はれの日は原付に乗って

眞壁 暁大

第1話

感染症が発生して、ときならぬUターンラッシュが起こった。

人口密集地では感染のリスクがヤバいという理屈だ。

じっさいの感染の広がりが人口の多い都市部で顕著に酷いことになっている、という連日の報道もあって、首都圏からの脱出の動きが拡大している。

政府は緊急事態宣言を出して、事態の収拾に乗り出した。


まず、高速道路が使えなくなった。

首都圏に生きる人口を支えるために食料燃料その他インフラの輸送が最優先となり、そこかしこのインターチェンジが閉鎖されて民間車両が締め出された。

首都圏へ向かうトラックは生きているが、それらの物流トラック以外の全てが、高速道路から締め出されて死んでいる。


当然のようにして、首都圏の企業群の営業に差しさわりが出る。

国道一般道を利用して強引に営業を継続しようとする動きもないではないが、非効率極まりない。

日に日に首都圏の企業の稼働率が低下していたちょうどその頃に、閑散とした辺鄙圏の感染率が優位に低いという統計が発表される。


exodusが始まった。


地方に支社・営業所を構える企業からは次々に社員に対して地方への脱出という出向命令が出された。

そこで移動の際に手当の出る電車を選択して、新幹線を中心に時ならぬ乗車率を記録して却って人口密集度を高めるムーブを起こしたのはさすがに企業戦士たちというべきか。


脱出して業を続けられるあてのない人々の脱出も時を置かずして始まっている。

強引な命令で首都圏のインフラ維持のための物資供給は継続されているが、それでも供給される物量には限りはある。

国を維持するためのオペレーションにあたる高級官僚とその家族、上級国民が優先され、それ以外の階層への物資配給は絞られているのが首都圏の実態だった。

しかも、収入や信用スコアの低い方の人間から順繰りに、いろいろな理由をつけて配給の環から排除されつつあるということ、

そしてその配給体制がいびつな同心円状に、都心部のど真ん中、首都圏の中心地から郊外に向けて拡大しつつあるということが少しずつ伝わってくる。


俺の棲む町もそう遠くない時期に呑み込まれるのは必定だった。

イノシシやシカ、サルも出るような田舎だが、いちおうは都下となっている。

昭和の頃からの工場はあるものの、首都圏環状道路の開発計画よりもさらに外。

それに加えて環状道路接続の道路整備が遅れたこともあって、昔からあった工場も徐々に撤退。

そこに来てこの騒ぎだから、操業を休止する工場だらけになる。俺の勤めていた会社も巻き込まれて無期限休業が決定している。

程よく田舎なのに、だからと言って自給自足で生き延びられるほどの農業は既に死に絶えてしまっているというどっちつかずの町。

近隣の都心需要に合わせて農業の発達していた町と違って、住人の大半は引きこもって嵐がすぎるのを待つことを選ぶこともできない。


でていくしかないじゃない。


そういうわけで俺は通勤兼営業用のスーパーカブに乗って、実家を目指した。

来月からの営業の無期限休止に伴い整理解雇。

まだまだ正社員の解雇は難しいと言われていたし、俺もてっきりそうだと思っていたのだが、時限立法の緊急事態宣言によってそれは劇的に変化した。

今回の事態を受けて休業する企業に限り、一方的な通告で、国の定めた一時補償金を支払えば問答無用で首を切ってよいことになったのだ。

保証金はごくごく少額だったから、どの企業もさっそくこの制度に従って従業員を切り始めた。俺も漏れなくそれにあたったということだ。


感染症よりも首切りの方が広がりが早いうえに、当たった人の頭数も多いのだからタチが悪い。


法定の一時補償金をぎりぎり上回る小遣い程度の給付を申し訳ないと思ったのか、会社は俺の手もとにある会社支給の資産をロハで譲渡してくれた。

気休めにもならないとはいえ、乗り慣れたスーパーカブが名実ともに愛車になったのはわるい気はしない。


俺はそれに積めるだけの荷物を積んでアパートを後にした。また戻ってこれるかどうかは分からないが、不在時の家賃は払わなくて良いのが救い。

これも緊急事態宣言の効果だ。いきなり首にされた俺よりも、大家の方が悲惨かもしれない。

俺が出ていくと告げた時の大家の泣きはらした目を思い出して少しだけ心が痛む。誰も彼もひどい目にあっているとつくづく思わずにはいられない。


町を出る道は渋滞していた。

町の幹線は片側二車線の都道だったが、上り線を一車線潰して下り三車線に変更して運用してもなおこれだ。

上り線も渋滞しているが、こちらがトラックだらけなのに対して、下りはミニバンや軽乗用車だらけ。鮮やかな対照だった。

トラックのドライバーはいずれもごついゴーグルに、ガスマスクだと思うが、ツナ缶を二つ顎先にぶら下げてるようなこれもごついマスクで顔を覆っている。

すれ違う乗用車のドライバーと同乗者たちは素面もマスクも半々くらい。普通のマスクも供給が追い付かないでいるから手に入らない人の方が多い。

今つけている人々は、温存していたマスクを着用しているのだろう。


俺もマスクは一つしかもっていないから、半ヘルでサングラス、マフラーを鼻の頭まで持ち上げてマスク代わりにしている。

いちおうたった一枚だけ、未使用のマスクが残っているがこれは最後の最後まで取っておく。


渋滞の車列をすり抜け、時に歩道に乗り上げて押し歩きしながら俺はじわじわ行程を伸ばす。

田舎行きの船がまだ運航しているかどうかは分からないが、まずはこの本州を出ない事にはどうしようもない。

首都圏の旅客ターミナルは既に軒並み閉鎖されている。

直近の旅客船の就航する港に行こうかと思ったが、思い直す。皆そっち側に行くことは想像がつく。

俺は山を越えて、北へ向かうことにした。

幹線道路・鉄道はいずれもインフラ物流のみが許可された閉鎖道路になっている。

残された道は山並に急カーブと急峻な坂を延々と走る昔ながらの細い自動車道。はやい時期に道路開発が進んだため、路線の改良が進んでない道だ。

険しさで知られるその道の峠を、はたしてこのカブで越えられるのか? いささか不安はあったが肚を決めた。


北の港に向かう人間は少ないだろうから、道は空いているはず。

港から直接田舎へ向かう船はないだろうが、九州へ向かう船に乗ればいい。そこからはいくらでも便を探せる。


西へ伸びる国道につながる交差点を超えて、ようやく渋滞は落ち着いてきた。北を選ぶ車は明らかに数が少ない。

そのせいで渋滞も緩和し、普通に走ることが出来るようになった。

都市を離れ、小奇麗な住宅地を抜け、かつての新興住宅地を抜けて山裾へ分け入っていくに連れて車の数は減っていく。

やはりこの道を選んだのは正解だったようだ。


途中、コンビニによって食料と飲料を補充しようとするが、厄介なことに気がついた。


どこもキャッシュレス決済なのだ。

最初の店舗こそ、厭そうな表情を浮かべながらも現金を受け取ってくれたが、それより北はもうダメだった。

ATMで残高をスマホに移して、そこで充電をし忘れていたことに気づく。

仕方ない。俺はスマホの電源を落とす。

そのコンビニを出た時は次の給油でついでに充電しよう、という目論見を立てていたのだが、その目論見も崩れ去ることになった。


給油自体は出来た。ハイオクしか残っていなかったが。

レギュラーは既に売り切れていた。

補充が追い付いてないらしく、給油機のタッチパネル上に休止中と手書きの紙が貼られている。


給油を終えて充電のため自販機のあるレストコーナーへ入ろうとして施錠されているのに気づく。

ガタガタと何度か扉を揺らしてみたが入れない。

ここにも張り紙で「感染症対策云々」とあるのに気づいたのは、腹立ちまぎれに最後にガラス戸を最後に殴りつけた後だった。


諦めた俺はさらに北上する。

小道の脇にたたずむ自販機を見つけると周囲に車も人もいないのを確認。

自販機のコンセントを引っこ抜いて、スマホの充電器を突っ込んだ。これでしばらくはしのげる。


幾重にも曲がり、幾度も上った。

日はとうに暮れて、もう街は遥か彼方。行き交う車もすっかり減った。

三つ目のコンビニ休憩の後は、俺を追い抜いていく車は数台あったものの、すれ違う車は一台もなかった。

首都圏に向かう人間の激減していることを実感せざるを得なかった。

峠の林の切れたあたりで一度、首都圏の方を振り返ってみたが、心なしか、街の夜景が弱々しく見えた。


行く末も、来し方も、道はどこまでも昏く続く。街灯はどこにもなかった。

ヘッドライトを頼りに道を確かめながらのろのろ進む、かよわく頼りないはずのカブの爆音ばかりが山と森に響く。

ふだんとは異なるそんな情景が、感傷的な気分にさせていたのかもしれない。


充電の復活したスマホでナビアプリを立ち上げる。あと1時間も走れば最後の峠、その直前のコンビニに辿り着くはず。

そこについたら、今日はもうひとまず休んで仮眠しよう、そう思った。


コンビニは入口の他はシャッターが下りていた。異様な雰囲気である。

てろてろぺぺぺ、とマフラーを鳴らして駐車場に乗り入れて、人影に気がつく。

入口両側の車止めのバーに寄りかかってやんきぃ風の風体の男が二人。

コンビニにも入らずに何をしているのかと訝しく思ったが、あえて無視して入口へ向かう。


「おい」


左側のトノサマバッタカラーのヘッドなやんきぃが声をかけてきた。


「ここはガスマスクかフルフェイス以外、入店禁止だ」


マジか。コンビニがフルフェイスだけって。むしろ禁止する方だろ?


「やべえ病気持ってるかもしれない奴がこっちくんな。迷惑なんだよ。引き返せ」


右側のスキン禿のやんきぃが続けて言った。ガチのようだ。Uターンするつもりが、Uターンさせられそうな状況。


だが、俺にもここから引き返す選択肢はない。強行突破か、交渉か。


どちらにせよ、目論見は外れた。今日は眠れそうにない。

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