効率的な生活
春馬れい
本編
スマートフォンなるものを買った。近頃はこの平べったい携帯電話ひとつで何でもできるそうだ。ついこの間まで、肩から紐付きの重たい電話を提げていたというのに。おまけに質問をすれば携帯電話が喋るそうだ。
別に昔は良かったなんて言うつもりはない。むしろ効率的になることは大いに結構だ。だが、便利と言われていることは大抵の場合、それほどでもないと思うのだ。
例えば、とある鉄道路線は沿線住民たちの長年の運動が功を奏し、念願の都内某巨大駅への直通を果たした。しかし結果はどうだろう。全く関係のない路線のトラブルで頻繁に遅延しているではないか。
つまるところ、人々は便利さを追求するあまり、むしろ不便な状況に陥っているのである。
「でも貴方、そんなこと言ったって便利なのがいちばんですよ」
「そんなものかな」
「そんなものですよ」
何が可笑しいのか、説明書のないスマートフォン相手に格闘する僕の隣で、妻はずっと笑っていた。
「貴方だって、そうなんじゃありません?」
「何が?」
「私がいないと不便でしょう?」
得意げに僕を見つめる妻の顔があまりに本気だったため、つい笑ってしまった。
「君は特別だよ」
そう、僕の妻は特別だ。
もともと奇妙な出逢いだった。妻とは共通の友人を通じて知り合ったが、デートの後にわざわざ手紙を送ってきたのだ。
「どうして手紙を?電話番号教えてなかったかな」
「いいえ。でもね、気持ちは手紙で伝えたかったんです」
「今時、不便じゃないかい?」
古風な人だなと思った。この人は気持ちを伝えることに対して手間を惜しまない。人間関係としては決して効率的ではないけど、だからこそこんなにも嬉しい想いが伝わるのだろう。
今でも思う。我ながら結婚生活とは非効率的だ。しかし、非効率だから不便ということは決してない。それを妻が教えてくれたのだ。
「どうですか?使いこなせそう?」
心配そうな顔でスマートフォンを覗きながら妻が問いかける。
「どうかな。君に連絡する以外、予定はないからね」
「困りましたね。あら、このビデオ通話ってなんです?」
「あぁ、顔を見ながら電話ができるそうだよ」
「ふふ、とても便利じゃないですか」
「どこが便利なんだい?話ができれば、今までの携帯電話とそんなに変わらないよ」
まっすぐ僕を見つめながら妻は答えた。
「だって、離れていても貴方と顔を合わせてお話できるんですもの。便利じゃないですか」
あぁ、やっぱり僕は妻を愛しているんだ。
「そうか…確かにその通りだね。でもね…それは無理なんだ」
「そうですよね…。私ったら、早合点しちゃいましたね。でもいつか、もっと便利な携帯電話が発明されたら、その時はきっとまた顔を見てお話できるはずですよ」
気が付くと僕は一通の手紙を持っていた。どうやら眠ってしまっていたようだ。古く色褪せた、しかし僕にとってはこの世のどんなものよりも大切な、亡き妻がくれたあの手紙。
「手紙はやっぱり不便だよ」
起き上がって仏壇に目をやると、遺影の中の妻が、僅かに笑った気がした。
効率的な生活 春馬れい @harumarei
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