三章 なぜ、カッターを盗まなかったのか?

3-1 二度あることは三度ある

 ピンポーン、というインターホンの軽快な音が、睡眠と覚醒の間を漂っていた意識を呼び戻す。

 寝不足でぼんやりとしたまま部屋の壁にかかっている時計を見ると、針は午後1時前を指していた。

 まだ最後に時計を見てから30分しか経っていない。最近はいつもこうだ。

 『あの日』が近づくにつれ、どんどん眠れる時間が短くなっている気がする。

 連続して眠れるのは1時間が精々。まともな睡眠とは言い難い。

 またしても眠れなかったことにイライラしながら元凶であるインターホンを呪っていると、2回目が鳴らされる。

 何度鳴らしたところで出てやるものか。

 どうせ新聞の勧めかN〇Kの集金か、運が悪ければ新興宗教の勧誘だ。出てやる義理はない。

 そう考えてふて寝を決め込んでいると、3回目が鳴らされる。流石にしつこい。

 と思ったら、ドンドンとドアをたたき始めた。

 ここで、俺はようやく異変に気付く。新聞の勧めや宗教勧誘がここまでやるはずがない。


「まさか……」


 1つの可能性を思い浮かべてしまい、恐る恐る近くに置いてあったスマホを確認する。

 ……知らない番号から沢山の着信がかかってきていた。その数は悠に20を超える。

 着信拒否の悪いところは、自分の番号が相手に割れている場合、相手が端末を変えればまたかけてくることが可能な点だ。

 絶対に改善すべき、致命的欠陥と言える。

 しかし、それすらも予想していた俺はスマホをナイトモードにしておいたので、全く気付かなかった。


「電話に出ないからと言って、家にまでやってくるとは……」


 今もドアをたたき続けている相手の正体を察した俺は、その執念深さに嘆息する。

 やむなくベッドから起き上がり、寝起きの状態のままでのそのそと玄関に向かう。

 今から時間をかけて着替えていては、後で何を言われるか分からない。

 玄関に着き、念のためドアスコープを覗いてみると、案の定そこにいたのは貴理であった。

 仕方なく鍵を開けて、中へ招き入れることにする。


「はい……何スカこんな時間に……今深夜っすよ」

「そんなわけないでしょ!? 何で電話がつながらないの! おかげでここまで来る羽目になったわ!」


 恨みがましさ満載の暗い視線を送りつけてやると、鬼のような形相で睨み返された。

 まさに蛇に睨まれた蛙の心境である。怖い。

 ……しかし、勝手に来ておいてこの言い草はない。別に俺が頼んだわけではないのだから。


「で? 寝起きの俺を叩き起こした用件は何だ?」

「てか、あんた……今日は木曜よ? 何でこの時間にパジャマなの?」

「今が深夜だからだ」


 俺の答えを聞くと、貴理は頭痛をこらえるようにこめかみを抑え、天を仰いだ。


「あー……もういいわ……で、用件の方だけど、また新たな被害者が出たの」

「被害者? 何の?」

「はぁぁぁ? あんたの頭は鳥頭なの?? 3歩歩いたら忘れちゃうわけ!?」


 そこまで言われるのは心外だ。必要な情報を取捨選択して覚えていると言ってほしい。

 つまり、どうでも良いことはすぐ忘れるだけだ。


「『死神盗難事件』の第三の被害者に決まってるでしょ!」

「あぁ、あれか……そういえば、昨日はあれからメモを見せてもらってないな」


 昨日は木村の件を解決した後、すぐ家に帰ってきてベッドに入った。それから何もしていない。

 上手く寝れずにたまっていく疲労を回復するには、寝れなくてもベッドに潜っていることが一番だ。


「とりあえず、新しい被害者の話を聞いて欲しいの。今すぐ大学に来て!」

「いやいやいや……この格好を見ろ。まだ寝起きなんだ。すぐに行けるわけがない」


 そう言って自分を指さす。

 酷い寝癖が付いてあちこち跳ねてしまっているだろう髪に、くたくたのパジャマ姿だ。

 鏡を見ていないので分からないが、寝不足が原因で目元には濃い隈まで出来ているかもしれなかった。

 いくらファッションに疎いとは言っても、流石にこれで出かけるわけにはいかないだろう。

 不審者丸出しだ。職務質問されかねない。


「あんたなんて普段の格好もパジャマみたいなもんなんだから、別に良いじゃない」

「そんな横暴が通ってたまるか。もし職質されたら責任取ってもらうぞ」

「うっ……ないとは言い切れないのが痛い……」

「そうだろ? 道行く人からあらぬ罪で通報されてしまうのは、流石に俺が可哀そうだろう?」

「あんたはどうでも良いけど、捕まった時に関係者だなんて言われたらたまったもんじゃないわ」


 俺はどうでも良いのか。もう少し先輩をいたわっても罰は当たらないと思う。


「……まぁとにかく、今すぐは無理だ」

「仕方ないわね……じゃあ、4限後の時間に大学で落ち合うことにしましょう。被害者の方にもアポを取っておくわ」

「なんなら明日まで待ってもらえると嬉しいんだがなぁ。そして、明日にはまた明後日まで待ってもらう」

「それじゃ永遠に聞き込みできないじゃない!」

「素晴らしいことだ。死神なんて物騒な単語は忘れよう。真の平和が訪れる」

「下らないこと言ってないで、さっさと着替えなさいよ……良い? 4限後だからね?」

「強引だな……俺に講義があるとは思わないのか?」

「あんたの今日の講義は丁度4限で終わりのはずよ。良かったわね」


 俺自身も把握していない俺の時間割を把握しているのはどういうことなのか。謎だ。


「……お前自身の講義はどうなんだ? サボるのは良くないと思うぞ」

「あんたに言われたくはないけど……お生憎様。私今日は午前で終わりなの」

「さいですか……」


 色々言い訳してけむに巻こうと思ったが、もはやどうすることも出来ない。降伏である。


「分かったよ……4限後に大学に行けば良いんだろ……」

「初めから素直にそう言えば良いのよ。じゃ、待ってるから」


 そう満足げに言うと、ようやく部屋から出て行ってくれる。

 邪魔者を追い出すと、二度と入れないという決意のもときっちりと鍵をかけた。


「あ、それと、着信拒否解除しておいてよね。……次出なかったら容赦しないから」


 扉の向こうから聞こえた声は、今日聞いたどんなものよりも冷たい声音だった。寒さすら感じる。

 『誰が解除などするものか』という昨日の俺のダイヤモンドより固い意志は、ガラス細工のようにあっけなく砕け散った。

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