3-6 なぜ、カッターを盗まなかったのか?
午後になって急に降り出してきた雨に打たれながら、目的地へと急ぐ。
朝は晴れていたので、今日も傘を持ってきてはいなかった。
先日の反省をまるで活かせていないことに、ため息をつく。おかげで服がビショビショだ。
周囲の建物の壁と壁に挟まれた細い路地に入り、薄暗い空間を抜け出ると、目の前に店が見えた。
喫茶店『Girouette』。
雰囲気重視の洋風でシックな見た目は、美的感覚の鈍い俺ですらオシャレに感じる。
これがこの店でなければ、気後れして絶対に入ろうとしないだろう。
見慣れた店の前までたどり着くと、扉を押し開く。
すると、扉に取り付けられたベルが、カランカランと音を立てた。
奥から20代後半と思しき女性が対応に出てくる。
俺のずぶ濡れの姿を見ると、雨でぬれたところを拭くためにタオルを貸してくれた。
「ありがとうございます」
「詳君。いらっしゃい。今日、大学は良いの? まだ1時過ぎだけど……」
「今日は全休なんで平気です」
あくまで俺の中では、と心中で付け足す。
昼時にもかかわらず、今日も俺以外の客は誰もいなかった。
この店は本当に大丈夫なのかと、多少心配になってしまう。
「マスター、とりあえず、いつものを貰えますか?」
「ロイヤルミルクティーね。かしこまりました」
とりあえず注文をして、店内の端っこ、隅にある席に座る。
客がいなくて自由に席を選べるときは、ここが俺の定位置だった。4年前から変わりはしない。
貴理から借りた手帳を広げ、もう一度考えを巡らせてみる。
1件目
・被害者:
・犯行場所:学生食堂
・犯行時刻:2限の最中(午前10時半過ぎ~午前12時の間)
・盗まれたもの:割引券
・現場には『死神』のタロットカードと新聞記事のコピーが置かれていた(置かれていた状況は別図)
・タロットの裏には『distortion』というメッセージ
2件目
・被害者:
・犯行場所:北公園、周遊道途中のベンチ(衆人環視の中にあったと考えられる)
・犯行時刻:午前10時過ぎ~午前11時半の間
・盗まれたもの:鑑賞券
・現場には『死神』のタロットカードと新聞記事のコピーが置かれていた(置かれていた状況は別図)
・タロットの裏には『distortion』というメッセージ(同一犯の可能性高)
・怪しい人物の目撃情報はなし(目に留まらなかっただけの可能性もアリ)
3件目
・被害者:
・犯行場所:講義棟16号館、203教室(衆人環視の中にあったと考えられる)
・犯行時刻:午前10時半~午前10時45分の間
・盗まれたもの:小冊子
・現場には『死神』のタロットカードと新聞記事のコピーが置かれていた(置かれていた状況は別図)
・タロットの裏には『distortion』というメッセージ(同一犯の可能性高)
・怪しい人物の目撃情報はなし(手に入らない可能性高)
4件目
・被害者:
・犯行場所:学生食堂(衆人環視の中にあったと考えられる)
・犯行時刻:午前11時過ぎ頃(正確な時間は不明)
・盗まれたもの:ビラ
・現場には『死神』のタロットカードと新聞記事のコピーが置かれていた(置かれていた状況は別図)
・タロットの裏には『distortion』というメッセージ(同一犯の可能性高)
・怪しい人物の目撃情報はなし(手に入らない可能性高)
……ダメだ。何も浮かばない。
というよりも、一旦何かの考えに支配されてしまうと、どうしてもそれありきで考えてしまう。
考えを一から作り直すためにも、一度整理したかった。
「はい。ロイヤルミルクティー。……何か、悩んでるみたいね?」
「……えぇ。まぁ」
マスターはまるでこちらの事情を全て見透かしているように微笑む。
「今はお客さんいないし、話を聞くだけなら役に立てるわよ?」
「……分かりました」
丁度考えを整理したかったところなので、マスターに今までのことを話すことにした。
例え何もわからなかったとしても、人に説明することで自分の中での疑問点を言語化することが狙いだ。
今までの事件で俺が見聞きしたことの詳細と、昨日貴理たちに話した俺の推論、そして今日その予想が外れてしまったことを話す。
マスターは黙って俺の話を聞くと、静かに首を振った。
「ごめんなさい、やっぱり役に立てそうなことは何も浮かばないわね……」
「あ、いえ、気にしないでください。こんなの分からないのが当然です。……とはいえ、マスターは世界の全てを知っていそうな雰囲気があるので、少しは期待していましたが」
「それは買い被りよ。私だって全部は知らないわ」
冗談めかしてそう言うと、マスターが乗ってきてくれたので、暗かった雰囲気が多少明るくなる。
「あ、でも、詳君の話を聞いていて1つ疑問に思ったことならあるわよ」
「え? 本当ですか!? それは、何ですか?」
「うん。まず1つ確認なんだけど、2人目の被害者である刈谷さんは工作サークルの人で、犯行があった場所には彼の所有物である色々な工具が散乱していたのよね?」
「はい、そうです」
「工作サークルが作業してたんだし、そこに『カッター』があったりしなかった?」
「え……?」
突然現れた『カッター』という単語に混乱する。どういう意味だ?
「あ、はい。確かにカッターはありましたね」
「そうだとすると、犯人がもし詳君が言うように、目立ちたいがために『ABC殺人事件』を模倣していたのだとしたら……犯人はなぜ、カッターを盗まなかったのかしら?」
そう言われた途端、脳裏に電流が走った気がした。
「……」
「わざわざ財布の中から映画のチケットを抜き取るより、散らばっていたカッターナイフを拾う方が簡単じゃない?」
まさにその通りだ。どうして今まで気が付かなかったのか。
答えはたった1つ。自ら出した推論を前提に考えていて、他の可能性を排していたからだ。
「それに、普通映画のチケットを『鑑賞券』なんて言うかしら? もちろん間違ってはいないけど……頭文字が一致してれば良いだけなら、カッターの方が分かりやすいでしょ?」
「そう、ですね……その通りです」
マスターの疑問をきっかけにして、頭の中で今までバラバラに飛んでいたピースが一つにまとまっていく。
「ありがとうございます……おかげで、見えてきそうです」
「ふふ。私に出来るのはこのくらいだけど、お役に立てたみたいね。……じゃあ、頑張って」
そう言ってマスターは仕事に戻っていった。
多少冷めてしまったロイヤルミルクティーを飲みながら、今までの事実を一通り整理して、合理的に結びつけていく。
――すると、1人の人物が浮かび上がってきた。
「そうか……犯人は、あいつだ」
だが、まだ分からないことがある。
そう、動機だ。なぜ、あいつはこんなことをしでかしたのか?
そして、この盗難事件が示している真のメッセージは何なのか。
突き止めなければならない。
……なんとしても、今日中に。
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