第6話 他者に誓って何になる

[前書き]

 この回には、欠損や多少の流血表現が含まれます。残酷描写がある設定にもしていますが万が一にも読者の方が不快にならないよう、今一度前書きさせていただきます。どうか、ご了承下さいませ。


 ただ一途で、無垢で、純粋なこの子達を見守っていただけたら幸いです。


 ――――――――――――――――――――

 

 その日のアスライトは、青い顔でミールの元を訪れていた。


 常にテントの上部にいる副団長は、いつもならば向けない顔を少女に向ける。


「……副団長」


「ロシュラニオン様の脈が、弱まったんだね」


 ミールはアスライトの考えを見た。


 飲まず食わず、せんじた薬草だけで子どもの体が長く持つ筈もない。それはミールもアスライトも、今のロシュラニオンを知る者ならば誰もが分かっていた。


 だが、それを受け入れられるかどうかは別である。


 アスライトは大粒の涙を零している。ミールは心と考え、二つの目を閉じて少女の姿だけを見るようにした。


「お願い……導いて。ラニを起こして、副団長」


「――私は、」


「嫌だ。このままラニが起きないなんて、死んじゃうなんて、絶対いや」


「アス」


「いやだよ。私、まだ、謝ってない。守れなくてごめんって。もっと、ラニとたくさん、はなしが、したいのに」


「落ち着いて、アス」


「落ち着けないよッ!!」


 伸ばされた黒い手を強く払ったアスライト。宝石と謳われる青い瞳は涙に濡れ、ミールの指先が痙攣した。


「なんでラニがこんなことになったか、なんて、そんなの……ッ私のせいだもん!」


 アスライトは両手で顔を覆い、天を仰いで咽び泣く。


 少女の脳裏にこびり付いているのは、霞んだ視界の向こうに残してきてしまった王子の姿だ。


 ミールはしゃくり上げる少女の肩に手を置き、酷く震える声を受け止める。


 アスライトが始めたのは――懺悔だった。


 胸中きゅうちゅうに溜めてきた感情の吐露だった。


「私が悪い。私があの日、あの時、ラニのこと守れなかった、私が悪いのにッ!」


「アス」


「ラニと約束したもん。ラニの背中は、私が守ってあげるって。ラニの手、引いてあげるって」


「そうか」


「ラニが何処にでも行けるようになったら、一緒に、色んな国に行くんだって。何を見ようって、何を食べようって、何を、しようって、ッ!」


「あぁ」


「お願い。お願いします。お願いだから、ミール副団長ッ、ラニを、ラニを、起こして、ラニを――導いてッ!」


 アスライトが強くミールの肩を掴む。その衝撃でフードがずれ、銀の瞳が姿を見せた。


 黒いくちばしは閉じられ、全てを見透かす瞳はアスライトを射抜いている。


 少女の姿は震え、心は泣き叫び、考えはロシュラニオンのことだけで埋まっているとコルニクスは知った。


 彼は姿を見る目以外を閉じると、アスライトの細い肩を優しく撫でた。温かさが伝わるように撫でた。


 青い少女の喉で言葉が詰まる。感情は体内で暴れ回り、それは結果的に少女自身に向かう棘として集約された。


 アスライトは嗚咽を零し、必死に空気を吸い込む。


 彼女の胸に溜まる願いは、いつだって少年の為だ。


 彼の為だけだ。


 掛け替えのない王子の為だけの、願いなのだ。


「ラニに、死んでほしく、ないよぉ……ッ」


 止めどなく溢れる涙が少女の顔を濡らしていく。


 ミールは青い髪を三本目と四本目の腕で撫で、深く息を吐いた。


 沈黙が二人の間に落ちる。


 アスライトは唇を噛み締め、その手は決してミールを離そうとはしなかった。


「――アスライト。導くならばお前は代償を払い、誓いを立てねばならない」


 消え入りそうなミールの声を、アスライトは聞き逃さない。


 少女は勢いよく顔を上げ、姿の目を開けているミールを凝視した。


「代償?」


「そうだ」


 ミールは四本の腕を上着の中に仕舞う。


 アスライトは口を結ぶと、涙を強く拭い捨てた。


「他者を導く為には、責任が必要だと言ったな」


 ミールの言葉にアスライトは頷く。


 銀の瞳は、青い瞳を見つめていた。


「アス、お前はロシュラニオン様を目覚めさせたい。ここに間違いはないな」


「うん」


「彼の様子なら――ここに寝かせていた時、一番に見た」


 アスライトの目が大きく見開かれる。少女は確かに絶句しており、ミールはそれでも続けた。


「彼が目覚めないのは簡単だ。目覚めるのが怖いから目覚めないのだ」


「目覚め、る、のが?」


「彼の心は、深く抉られるほど傷ついていた。だから彼は目覚めたくないのだ」


 少女は奥歯を噛み締める。


 ロシュラニオンがイセルブルーに怯えていた状況や、自分が目の前で倒れてしまったこと。犯人だと思われる誰かと対面したことを考えれば、それは当然と言っても過言ではない。


 アスライトは左手を握り締め、勢いよく振り上げた所で拳を止めた。


 そのまま彼女はゆっくりと手を下ろし、自分を落ち着かせるような声色で確認する。


「ラニが、自分で起きたがってないってこと……王様達には?」


「言ってないよ。言えば彼らも、私に導くことを望むだろうから」


 ミールは目を伏せて、謁見した時の王と王妃を思い出す。


 彼らは酷く優しい。優しく、穏やかで、慈悲深く、誰もが着いて行きたくなるような王族だろう。


 だからこそガラは、ミールの種族を伝えなかった。ミールも口を閉ざした。自分の元を訪れたニアも払いのけ、王達に恩があると申し出てきた他の貿易団も邪険にした。


 コルニクスは平坦に、アスライトに言葉を投げる。


「導いた先で、王子は幸せになれるのかい?」


 その問いに、少女は言葉を無くす。


 酸素を求めるように口を開閉させる姿を副団長は見つめ、踊り子の手は震えた。


 二人の間には再び沈黙が流れる。


 しかしそれは先程よりは短く、アスライトが言葉を絞り出した。


「――幸せに、するんだ」


 ミールの肩が微かに揺れる。


 言葉を必死に紡ごうとする少女はコルニクスに縋り、もう、泣くことはなかった。


「嫌なことがあったなら、辛いことが、あったなら、尚更だ! ラニは起きて、幸せにするッ! みんなで幸せにするんだ! もう二度と怖い思いなんてさせないように、嫌なことが、ないように! 痛いことが、ないようにッ!」


 ミールは心を見る目を開き、アスライトを見る。


 少女の心は泣きながらも純粋に言葉を紡いでおり、ただそこにある思いは、一つだった。


「――もう一度、笑って欲しいね」


 ミールはアスライトの額を嘴で撫でる。


 アスライトは奥歯を噛んで何度も頷き、副団長の胸に額を押し付けた。


「今度はちゃんと、守るから。ちゃんと手を繋いでるから。だから、だから、ッ」


 アスライトはミールから離れ、拳を握る。


 少女の目は強く輝き、だからこそコルニクスは目を細めてしまうのだ。


「私、背負うよ。導くことを背負うから。だからお願い、副団長ッ!」


 勢いよく頭を下げたアスライト。深く深く、少女は王子の為に頭を下げた。


「導いてください。ラニを、起こしてください」


 ミールは瞳を全て開けて、アスライトの考えを探る。


 そこを埋め尽くしているのはロシュラニオンに対する想いだけであり、少女の言葉に裏も表も存在していなかった。


「あぁ――子どもは、嫌いだな」


 ミールの言葉に少女は肩を揺らす。


 静かに息をついたコルニクスは肩を脱力させ、少女の顔を上げさせた。


「……分かったよ、アスライト――ロシュラニオン様を導いてあげよう」


「副団長ッ!」


 アスライトの顔が明るくなる。ミールは「喜ばない」と釘を刺し、青い少女は口を結んだ。


 ミールは嘴を閉じて考える。


 これは子どもにさせるべきことではないと。王や王妃に謁見し、ガラに相談し、大人が解決しなければいけないことだと。


 だが、彼は子どもが嫌いな以上に大人が嫌いだった。吐き気がするほど嫌いだった。だからニアや貿易団の頼みを断り、常に明かりを当てる側に居続けるのだ。


 目の前に立つ少女はミールを真っ直ぐ見据え、副団長は上着を床に落とす。


 彼の四本の腕は膨れ、黒い翼へと姿を変えた。いや、戻したと言うのが正しいだろう。


 アスライトは稀にしか見ることが出来ない漆黒の翼に背筋を伸ばし、一瞬震えた内臓を無視していた。


「怖いだろう、やめていいよ」


「嫌だ、やめない」


 揺るがぬ踊り子に、副団長は諦めたように息をつく。


 それからアスライトを見据えて、目を細めたのだ。


「怖がりな王子を導いてやろう。起きることを恐れる少年を、私は導こう。それを願うセレストのアスライト、お前は導く責任を背負って生きろ。起きることを怖がる子を起こすのだ。それ相応の覚悟を持て」


「はい」


 アスライトとミールは対峙する。少女の右肩を一瞥した副団長は、首を横に振りかけて止めていた。


「まずは代償を貰う。導く為のともしびを貰う」


 アスライトは服の裾を握り締める。ミールは四本の翼を五指ある手に再び変形させ、三本の腕でアスライトの両肩と片足を掴んだ。


 残った一本の腕はゆっくりと、それでも確実にアスライトの顔へと近づいていく。


「導く為には、道を間違えない為の目がいる。道を見据える眼がいる」


 ミールの言葉に、アスライトの体が一気に冷える。


 コルニクスは目を細め、黒い手は少女の額に無痛のまじないをかけていた。


「止血のまじないは後だ。あれは血が流れてからではないと意味が無いからね」


 それだけで少女は全てを察する。


 これから自分に何が起こるか。何を代償として差し出すのか。


 ミールは感情を読ませない瞳で、少女の宝石と謳われる目を見つめていた。


「アスライト、代償は――お前の右の眼球だ」


 ミールの五指が、アスライトの右眼球を掴む。上瞼と下瞼を押し開き、白い眼球のより奥に指をねじ込んで。


 アスライトの体からは一気に脂汗が溢れ、呼吸が荒く浅く震えた。


 今見えている景色がどうなるのかなど想像も出来ず、これから先の自分がどうなるのかと頭の中を散らかしながら。


 少女の顔を血が伝う。それでも痛みはなく、生温い血液は涙の跡を上書きした。


「両目での景色に、お別れだ」


 神経が千切れる音がする。


 筋肉が裂かれる音がする。


 その音はアスライトの脳内に直接響き、彼女は動く片足を反射的に後ろに引いた。


 それでもミールは慈悲なく力を込め、眼球を――引き千切った。


「ぁ"……ッ!!」


 酷い違和感がアスライトを包み込み、コルニクスは少女を自由にする。


 右目を押さえてうずくまったアスライトは、まじないのお陰で痛みは感じなかった。


 溢れ出た血液も、直ぐにかけられた止血のまじないによって止められる。


 それでも体は拒絶した。


 一部が奪われたと内臓は叫び散らし、少女の体から油汗が流れて止まらない。関節はどれだけ願っても震え続け、奥歯の震えをアスライトは止めることが出来ずにいた。


「宝石と言われるだけのことはある」


 ミールは手の上にある眼球を見て、呟いてしまった。


 神経が数本繋がっているそれはまさしく宝石のようであり、子ども特有の透き通る白目が美しさを際立たせている。


 彼は羽根を一枚変形させて瓶に変え、眼球を入れた。


 蹲っている少女は呼吸の仕方を忘れたように息を吸うばかりしており、ミールは膝をつく。


「アスライト、息を吐け。吸うだけでは呼吸にならない」


「はッ、ぁッ、はッ、はッ……ッ!」


「痛みは無いだろ、血も止まった。だからまずは呼吸を整えろ」


 アスライトの背中を撫でるミール。それでも少女の呼吸は整わず、空洞となった右目を押さえる手は血だらけだ。


 副団長は少女の背中を撫で続け、落ち着くのをただ待った。


 自分に願って頭を下げ、代償や誓いについての知識も詮索もしないまま覚悟を決めた、無知で無垢な子どもを労わって。


「アスライト、忘れるな。どうしてお前が導く責任を負おうとしているのか」


 ミールは諭す。それが少女に一番効くと知っていて。


 アスライトは奥歯を噛み締めて震えを止めると、自分の足を殴り、絞り出すように叫ぶのだ。


「ラニッ!」


(――やっぱり子どもは、嫌いだな)


 目を細めたミールはアスライトから離れる。少女は右目を押さえて立ち上がり、浅くも呼吸を繰り返した。


 背中は震えて丸まり、右手で顔を押さえる為に頭も下がり、少女の肺は上手く広がらない。


 アスライトは血に汚れた自分の左手を見下ろし、不意に右肩を殴っていた。


 氷と拳がぶつかり合う甲高い音がする。ミールはその動向を見つめ、少女の考えを読んでいた。


(お前の罰は、これでも足りない。足りない、足りないッ、足りるもんかッ!!)


 アスライトは左目でミールを見上げる。


 その瞳を見て、副団長は嫌気がさすのだ。


「――次は誓いだ、アスライト。どれだけの覚悟を持って他者を導くのか。お前が最も望むことを手放して、他者の手を取り先導しろ」


「……手放す」


「思いを捨てずして他者の手は取れない。手を取る為に、お前はどうなることを手放す。ロシュラニオンが起きた時、お前はどんな行為を捨てられる」


 アスライトは考える。その考えを読むミールは、少女が口にする前に言葉を吐いた。


「踊り子をやめるでは意味がない。ロシュラニオンに関係しなくては導く力が足りないだろ」


「そ、か……」


「花を共に育てないでは弱い」


「……なら、」


「二度と遊ばないも、まだ弱い」


「……ッ」


「もっと強いものを捨てろ、望むものを得たいならばそれ相応のものを差し出し、捨て置き、振り返るな。他者を導くとはそういうことだ」


 ミールの顔が歪む。それは少女を見て歪んだのではなく、かつて彼に導く力を請うてきた誰かを嫌悪したのだ。


 代償と誓いの話をすれば大概の者は言う。「それでは割に合わない」と。


 そのような言葉を一言でも吐けば、ミールは導くことを即座に止める。


 だから彼は願っていた。少女が弱音を吐くことを。


 それでもアスライトは考え続け、必死に自分を戒め、ただロシュラニオンが起きることだけを望むから。


 コルニクスは、諦めたのだ。


「それでいい」


 ミールは自分の黒い掌を嘴で傷つけて差し出し、淀みなく伝えていた。


「誓え、アスライト。お前が捨てるその思いを、行動を」


 コルニクスは導く種族。彼らは、他者を導きたいと願う者の声を聞き、代償として片目を貰い、誓いを立てさせる。


 代償と誓いが揃うことで、初めてコルニクスは導く力を得るのだ。導きたいと願う者の思いを糧に、導かれる者にまじないをかけて。


 代償と誓いさえあれば、彼らに導けない者は何もない。


「他者には誓わなくていい。王にも、王妃にも、団長にも、私にも、誓わなくていい」


 アスライトは奥歯を噛み締め、手を差し出す。


 傲慢に、強欲に、自分の欲を噛み締めて。


 ミールは少女の掌を傷つけた。


 その銀の瞳は、強く言葉を吐いている。


「導きたいのならば、自分に誓え。アスライト」


 ミールは見る。アスライトの残された左目の輝きを。


 その無垢なまでに美しい瞳を抉られた少女は、確かに自分に誓うのだ。


「私は、ロシュラニオン・キアローナと――二度と、友達には、ならないッ」


 アスライトはミールの手を取り、口にする。


「あの子を守れなかった私に、友達に戻る資格なんてない」


 愚かにも意識を飛ばした自分を呪うように。


「ラニが望んでいないことをする私は、友達なんて名乗れない」


 起きることを恐れる少年を導こうとする、己の浅ましさを嫌悪して。


「それでもお前は、導くことを望むのか」


 ミールの瞳が輝き、少女は迷うことなく言い放った。


「このままラニを死なせるくらいなら、あの子が悲しいままになるくらいなら、私は友達以外の何かになる。あの子の盾にでも、剣にでも何にでもなるッ」


 少女と副団長の傷が触れあい、誓いはミールが導く為の糧になる。


「私はラニに、辛い思いをしたラニに、幸せになってほしいからッ!」


 ミールの瞳が金色に変色し、合わせていた手の甲にまじないの紋が浮かび上がった。


「聞き届けた」


 導く種族は答え、アスライトを抱き上げる。二本の腕は翼に戻り、コルニクスはテントから勢いよく飛び立った。


「アス……?」


 テントの外にいたリオリスが空を見上げる。


 少年は、城の方へ一直線に進んでいく副団長と踊り子を見つめていた。

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