4-5 友達としかみられない
「……」
俺の言葉を聞くと、貴理は悲し気に顔を伏せる。そして、小さくうなずいた。
「それも、大分重いものだ。俺はそれに全く気付いていなかった。朱莉の苦悩や負担に、全く。……自分のことしか見ていなかったんだ」
朱莉はかなり真面目な生徒だったが、体育や委員会を度々休んだり、学校にも来ない日があったりしていた。
当時俺は、本人の『サボっちゃった!』という発言を真に受けて、気分屋な奴だと思っていた。
しかし、実はそれが別の理由からだったとしたら?
つまり、正当な理由からだったとしたら。
真面目な生徒が学校を欠席したり、遅刻したりする理由はそう多くない。
まず、1つ目は過失。
偶然目覚まし時計をセットし忘れて寝坊したり、電車を乗り違えたりした場合。
これは誰にでも起こりうることだが、そう頻繁には起こらない。
よって、定期的に学校を休んでいた朱莉の件はこの理由ではない。
2つめに、両親や家族に関する事情。
親の仕事の手伝いとか、親が忙しいから代わりに家事をやらなければならなかったとか、あるいは、親族の誰かが亡くなったり事故にあったりしてその対応のために休む場合。
これも誰にでも起こりうるが、やはり定期的に休む理由としては不合理だ。
『毎週水曜だけは親が忙しくて』等なら分かるが、隠すようなことでもないし、学校を休むほどでもないはず。
そして、3つ目。本人に関する事情がある場合だ。
例えば、登校中に事故に遭ってしまったとか、事件に巻き込まれたとか。
――あるいは、何か病気を抱えているとか。
前者に関しては前の2つと同じで不合理だが、後者に関してはどうだ?
朱莉は何か病気を抱えていた。そして、その診察や療養のために定期的に学校を休まなければならなかった。
それに、朱莉が引っ越した先の館森市は大都市。
木村は大きな総合病院もあると言っていた。
つまり、病状が悪化して、入院するために引っ越したのではないか?
こう考えると、疑問に思っていたことに全て説明がつく。
……あの日俺に話しかけたのも、もしかしたら――朱莉も、変化を求めていたのか。
俺に変化をもたらすことによって、自分の命に価値をと、そう考えたのかも知れない。
なぜなら、ただ生きているだけの命を、何もできない人生を、『生きている』とは呼ばないから。
「俺は朱莉について、何も分かっていなかった……にもかかわらず、いつしか全ては朱莉が原因だったと、俺は悪くないと、そうやってあいつに全部押し付けて悪者扱いしていた」
日ごろの鬱屈を、自身の退屈や現在の最低な状況さえ全て朱莉のせいにして、被害者ぶって、トラウマだなんて言って逃げていた。
「……お前はそれが、許せなかったんだよな?」
そりゃ俺に対する態度も悪くなる。当然だ。
俺は最初から、貴理にとって許せない存在だったのだ。
「その通りよ……ようやく、分かってくれたの?」
か細い声で問いかける貴理に対し、頷きを返してみせる。
「あぁ……そうだよな……そりゃ『友達としかみられない』わけだ。朱莉のことを深く理解してやれなかった俺に、朱莉と付き合う資格なんてなかった。『友達の枠』を超えられないのも当然だ……」
断じて、朱莉のせいなんかじゃなかった。
俺のトラウマは、俺自身が生み出していたもの。
もはや逃げることも、言い訳することも出来やしない。
「……は?」
俺の言葉を聞いた途端、貴理は感情が抜け落ちたような真顔でこちらを見つめる。
「……あんた、そこまで分かってて……何でその言葉の本当の意味が分からないの?」
「……え?」
どういうことだろうか? 本当の意味?
疑問を浮かべる俺に対して、貴理は唇をかみしめながら責めるような視線を送ってくる。
そして、何かを言いかけると、再び口を閉じて逡巡した。
きっと、言いづらいことなのだろう。
もしかすると、この先こそ、貴理が自身の口から言いたくなかったことなのかもしれない。
貴理は、同じことを何回か繰り返した後、こぶしを握り締めながら口を開いた。
「……お姉ちゃんはね、あんたが好きだったのよ!!」
「は?」
脳の理解が追い付かない。貴理が何を言ったのか、全く把握できなかった。
……誰が、誰を好きだったって?
「でも、あの時は受験期だったし、引っ越しも控えていた! 病気のことなんて口にして、あんたに心配をかけたくなかったの!」
「……は? え?」
貴理は依然として呆然とする俺の襟首を掴み、ベンチの背もたれへと強く押し付ける。
バンっという大きな音とともに、俺の頭がベンチにぶつかった。
その痛みで、思考の海に沈みそうだった意識が戻ってくる。
「『友達としかみられない』、それは『友達という枠を超えていない』っていうあんたに向けた言葉なんかじゃない!! 『友達以上としてみてはいけない』という、自分に向けた言葉だったの!! ……色々なことが分かるのに、どうして、どうしてそれが分からないの!!」
目の端に涙を浮かべ、烈火のごとく激怒する。
今まで見たことがない貴理の激情に、俺はなすすべもなく揺られていた。
俺にとって、『友達としかみられない』、この言葉は呪いだった。
俺には永遠に手が届かないと、そう宣言する、嘲笑を込めた審判の言葉。託宣。
……それが、間違っていた?
「あんたは、病床に伏したお姉ちゃんの心の支えだった!! あんたのことを思い出したときだけ、笑ってくれてたの!! なのに!! なのになのになのに! 大学で出会ったあんたは、話に聞いていた人物からかけ離れてた!!」
「……」
そうだ。俺は朱莉がいなくなってからは屍だった。
何もかも退屈で、どうでも良くて、それでもあの頃のような何かが掴みたくて。
あの頃みたいに謎を解いたりしていれば、少しは気がまぎれるかも、そんなことしか考えていなかった。
「何もかも諦めたような、冷めて悟ったような顔をして、何にも本気を出さずにサボってばかり!! なんなの? お姉ちゃんがしたことは無駄だったの!?」
俺の襟首をつかむ手に、もう一度強く力を籠めると、大声で叫ぶ。
「そんなの、私納得できない!!!」
「……」
「何が過去は関係ないよ! 本当は自分が1番過去に囚われてるくせに! 自分の失敗を全部お姉ちゃんに押し付けて逃げてただけのくせに!!」
確かに、俺は逃げていた。
逃げて逃げて逃げて、そうやって目を逸らしていれば、いつか何か変わるかもしれないと思って。
自分では何もせず、他力本願。
挙句の果てに過去と向き合うことすら出来ず、ただ、ひたすらに逃げていた。
「何、人の相談聞いただけで達成感に浸ってるのよ!! あんたがやるべきことは、そんなことじゃないでしょ!? 約束したんじゃ、なかったの!?」
約束……そんなことをしただろうか?
朱莉のことは極力思い出さないようにしていた。いつか記憶が風化することを願って。
だから、もう思い出せない。それが何だったのかも、彼女がどんな風に笑っていたのかも。
途中から貴理は泣いていた。嗚咽交じりの涙声で、なおも俺に言い募る。
「お姉ちゃんはね、私に言ったのよ! もし大学であんたに会えたら、『ありがとう』って伝えてくれって!
学者さんになるのを期待してるって!!」
『学者』。その言葉が、頭の中の何かを掠める。
そういえば、俺はなぜ大学に入ったのか。
何かを、成し遂げるためではなかったか。
「先が短い私でも何かを変えることが出来た、詳と過ごしたあの時間は、とても楽しかったって!! 出来るなら、もっとずっと一緒にいたかったって!!」
「っ! 朱莉も、俺を想ってくれていた……?」
それを聞いて、記憶に残るあの時の彼女の顔から、靄が取れていく。
俺を真正面から見つめてボロボロと涙を流す貴理の顔が、彼女の顔と重なる。
『……ごめんね。友達としかみられない』
――この時彼女は、泣いていたんだ。
そうだ。俺は届いていた。今では諦めてしまった場所に。確かに、到達していた。
『あの日々は、無駄なんかじゃなかった』。
理解した瞬間、電撃のような衝撃が全身に走る。今までにない感覚。熱い。
その熱は、体を抜け出て世界を染めていく。
今までも色が付いていたはずなのに、それが実は灰がかりくすんでいたことを理解してしまった。
そんなコペルニクス的転回。
全て、思い出した。
……まだ俺は、彼女との約束を果たせていない。
「貴理、思い出したよ……」
「……え?」
最後には泣き崩れてしまった貴理を手で支え、真剣な表情で見つめる。
「あぁ、そうだ、俺は――」
あの時、朱莉の眩しい瞳に惹かれて、不思議なことにアリだと思えた。
あの感覚を、ようやく思い出した。
例えその結末が、「何の面白みもない景色」だったとしても。
「――物理学者に、なりたかったんだ」
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