ブサイクには復讐を

うらら

ブサイクには復讐を


 中学生の頃、いじめられていた。テレビとかよく見るアレ。

 いじめが原因で自殺したニュースを見るたび、出遅れた、羨ましいとさえ思っていた。


 辛く辛く、耐え難い日々。大きく変えたのはある少女との出会いだった。


「ねえ、いーっぱい食べていいんだよお?」


 中学生に似合わない妖艶ささえ感じられる声につられるように周りからクスクスと笑い声が聞こえる。机に差し出されたのは給食の器に盛られた青紫色のシチューだったもの。

 ああ、またこれか。もう呆れすら浮かんでくる。

 作ってくれた給食のおばちゃん、野菜を作ってくれた農家の人に心の中で謝った。私のせいでごめんなさい、だけどいただきます、と。

 なんで青紫なんだろう、なんて考えるのはもう遅いか。口の中に広がる苦味と、ツン、とする味を拒絶するように胃の中が激しく動く。吐き出しそうになるのを必死で堪え、思わず息を止めた。


「うわあ、本当に食べてるぅ。きもーい。ブサイク!」


 妖艶な声の主・毒島えりはケラケラと笑った。つられるようにまた周りからはクスクスと笑い声が再び聞こえる。何

 耐え難い吐き気が自分を支配し、ふらふらと立ち上がりそうになるのをその毒島は押さえてきた。


「ねーえ、ブス。全部食べてよ? 残したらあたしも怒られるんだからあ」


 何度も襲う吐き気を抑えながらも、一口二口、また口に運ぶ。ゆっくりと、でも味を感じないように唾液も沢山出して。そしていつしか食べなきゃ、という脅迫概念に囚われその場から逃げ出すことすら思い浮かなくなっていた。

 胃が食べ物とも言えないこれを拒絶している。戻そうと激しく動き、何度も吐き気をもよおす。息が荒くなり、額に汗を感じた。

 苦しい、苦しい……!

 毒島の笑い声が聞こえる。とても楽しそうで、恨めしく思った。

 早く終わらせたいと急いでもう一口食べると、胃が驚いたように跳ね上がる。今にもこのまま吐き出しそうになり、口を閉じたまま唸り声をあげた。吐き出してしまうと、この前のように毒島に自分が出した吐瀉物に顔を押し付けられる。それでもすべて食べ終えるか昼休みが終わるかまで続けられてしまう。


「ねえ、何してんの」


 抑えきれない吐き気で意識が朦朧としている中、その声だけがやけにはっきりと聞こえた。毒島のような妖艶でもない、男子よりも高く女子よりも低い声。

 その声がまるで救世主の声のように聞こえて自然と吐き気が治まっていくようだった。


「何してんのかって聞いてんの」


 毒島の後ろにいた人影が動き、その姿を現す。先日海外から引っ越してきたばかりの結城さんだ。今朝、そんな事を先生が言っていたはず。はず、と言うのは毒島が後ろから消しゴムを投げつけてきて、話どころではなかったから。

 毒島は邪魔が入ったからか、口元を釣り上げ愉快そうな笑顔だったのに途端に睨みを利かせていた。クスクスと笑っていた周りの者はそんな毒島の様子に気づき次第に静かになっていた。


「はあ? 邪魔しないでよ。遊んでんの」

「じゃあ私も混ぜてよ」

「は? 嫌よ!」


 元々短気だった毒島は引き下がらない結城さんに対し、すぐに怒鳴っていた。沸騰するの早すぎだろ、と呟いたら足に蹴りを入れられたのを思い出した。

 毒島の怒鳴り声と共に教室内の空気がピン、と張りつめた糸のように凍りつく。


「だって楽しそうじゃん。ご飯食べてんでしょ? そこのブスも一緒に食べなよ」


 語尾がとても楽しそうに跳ね上がる。まるで楽しそうな遊具を見た子供のように私に近づく。

 その笑顔は毎日見ている。朝一番、教室で毒島と目が合った時、休み時間に私の持っている新品の教科書を見た時。もう何度も見たからか、緩んでいた体が思い出したかのように強張っていく。

 ああ、仲間が増えちゃった……。

 と、思ったその瞬間。私を見下ろしていた毒島の顔が突然机に突っ込んできた。一瞬のことでわからなかったが、次第に結城さんが毒島の頭を机に叩きつけたのだと分かってきた。


「おいしい? おいしい? ねえねえ、おいしい?」


 あははは、と乾いた笑いを浮かべながら結城さんは毒島の頭を机に押し付けていた。抵抗している毒島の顔には青紫色の何かが付いているのが分かる、それは紛れもなくさっきまで私が食べていたシチューだったものだ。

 毒島はバスケットボール部で力は強いはず。私を軽々と持ち上げてゴミ捨て場に放り投げられた事もある。それなのに結城さんに抵抗する毒島は起き上がることすらできない。


「おいしくないでしょ? ねえ、食べ物を粗末にしちゃいけませんって小学生で習わなかった? あ、こんな事するからまだ小学生以下なのかもね」


 お子様には制裁が必要よね、と結城さんは続ける。暴れ出す毒島をもう片方の手で難なく抑えていた。

 想像も出来ない出来事に固まったまま目の前の惨劇をただ眺めていただけだった。結城さんは嬉しそうに口角を上げて、毒島の一挙一動を逃さないばかりに睨んでいた。


「あ、そこの女子。うーん、ごめんね。名前思い出せないや」

「は、はい」

「そう畏まらなくていいよ」


 私を横目で見て、眉が少し下がったが両手で暴れる毒島を抑えながら笑顔で言った。別の意味の恐怖を感じ、背筋が凍るのを感じた。


「このブスに何か言う事ある?」


 ブス、と言う言葉に毒島がいち早く反応した。ガタンガタンと音を立てて暴れていたものの瞬く間に大人しくなり、程なくして小さな嗚咽のような声が聞こえた。泣いているように聞こえるその声をあえて無視して口を開く。


「ねえ、全部食べてよ?」


 その言葉をきっかけに、再び毒島が暴れ始めた。力を緩めていたのか、結城さんはおっと、と小さく漏らし再び机に押し付けている。

 何が起こっているのか段々と理解し始めていた。

 もしかしたら結城さんは助けてくれたのだろうか。

 いや、これはきっと罠だ。この手口は毒島に散々使われた。

 これまでの事を許して、と言ったその口で何度裏切られたことか。もう信じなくなったのを理解したのか、段々と毒島もその手段は使わなくなっていた。

 分かっている。だから乗っかろうじゃないか。


「……結城さん、でしたっけ」

「あはは、敬語はやめてよ」


 結城さんは肯定の意味も込めて笑っていた。それでも毒島を押さえつける手は緩めない。毒島が暴れていたせいでシチューだった青紫色のものは机全体に広がり、垣間見える毒島の顔に満遍なく付いていた。

 ああ、あの時の私を見ているみたい。

 毒島に吐瀉物の中に頭を押さえつけられ、舐めさせられた事を重ね合わせていた。吐き気はいつの間にかなくなり、あんなに激しく動いていた胃も静かになっていた。喉元過ぎれば何とやら、後味がシチューの味がして少し安堵している自分もいた。


「結城さんは、何でこんな事を?」


 こんな事を、と聞いておいてその言葉は自分に向けられていた。こんな事を聞いて、どうするんだと。

 どうせ裏切られる。私は知っている。それでもその思いは口には現れず、震えた声で聞いた。


「このブスに復讐をしたかったから」


 復讐、と言う言葉は結城さんには似合わなかった。今朝紹介されたばかりの転校生、しかも帰国子女。毒島とも私も初対面のはずだ。

 それでも、結城さんは冷たい声で言う。許さない怒りと、悲しみが混ざったようにも感じた。


「復讐、と言う言葉は私が似合います」


 率直な意見だと私も思う。許せない怒りも、悲しみも私が似合う。


「良いんだよ、私が汚れ役するからさ」

 

 結城さんはニカッと無邪気な笑顔をする。その笑顔を初めて見た気がしなくて、記憶を辿った。小学生の頃、日本人離れした顔立ちのあの子を男子から庇った事をぼんやりと思い出す。

 彫りの深い顔とくりくりとしたまん丸の目、そして緩やかなウェーブの赤みがかった茶色の髪。そして口元には特徴的なほくろ。パズルのピースを次々と当てはめていくように、結城さんの過去の姿を思い出していく。


「結城、鏡花ちゃん……」

「お、やっと思い出してくれたね。……ふふ、思い出せないなんて嘘。あの頃真逆の立場だったから思わずあんな事言っちゃった」


 逆の立場、と言う言葉に苦笑いを零した。


「さーて、感動の再会も済んだ事だし。このブスに自分のやらかした事を思い知ってもらおうか」


 そう言うや否や、毒島の両手を抑え無理やり立ち上がらせる。顔を真っ赤にし、口からは汚らしくシチューとも言えないものが吐き出されている。吐瀉物だろうか、鏡花ちゃんと話している時何回かむせていたからなのか。

 肩で息をしている毒島をおら、と無理やり歩かせる。慌てて立ち上がりその後を付いていった。


「あ、傍観者の皆さーん。あなたたちも共犯なので」


 ドアを開いてと指示され、ドアを開いている時に鏡花ちゃんの呪いの言葉を言い放った。その言葉にざわついていた教室の空気がまたもや張り詰める。クラスメイト一同の視線が私たち三人に注がれながら教室を出た。


「うへえ、顔ベットベトじゃん。ま、ブスにはこれがお似合いだけど」


 両手を塞がれながらゆっくり歩く毒島はもうブス、と言う言葉に反応しない。


「……ブス、と呼ぶのはちょっと……」

「え? 同情してんの? こんな奴に?」

「そんな訳じゃ……」


 毒島のために言ったのではなく、自分のためだと弁解したかったが無邪気な問いに口を噤んだ。同情なんかじゃなく、自分にブスと言われているようで心のどこかで拒絶反応を起こしているようだった。鏡花ちゃんを咎めるつもりではなかったが、そう聞こえたのだろうか。

 ブス、と言うのはなんて最悪な悪口なんだろうと口を結ぶ。


「あたし、ブスっていう、言葉……大嫌いよ」


 絞り出すように毒島は言うと、その場に座り込んでしまった。

 学校の外れにある焼却炉に続く渡り廊下で、顔に冷たい風が吹き付けて身震いをする。その風に乗ってくるようにチャイムが鳴り響く。


「なんで?」


 その問いは酷なものだ、と視線で鏡花ちゃんを制する。


「あたし、ブスなんか、じゃない……化粧だって、髪型だって、喋り方だって、全部全部みんなと同じようにしたのに……」


 毒島は吐き捨てるように言うと、地面に向かって何かを吐き出した。激しい咳の後にもう一回。思わず介抱しようとかがもうとすると、鏡花ちゃんがそれを手で制した。


「ブスっていうの、分かる? あなたのことだよ」

「違う……」

「違くないし。あなたは人を傷つけた時点で心がブスなんだよ?」

「違う……!」

「性格悪いって言うのかな、こう言うの。人を思いやれない、自分勝手に人と接する、心がブスな女がやることだよ」


 激しく咳き込みながら毒島は対抗する。私はポロポロと大粒の涙を流しながらこちらを睨みつけてくる毒島を眺めてるだけだった。あんなに驚異的だった存在が、今じゃただの石っころに見えてきた。

 鏡花ちゃんの言葉は、昔私が言った台詞そのままだった。男子にブス、ブス、と罵られている鏡花ちゃんを見かねて私が漫画の中のセリフをそのまま言っただけ。友達もいなかったその時はその漫画のセリフに助けられていた……そして鏡花ちゃんの言い方から、鏡花ちゃんもそのセリフに助けられたんだ、と感じた。


「さ、行こう。これ以上やるのは良くない」


 冷たい風が吹き付ける中、毒島はその場から動こうともしなかった。鏡花ちゃんは私の手を取り来た道を戻っていく。


「ね、南ちゃんは復讐、したい?」

「……したい」

「そっか」


 また鏡花ちゃんはニカッと笑った。その笑みは先ほどの笑みと同じように、冷徹に見えた。

 復讐とは、なんだろうと一瞬考えた。答えは、まだ出なかった。

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