第4話 引き裂かれる音がした
地を這い、木々に霜を下ろし、息を凍らせる寒気が城を中心にレットモルへと広がっている。
異変に気付いた民は城へ向かう者と城から離れる者の二手に分かれ、アスライトは前者であった。
少女は地面を氷諸共踏み壊し、ただ一直線に城へと飛び込む。正門も中庭も
城内の壁や廊下は分厚く凍り、各所から生えた
「アスライト!!」
「団長!!」
アスライトを追い掛けて城に飛び込んだサーカス団員達。彼らは一瞬で散らばり、関節が凍り付いた騎士や従者達の救出を始めた。
「これは「イセルブルー」だ! 氷には絶対触れるな!」
「それ、もしかしてッ」
「第一級危険物品だッ」
ガラは
「アス……ッ」
「大丈夫、これ以上触らない」
アスライトの深海の瞳はガラを見つめ、二人の間を完全に氷の壁が隔ててしまう。
団長は奥歯を噛み締めて走り出し、踊り子は凍った毛先を
「ラニッ、スノーッ!」
呼吸をする度にアスライトの肺が凍り付いていく。少女の身は体温を得ようと勝手に震え、奥歯は小刻みに音を立てた。
少女は凍りつきそうな関節を奮い立たせて
アスライトは肩で呼吸をし、吐く息はすぐさま氷の結晶に変えられた。
「はやく、見つけろ」
自分に言い聞かせ、アスライトは手を握り締める。
突如目の前に生えた
――現在城を犯している氷は「イセルブルー」と呼ばれる、第一級危険物品である。
危険物品とは、取扱いに最新の注意と条件を求められる貿易商品であり、その中でも第一級と名付けられる物は貿易団長の肩書きを持つ者しかやり取りすることを許されない。
イセルブルーは希少な氷の花である。種子が一つ地面に埋まれば際限なく周囲を凍らせ、最悪国一つ飲み込むことさえあるのだ。
駆除方法は根本である種子を抜けば良いのだが、種子だと思って
ガラがアスライトにした「氷に触れるな」と言う忠告は、文字通り、触れれば凍るから触るなと言うだけのことだ。
アスライトは頭を必死に働かせ、廊下を滑る。
レットモルには持ち込みすら許されていない筈の花が突如芽吹き、城を食い荒らしている。
その根は街まで降り始め、レットモルに悲鳴が響く。先程まで穏やかな空気に包まれていた国に、未知への焦りと悲鳴が木霊した。
アスライトは奥歯を噛み、ロシュラニオンの部屋の前で倒れていた騎士をすぐさま抱え上げる。
屈強な二人は凍り付いた扉を開けようとして動けなくなったらしく、手足は紫色に変色していた。
「アス!」
「ロマ!!」
アスライトとは反対側から現れ、ランスノークを背負っている白い髪の少年。
頭にある長い耳は止まることなく揺れ、赤い瞳は不安気に瞬きがされていた。
彼はイリスサーカス団の玉乗り担当――ロマキッソ・ロンリーと言うシュプースの少年。
彼の後ろには、右足首から先が凍り付いたニアが立っていた。
「ニアッ」
「アスライト! ランスノーク様はご無事ですッ、ロシュラニオン様を!」
「わか、ってる!!」
アスライトは返事をし、二人の騎士を勢いよく投げ飛ばす。
ロマキッソは反射的に王女を執事に任せ、屈強な騎士達を細い腕で受け止めてみせた。
「ロマ、その人達凍傷起こしてる! ニアの足もッ、頼むよ!!」
「う、うん!」
ロマキッソは何度も頷き、足を引きずるニアと共に避難する。
叫んだアスライトの肺は冷気に痛みを覚えたが、少女はそれを無視してみせた。
胸部を押さえながら、ロシュラニオンの部屋の扉を蹴破ったアスライト。
木製だった筈の扉は氷が砕ける音と共に壊れ、踊り子は部屋の中央に
「ラニッ!!」
「ぁ、す……」
自分を抱き締めて震えているロシュラニオン。
アスライトは王子に駆け寄ると、凍り始めている彼の頬に手を当てがった。
ロシュラニオンの肌は各所が紫色に変色し、関節は凍り付く寸前まで冷えきっている。
部屋の中は甲高い音を立てながら
「アス、その髪……ッ」
「私は大丈夫だから。ラニ、一緒に外に出よう」
「ほかの……他の、みんな、は? 扉の外、ルリノさんや、ダン、ヴェンさん、が」
「騎士さん達ならロマに投げた! 無事だから安心して!」
アスライトは、扉を開けようとしていたであろう騎士二人を思い出す。
ロシュラニオンは彼女の言葉に息をつくと、固まりかけている顔で微笑んだ。
「よ、かった……」
アスライトに
少女も少年も体が冷え切っていたが、お互いがそこにいると言うだけで温まる気がしていたのだ。
アスライトの顔から緊張が抜ける。少女は少年を抱き締めて、陽だまりのように微笑んでいた。
「ラニ、ラニも出よう。君もみんなも無事で、初めて良かったって言えるんだから」
優しく言い聞かせた青い少女。関節が固まらないように彼女は立ち上がり、ロシュラニオンは頷いた。
少女に手を引かれ、足に力を込める王子。その顔にも朱がさしており、二人はお互いの冷えきった手から伝わる体温に笑ったのだ。
その時、
ロシュラニオンは顔を明るくし、アスライトも反射的に振り返った。
瞬間。
冷え切っていたアスライトの額が力強く殴打される。
少女の視界は激しく揺さぶられ、倒れこんだ先からは
勢いよく氷に肩を弾かれたアスライト。
少女は床に倒れこみ、凍り付いた右肩に全身が震えていた。
「アスッ!!」
「ら、に……」
立ち上がろうとしたアスライトの頭が、もう一度殴打される。容赦なく、真上から。床に叩きつけられるような勢いで。
その衝撃と凍える寒さにより、アスライトの意識は朦朧とする。彼女は、ロシュラニオンの声を聞き取れなかった。
(駄目だ、起きろ、起きろ、起きろ、立てよ、立て、アスライトッ! お前が、起きて、そう、しないと、ラニが、らに、が……)
アスライトの意思とは反し、瞼は下がっていく。
重く、重く、抗えない力で少女の意識が霞んでしまう。
ロシュラニオンに近づく足がある。それに手を伸ばそうとしたアスライトの頭を血が流れ、それすら凍り付いていた。
少女から体温が失われていく。
彼女はそれでも王子に手を伸ばそうとして、しかし、消える意識を繋ぎ止めることが出来なかったのだ。
「――アスライト!!」
だからアスライトは、目覚めた時に驚いた。
温かな布団の中で目覚め、体の各所が痛むことを理解するのに数秒かかる。
少女は青い瞳で周囲を確認し、そこがサーカス団のテントであると気がついた。
ステージや客席を解体して、湯気立つお湯や毛布が慌ただしく運ばれている。
アスライトを呼んだのはリオリスであり、少年は目に涙の膜を張りながら少女に縋り付いていた。
「よか、アス……おきたぁ……」
リオリスが大粒の涙を零している。
アスライトは放心しながら、現状を確認していった。
自分と同じように寝かされているのは騎士達や執事、メイド達。慌ただしく治療道具を運ぶのはサーカス団員や民達であった。
アスライトはガラと話している王に気がつく。
王の顔や腕には凍り付いた部位が幾つか見受けられ、隣では王妃とランスノークが起き上がっていた。
その姿にアスライトは息を吐き、自分に縋っているリオリスを抱き締め返そうとした。
「アス、駄目」
リオリスはアスライトの頬を触る。少女は目を見開き、自分の右肩にある違和感に気が付いた。
「――腕、上がらない」
目を見開いたアスライトは襟を伸ばし、自分の右肩を見る。
反射的に両目を手で塞いだリオリスは、耳を赤くしながら教えていた。
アスライトの目には――凍り付いた右肩が映る。
「アス、その、見つけた時、肩と毛先が凍ってて……」
リオリスは手を下ろしながら俯いていく。アスライトは何度も自分の右肩を触り、鱗のように固い氷が連なっている様を確認していた。
「イセルブルーに、私、倒れて……掠ったんだ」
少女は呟く。全てを悟ったような顔で。
リオリスの言葉を聞いたアスライトは、自分が倒れた時を思い出す。
同時に頭を突き抜ける程の痛みが走り、少女は吐き気を覚えたのだ。
頭を押さえようと両腕を上げるが、右肩は一定より上がらない。
彼女はそこで額に包帯が巻かれていると気づき、目の前をノイズが走った。
「ぁ、ラニ、ラニが……」
アスライトの目の前で、泣き出しそうなロシュラニオンの顔が浮かぶ。
同時に再び痛みが走り、少女は両目を固く瞑ったのだ。
「アス、落ち着いて。ロシュならスノー達の近くで眠ってるよ」
リオリスの言葉にアスライトは目に輝きを取り戻す。
少女は肩から力を抜き、少年の腕を掴んでいた。
「そっか……そっかぁ……」
アスライトの瞳から涙が零れていく。ぽろぽろと、ほろほろと。
それは少女の布団に染みを作り、リオリスは少女の背中を撫でていた。彼の手も凍傷を起こしており、指先は色が変わって痛々しい。
その手でリオリスはアスライトの頭を撫で、目を伏せるのだ。
アスライトは目を閉じる。
涙を流す少女は不意に、頭の鈍痛と共に思い出した。
思い出さなければいけないことを、思い出した。
「リオ! 私とラニ以外、あの部屋に誰かいなかった!?」
アスライトは勢いよく顔を上げる。その顔には焦りの色が浮かび、リオリスは面食らうのだ。
「え、いや、特に聞いてないけど……どうして?」
「私、あの時……」
アスライトは言葉を探す。
(誰かに殴られた。誰かに攻撃をされた。誰か、誰か、それは誰だ)
第一級危険物品、その持ち込みはレットモルには許されていない。それが開花し城を襲ったのであれば、
「殴られたんだ」
リオリスは目を見開く。
少年の指先は震え、アスライトは続けていた。
「城を襲った奴に」
アスライトの右手に力が籠る。
関節が白く浮いた少女はリオリスではない誰かを凝視し、立ち上がった。
「あ、アス、まだ動いちゃ駄目だよ」
「大丈夫、ずっと寝てなんていられない」
アスライトはリオリスの頭を撫で、ロシュラニオンの元へ歩いていく。
少女の袖にリオリスは手を伸ばしかけたが、色が変わった指先は、何も掴めず下ろされた。
アスライトのこめかみに青筋が浮かぶ。少女は頭痛を無視し、右手を強く握り締めたのだ。
――その日、レットモルの城は砕かれた。たった一つの種子によって。
種子は何者かに回収され、発見されず仕舞い。それでも城の崩壊は六割で収まり、街も薄く凍り付いた程度で最悪の事態は免れた。
動ける騎士団は犯人を捜す為に動き、民やサーカス団員達は国の復旧に尽力していく。
全ては平和だったレットモルへ戻す為。貿易と同時に復興物品のやり取りもされ、数多の貿易団は休むことなく国外との交流を続けた。
軽度の凍傷を患った者達もいたが、数日で回復の兆しを見せたことに皆安堵する。
しかし、イセルブルーに直接触れてしまった者達はそうもいかなかった。
アスライトやニアのように身体の一部が動かなくなった者も多く存在する。
イセルブルーに直接触れて起こる氷は特殊であり、凍傷を起こすことはないが溶けることもこの先ない。
服越しに貫かれた者は凍った衣服を砕くことまでは可能であったが、肌から
溶けない氷をその身に宿し、彼らは動かなくなった体の動かし方を模索しなくてはいけない。
アスライトは自分の右肩を覆っている氷に触れ、感覚も何もないそこを毎朝殴っていた。
少女の腕は肩から上へは動かなくなった。指先は動くが、以前のように勢いのある動かし方は叶わないだろう。
けれども彼女は、自分に起こっている症状を気にしなかった。それは直ぐに受け入れたのだ。
少女が受け入れられないのは、ロシュラニオン・キアローナに起こっている事象だ。
「――ラニ」
アスライトは療養所として開放しているサーカス団のテントで、眠るロシュラニオンの額を撫でる。
イセルブルーの一件から数日が経過しても、ロシュラニオンだけが――目覚めなかったのだ。
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