第5話 気遣いと言う名の毒

 

 城の八割の復旧が終わる頃、傷が癒えた王――ザルドクス・キアローナにサーカス団員達は謁見していた。


 キノとは違う種族がステージ以外で一堂に会する様は圧巻であり、最前には団長が膝をついている。団員達もガラと同じ高さに体を低くし、青い少女は王に呼ばれていた。


「では、アスライト。君がロシュラニオンの部屋を訪れた時、何者かに襲われたんだね」


 王は柔らかな口調でアスライトに確認する。頷く踊り子は、悲痛に顔を歪めていた。


「ザルドクス王。私はあの時、ロシュラニオン様の傍にいたのにお守りすることが出来ませんでした……ッほんとに、ごめ、」


「アスライト」


 謝罪をしようとしたアスライトを王が止める。少女は勢いよく顔を上げ、慈悲深く微笑む王を凝視した。


 アスライトの胸の中に煙が生まれる。


 重く、黒く、深く、濃く。


 踊り子は深く息を吸いこみ、その勢いで肩が上がる。そのままゆっくり吐いていき、体から力を抜こうと努力したのだ。


 王は目元を和らげ、少女の元まで歩み寄る。


「この件に関して君が謝ることては何もない。警備や治安を信頼し、君達子どもを守れなかった我々こそ、謝らなくてはいけないんだよ」


「ザルドクス王」


 シルクハットを胸に当てているガラが、深く頭を下げる。それに続いて団員達もこうべを垂れ、アスライトもリオリスも、レキナリスも同じように頭を下げた。


 王の傍に控えていた王妃――フィラム・キアローナは立ち上がり、首を横に振っている。


「駄目よ皆さん、頭を下げないで。ガラもどうか顔を上げて」


「いいえ、フィラム王妃よ。我々は貿易団筆頭でありながら、第一級危険物品の持ち込みを見逃し、あまつさえ、今回の件が何者による行いかも未だ検討をつけられていません。謝罪で許されることではないと承知していますが、我等は貴方達に頭を下げねば、」


「気持ちは汲もう、ガラ。だが、お前達がいてくれたから被害は最小限に抑えられたんだ」


 ガラの言葉をザルドクスが遮る。団長と王としてではなく、旧知の仲として止めたのだ。


 アスライトは拳を固く握り締め、呼吸を整えなければいけないと自分に言い聞かせている。


 ザルドクスは背筋を伸ばして「王」となると、慈愛を持って言葉を紡いだ。


「どうか誇ってくれ、我が国の民達。テントを療養所として開放し、傷ついた者達を救い、癒してくれているお前達を――どうして責めることが出来ようか」


 王の言葉に団長は肩に緊張を走らせ、そこで初めて顔を上げる。


「なぁ、ガラ」


 王は団長と同じ目線に膝をつき、ガラの肩を柔く叩く。団長の赤い瞳は揺れ動き、王の瞳はアスライトの右肩に向かっていた。


「アスライト」


「……はい」


 王は踊り子の右手を取り、穏やかに撫でる。労わり、慈しみ、大丈夫だと言い聞かせるように叩きながら。


「すまなかった、アスライト。団員とは言え、子どもである君に辛い結果を残してしまった」


(っ――……)


 どろりとした感情が、少女の肺に蔓延する。


 どろり、どろり、どろりと溢れて――染み込んで。


 内臓が震えて額は熱くなり、アスライトは奥歯を噛み締めた。


 隣に膝をついていたリオリスは、反射的に少女の左手を握る。


 震える拳を少年は静かに押さえつけ、少女は今までで一番深く頭を下げていた。


「……私は、何も……ロシュラニオン様が、起きなければ……」


「他国から医療に長けた者を呼んでいる。大丈夫、君が気を病むことは何もない。まずは自分を労わってくれ」


 王は微笑み、アスライトは顔を上げられない。


 リオリスは唇を結んで少女を押し留め、レキナリスは一度も顔を上げることが出来なかった。


 ――その後、レットモルの復興は続けられた。


 城下まで侵食していた氷を砕く作業は重労働であったが、溶けた氷水は純度が高く、国の緑を結果的には潤す働きをしたのだ。


 街は穏やかさを取り戻していき、城の修繕も進み、日に日に怪我人は減っていく。


 それでも、ロシュラニオンが目覚めることは無かった。


 何時間経とうとも、何日経とうとも、何週間が経とうとも。修復された城の部屋に運ばれようとも、凍傷を起こしていた傷が癒えようとも。


 ロシュラニオンは起きなかったのだ。


「ねぇ、ラニ……なんで起きないの?」


 ロシュラニオンが眠るベッドの横に立っているアスライト。彼女の隣にはリオリスが並び、緑の前髪で顔色は伺えなかった。


「ラニ、なんで? どこも怪我はしてないって、お医者さん達言ってたよ。心臓も、脈も、どこにも異常はないって言ってたよ」


「……アス」


「なんで?」


 リオリスは顔を上げて隣を見る。そこには大粒の涙を零す無表情のアスライトがおり、青い瞳はロシュラニオンだけを見つめていた。


 緑髪の少年は、弱く少女の袖を引く。


 踊り子はそれでも王子を見つめ続け、涙が止まることはなかった。


「なんで起きないの? ラニ」


 アスライトはロシュラニオンの手を握り、震えている。彼女が落とす涙はベッドに落ち、丸い染みが幾つも生まれていた。


「ねぇ、起きて――笑ってよ、ラニ」


 奥歯を噛み締めた青い少女は、王子の手を握る力を強める。リオリスは何も言わずに彼女の横に立ち、袖を握り続けていた。


「アス、リオ、今日も来てくれてありがとう」


 不意に扉が開き、アスライトとリオリスは顔を上げる。視線の先に立っていたのは本を抱えたランスノークだ。


 王女の両目の下には隈が出来ており、扉を押さえるニアは一礼する。


「スノー……」


「アス、今日も泣いてくれてるの?」


「勝手に泣けるんだよ」


「そっか」


 ランスノークの後ろでニアは扉を閉める。右足首が動かない彼は歩行にぎこちなさがあるが、出来る限り子ども達の傍にいようと決めているのだ。


 落ち着きを取り戻しつつある街では騎士達が貿易品の検品に参加し、イセルブルーが咲いた日の調査などにも動いている。


 それでも、緊張を孕んでいる空気は子ども達には毒だろうと考える大人達は笑顔に努めていた。


 だが子どもがそれらを感じられないなど――大人の傲慢だろう。


 かつて子どもであった大人達は、無邪気さを、敏感さを、想像力を、心を、甘く見る。


 傷跡もなく全快しているランスノークを見て、アスライトは泣き続けた。王女はベッドの隣の椅子に腰かけ、涙を零す青の友に微笑んでいる。


「アスは綺麗だね」


「綺麗なもんか」


「綺麗だよ」


 ニアは二人の団員にも椅子を勧め、リオリスは頭を下げる。緑の髪を撫でた執事は、見かけなくなったもう一人の子どもを思っていた。


「レキナリスの容態はいかがですか?」


「……繭に籠って、眠ってる。ラニのこと伝えたら、余計体調が崩れたっぽい」


「レキも無理してたもんね……また、熱さましのお茶持って帰って。お見舞いに行けなくてごめん」


「大丈夫だよ。レキ兄、今はみんな、ロシュのことに集中して欲しいって言ってたから」


 ランスノークにリオリスは肩を竦めて見せる。


 レキナリスは、イセルブルーの事件が起こる前から体調を崩していた。食事さえ上手く取れなくなっていた彼はそれでも救助や支援に参加し、容態は悪化したのだ。


 彼のことは団員達が看ており、アスライトやリオリスが付き添おうとすれば必ず同じ言葉を口にした。


 ――俺はいい。俺はいいから、ロシュの傍にいてあげて。そうしないと……怒るよ


 アスライトとリオリスの頭に、白い顔で訴えた少年が浮かぶ。


 ランスノークは弟と友達が倒れている現状に唇を噛み、リオリスは顔を俯かせた。


 その様子を見て、王女と執事は話題を広げないよう心掛ける。


 王女は自分の手元に視線を落としていた。


「ロシュが起きる方法はないか、色々調べたんだ」


「スノーが……?」


「うん、父様も母様も、貿易団の人も外交の騎士さんも、色んな人に話を聞いたし、薬とか、まじないとかも試したんだ」


 ランスノークは続ける。「でも、起きないんだ」と。


 アスライトは涙を拭わずに王女を見る。リオリスは青い少女の袖を握り締め、ランスノークの本に視線を向けた。


「その本は?」


「これはね、沢山の種族の図鑑。薬もまじないも駄目でも、まだ知らない種族の中にロシュを起こしてくれる誰かがいるかもしれないって、思って……。書庫の半分は無事で、良かった」


 ランスノークは肩を竦めて笑う。アスライトはリオリスと顔を見合わせ、同時に聞いていた。


「ラニの為になる種族、いた?」


「ロシュを起こせる種族、見つけた?」


「一種類だけ、どうかなって思える種族が」


 ランスノークは栞を挟んだページを開く。団員達は王女の後ろに回り込み、そこに描かれた黒い種族を見るのだ。


「導きの種族――コルニクス。黒い四つの翼と羽毛に覆われた体。三つの銀色の瞳はそれぞれ、相手の姿と、心と、考えを映す。彼らは導くことを望む者からの願いを受けて、導かれる者にまじないをかけるんだって」


「導きの種族……」


「うん。逸話には、政権争いをした王様に頼まれて、彼の方に民を導いたり、身分が違う相手に恋をした女性に頼まれて、相手の心を彼女の方へ導いたり、子どもが不治の病にかかった親から頼まれて、子どもの体に改善する方へ進むよう導いたりしたんだって」


「――コルニクス」


 目をゆっくりと見開いたアスライトは、呟く。


 瞬間、青い少女は走り出した。


 自分の感情に背中を押され、自分の思いに正直なまま。


「アスッ!?」


 驚いたランスノークの膝から本が落ち、リオリスは掴んでいた物が無くなった手を握り締めた。


 ニアは図鑑を拾い、最後に書かれた文字に目を見張るのだ。


 〈導くことを望む者から「代償」と「誓い」を受け取ることで、コルニクスは導く力を得る〉


 ロシュラニオンの部屋を飛び出した少女は風のように、城を、街を、駆け抜けた。


 凍った毛先を靡かせて走るアスライト。彼女の姿を見たと思った民達は、青の残像を瞬きの中に残すのだ。


 踊り子はサーカス団のテントに駆け込んでいく。


 体の一部が凍り着いた者達のリハビリ所としても活用されるそこを駆け抜け、少女はテント上部の金梯子を上り切った。


 ガラの右腕、イリスサーカス団副団長兼裏方総指揮官――ミール・ヴェールに会う為に。


「副団長!!」


 テントの上層部。照明器具が吊るされている静かな足場にて。


 アスライトは息を切らせながら、全身を黒い上着で包んだ団員を見た。


 副団長は照明器具を置き、目深にフードを被ったまま踊り子の方を向く。


「アス、ロシュラニオン様のご容体は――あぁ、まだ目覚めていないんだな」


 耳にするだけで呼吸が楽になるような、不思議な低さを持った声。


 ミールは自己完結して照明器具に顔を戻す。上着の袖から覗くのは、指先まで黒い五指のついた四本の手。


「……ねぇ、副団長」


「副団長にではなく、コルニクスに用事があるのか」


 ミールは軽く息を吐く。青い少女は一瞬口を結んだ後、意を決して足を踏み出した。


「ランスノーク様がお調べになられたのか。レットモルの王女様は賢い方だ」


「副団長」


「駄目だよアス、私は王子を導かない」


 電球を変えながら答えるミール。質問をされる前に答える彼の姿勢にアスライトは喉を熱くし、ミールは肩を竦めていた。


「貴方は、副団長は、導きの種族なんだよね……? だったらッ」


「導く種族だからこそだ」


 ミールは銀の瞳の内、心と考えを映す二つを閉じる。アスライトは両手を握り締め、噛んだ唇からは血が流れていた。


「導くとは相手の人生を決める事。相手の意思を決めさせる事。安易に手を出して許されることは無く、導く者には相手の人生を背負う責任が課せられる」


「副団長ッ」


「だから私は誰も導かない。導く者に手を貸さない。ここで、この場所で、君達にスポットを当てているのがちょうどいい」


 次の照明器具を下ろしたミール。踊り子は握り締めた拳で手すりを殴り、肩で呼吸をしていた。


「なら、ラニはどうなるの」


 震えた少女の声を副団長は聞く。団員へ目を向けないミールは、三つ目の瞳すらも伏せていた。


「戻りなさい、アスライト。君は私に近づくべきではない」


 自分に背中を向け続けるミールを見て、アスライトは肩をいからせながら踵を返す。


 煮えた感情を宿した少女の体は震え、副団長はその姿すら見ないのだ。


「絶対ラニを起こす」


 アスライトはそれから毎日、ロシュラニオンとミールの元を往復した。


 起きないことで栄養を取れず、王子は徐々に体が弱っていく。


 王も王妃も嘆きながら何か手はないかと考え続け、貿易団達は他国との交流の中で情報を集めていた。


 しかし兆しはどこにもない。


 だからアスライトはミールの元に通い続けた。


「お願い、副団長」


「嫌だよ、アス」


 何度断られようとも諦めないアスライト。それをミールは常にあしらい、青い少女は「また来る」と毎日言い残すのだ。


「アスライト、ミールを頼っては駄目だ」


「なんで、団長」


 ミールの元にアスライトが通い詰めていることに気が付いたガラは、少女の腕を掴む。


 アスライトの青い瞳には焦りが滲んでおり、ガラは苦い顔をするのだ。


「駄目なものは駄目だ、もっと別の方法で王子を、」


「そんな答えいらない」


 アスライトは加減をせずにガラの腕を振りほどく。大人と子どもである前に、キノとセレスト。腕力だけならばどちらが強いかなど、差は歴然だ。


 それでも周囲は青い少女を諭そうとする。団長だけでなく、ニアや様子を知った貿易仲間も、団員達でさえもだ。


 アスライトはその度に「何故か」と問い、大人から返ってくるのは「駄目だから」と言う不明瞭な回答であった。


 そんなもので我慢が出来る程、アスライトは大人ではない。


 彼女は大人ではないのだ。


 自分の心に正直な、子どもなのだから。

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