった。自分の種族から弾き出された彼らの国はレットモルであり、親はガラなのだから。
ガラはレットモルに忠誠を誓い、王と王妃に命を捧げている。
――団長が守りたいと思う場所ならば、自分達も守りたいと思うのは当り前よ
ピクナルの言葉に団員達は迷わず首を縦に振った。クラウンもリオリスも異論はなく、ガラはシルクハットを胸に当てたのだ。
――ありがとう、俺の家族達
泣き出しそうだったガラをクラウンは思い出す。道化師は明かりが落とされた王宮を一瞥し、真反対に位置するテントにも視線を投げた。
「……一回襲った場所は、もう襲わないのかねぇ」
クラウンは拳を握り締める。
道化師が番に出る日数は団員の中でも特出して多い。クラウン自身がそう望んだのだ。
交代するのは大概レキナリス。
レキナリスは八年前の事件から心臓に負荷がかかり、眠るだけではなく繭に籠ることが多くなっている。チケットの販売などの裏方は出来るが、一つのアートを完成させるだけの体力も無くなってきているのが現状だ。
先日の大輪祭は調子も良かったのだが、ランスノークを送り届けた瞬間倒れたと団員達は知っている。
リオリスとクラウンは無理をさせたと反省した。それはそれは反省した。地に埋まる勢いで反省した。
それを笑い、二人の頭を撫でてどれだけ楽しかったかを語ったレキナリスは、今日も繭に籠っている。
「……なんだかなー」
クラウンは背中で手を組み、軽快に国を見回って行く。脳裏には緑頭の青年を思い浮かべたまま。
「クラウン、半周したけど南に異常はなかったよ」
「そ、良かった」
お互いに土壁を半周し、合流したリオリスとクラウン。二人は国を見下ろし、吹いた風に道化師はカツラと仮面を押さえていた。
「夜警の時は外してもいいんじゃない?」
「外す意味が分からないなぁ」
リオリスは国を見下ろしたまま口にする。クラウンも緑頭の少年を見ることは無く、カツラを押さえていた左腕を下ろした。
「……ねぇ、アス」
リオリスはクラウンに視線を向ける。その呼び声に道化師が返事をすることはなく、リオリスはクラウンの右腕を掴んでいた。
「待ってるの? ロシュから記憶を奪った犯人が来るの」
クラウンは返事をしない。それはアスライトに対する問いであるからだ。
リオリスはそれを察し、クラウンの右肩に額を寄せる。もう二度と、肩より上がらない腕を握り続ける。
「犯人を見つけて、どうするつもり? 捕まえても、ロシュの記憶が戻るとは限らないよ……クラウン」
「殺すんだよ」
迷いのない言葉が落とされる。
リオリスは顔を上げ、国を見下ろす道化師を凝視した。
「ラニの心を抉った奴を殺してやる。平和だったのに、笑ってたのに、夢だって語れたあの子を殺した奴を、私が殺す。ラニを殺した奴を、私が殺す」
「それは、誰の為に?」
確認に、クラウンは一度口を噤む。
リオリスはその間に問いを重ねていた。
「犯人を殺した後、クラウンはどうするの」
「私はロシュラニオン様の傍にいるよ。この先ずっと。彼の敵は犯人だけって訳でもないからね。レットモルの総騎士団長だぜ? これからだって敵は増えるさ。だから私が守る。私が代わりに殺していく」
クラウンは両腕を脱力させ、黒い髪が靡いている。
リオリスは奥歯を噛み、指の関節を鳴らした。
白い糸をクラウンの仮面に貼り付けた少年。
クラウンは反射的に仮面を押さえ、回し蹴りをリオリスの腹部に叩き込んだ。
リオリスは片腕で勢いよく蹴りを受け止め、道化はすぐさま後ろに距離を取る。
それでもリオリスの糸は切れない。クラウンは両手で仮面を押さえ続け、歯ぎしりをしていた。
「リオッ」
「アスライト」
白い仮面に亀裂が入る。黒い髪は風に靡き、クラウンの肩が震えていた。
リオリスは糸でクラウンの腕を剥がさせる。
それと同時に地面を前に蹴ったクラウンは、少年の肩を殴り飛ばしていた。
「ッ、」
「やめろリオリス。その指全部へし折るぞ」
リオリスの両指を纏めて握り締めたクラウン。
リオリスは暴れることなく、息を吐きながら目を伏せた。ひび割れた道化の仮面を見ないように。
「……ごめん、我儘が過ぎた」
少年は肩から力を抜き、道化は唇を噛んで黙る。
ゆっくりとリオリスは起き上がると、深緑の頭を道化の肩口に寄せていた。
しゃがみこんだ二人の耳は、それでも周囲の警戒を怠らない。部外者が国に立ち入らないように。決して、決して。
リオリスは、クラウンの手首を柔く掴んでいた。
「……アス、一人で抱えなくていいよ。俺もいる。一緒に背負えるよ。大丈夫」
「リオリス」
「ほんと困るよ。アスは昔っから、一人で何処へでも走って行っちゃうんだから」
眉を下げた笑顔を向けるリオリス。クラウンは言葉を詰まらせ、黒い髪を仲間の手に撫でられた。
「時々くらい、アスライトを生き返らせてあげて良いんだよ」
「……嫌だよ、こんな弱い奴。ラニを苦しめるだけの奴なんて、死ねばいい」
クラウンは視線を城に向ける。その顔を片手で掴み自分の方に向かせたリオリスは、怒ったような表情を作るのだ。
「そんなこと、次言ったら許さないからね」
「なら、生き返らせようとなんてしないで」
「俺はクラウンも好きだけど、アスライトも大切だから」
リオリスは綻ぶように微笑み、クラウンの頭を再び撫でる。
道化は何も答えず、ひびが入った仮面を指で撫でていた。
「リオと話してると、調子が狂う」
「そう?」
「そうだよ、昔からそう。臆病なフリして大胆で、怖がりなようで挑戦的で」
「退屈しないでしょ?」
「しないね」
クラウンは立ち上がり、リオリスは細い手首を離していた。
「クラウン、なんか背が縮んだ?」
「自分が伸びたんだろうがバーカ」
肩を揺らし、夜の中で二人は笑う。
クラウンは軽くリオリスの肩を殴って。
リオリスはクラウンの頭を叩くように撫でて。
二人は空が白むまで夜警を続け、朝日が昇り始めると同時に道化師はテントへと向かった。
朝食を部屋で早々に平らげたクラウンは予備の仮面をつける。
扉をノックせずに開けたリオリスは、仮面を調整している道化を見て息を吐いた。
「あーぁ、遅かった」
「ばぁか。仮面代は請求するからな」
「食後のデザートで許して欲しいなぁ」
「要相談でーす」
リオリスの横を抜けて、クラウンは城へ走る。緑頭の少年は手を振ると、静かに欠伸を零していた。
クラウンは気づかない。自分の背中を見つめる玉乗りがいたことを。白く長い耳を握り、かけられなかった声を飲み込んだ団員を。
道化師は夜番の騎士が次の騎士と交代するのを横目に、城に住まう者達に挨拶していく。
従者も騎士も笑顔でクラウンに答え、道化は付き人になっていった。
ロシュラニオンの部屋の前に辿り着いたクラウンは耳を澄ませ、室内に響く足音を拾う。
だから道化師は明るい声を出すのだ。
大きく大げさに扉を叩いて、彼を今日も幸せに近づけていく為に。傍でおどけて見せる為に。
「ロシュラニオンさまー! 朝だよー!」
一人で身支度を整えたロシュラニオンを、クラウンが朝稽古で倒したのはまた別の話。
「反応が遅いぞ、俺」
「反省会は朝ご飯の後にしなよ」
「あぁ……お前、なんで今日は仮面が違うんだ」
「気分です!」
「……」
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