一章 GかIか

1-1 悩みとは一種の謎

 いつだったか、誰かが口にしていた気がする。


『大学時代は人生の春だ』


 面白い冗談だ。

 M-1グランプリで優勝は間違いない。それほどに笑えるジョーク。

 これが春だなんて本気で言う奴は、頭がどうかしているに決まっている。

 きっと、マッドサイエンティストにロボトミー手術を施されたか、海馬に電極でもぶっ刺されたに違いない。


しょう! ちょっと、詳ってば!」


 ぼんやりとした意識の中、頭がガンガンするような金切り声が耳元から聞こえてくる。

 ほらな。現実は、寝不足の俺を満足に寝かしてくれさえしない。


渡貫わたぬき しょう! そろそろ起きなさいってば!!」


 ガツンと頭に衝撃を受け、無理やりに意識を覚醒させられる。

 そう、これを季節に例えるなら、紛れもなく冬。

 それも、雪が降って恋人同士が仲良く手を取り合うようなロマンティックな冬じゃない。

 日本海側で湿気を全て失った乾いた強風が吹きすさび、生命の火が消し飛んで残骸だけが残るような、そんな灰色の冬だ。


「……いってぇ。貴理きり、お前、何も殴ることないだろ」


 頭に受けた衝撃のせいか、目を開けた瞬間、記憶の中の少女と目の前の悪女が一瞬重なる。

 似ても似つかないはずの2人が重なったのは、それほど頭が痛かったからに違いない。

 スマホで時間を確認すると、まだ寝始めてから1時間経っていない。

 殴られたことも含めて不満と非難を込めた暗い視線を彼女へと向けると、貴理はいら立ち交じりの反論をまくしたててきた。


「さっさと起きない詳が悪いのよ。私が何回呼びかけたと思ってるの?」

「何回?」

「3回よ!? 3回も呼びかけたわ!」


 ないとは言えない胸を張って、偉そうに自分の戦果を誇ってくる。

 いやいやいや、たったの3回かよ。3歳児だってもう少し頑張れそうなものだ。


「……もうちょっとねばってくれても良かったじゃん」

「嫌よ。時間の無駄」

「あのね……俺、一応先輩よ? 角川かどかわ 貴理きりさん? もうちょっと敬意をだね――」

「あんたみたいな人が先輩だなんて、私納得できない」


 大学4年生と1年生。敬語を使って話すのが一般的だと思われる学年差。

 事実を突いたはずの俺の発言を制し、突如氷のような冷たい言葉を突き刺してきた。胸が痛い。


「えぇ……俺、お前に嫌われるようなこと、何かしたっけ?」

「別に。ただの正当な評価よ」

「と、言うと?」


 はぁ、とため息をつくと、貴理はまるでゴキブリでも見るような嫌悪感丸出しの表情で俺を蔑む。


「着ている服はいつも黒一色、髪はボサボサ、講義はまともに受けずにこの部屋で寝てばかり」

「あー……」


 そう言われると何も反論できない。全て事実だからだ。

 口を開いたまま何も言えずに呆然とする俺に対し、貴理は勝ち誇った笑みを浮かべる。


「ようやく悟ったようね。そんなダメダメなあんたに対して、私はどう?」


 言われて、目の前の貴理に意識を向ける。

 ツヤのある長い亜麻色の髪に、整った容貌。派手さを感じさせない程度のメイク。

 服にはあまり詳しくないが、白と赤を基調としたコーデは彼女に良く似合っていた。

 特に、今着ているワインレッドのロングスカートはお気に入りらしい。

 講義も真面目に受けていて、成績も優秀だということは知っている。

 つまり、およそ非の打ち所がない。

 ……キツすぎる性格を除いては。


「……はいはい。どうせ俺はお前に劣ってますよー」

「その開き直りがムカつくのよ! 悔しかったら少しはまともになったらどうなの? 今のあんたに評価できるところなんて1つしか――」


 貴理がまたいつものようにギャンギャンと騒ぎ立てようとしたところで、コンコンと扉の外からノックの音が響く。


「え、嘘よね? こんな胡散臭いサークルに客人?」

「そんな胡散臭いサークルに入ったお前が言うな」

「私のは、一身上の都合」

「はいはい。それに、初めての客ってわけでもないだろ……」


 言いつつ、散乱しているものを適当に端に寄せて扉へと向かう。

 この部屋は狭くない。正確には分からないが、恐らく7畳はある。

 それでも人が2人も入れば多少狭く感じてしまう。

 理由は簡単。ものが多いからだ。

 その辺に放置されている中身の分からない段ボール箱とか、適当に積み重ねられた雑誌、2人しかまともに活動していないサークルには不釣り合いな量のパイプ椅子等々。

 雑多という言葉が、これほどふさわしい部屋もない。物置のようだ。

 久しぶりの客に、凄い部屋だと思われることを想定しつつ扉を開けた。


「はい、『お悩み相談サークル』です」

「あのー、友達に聞いてきたんですけど……」

「こんな最果ての部屋まではるばるようこそ。とりあえず中へ入って下さい」


 自分がさっきまで座っていた椅子とテーブルをはさんで反対側にパイプ椅子を用意する。

 来客にはそこに腰掛けてもらった。

 貴理はいつの間にか、俺の隣に椅子を用意して座っている。


「それで、ご用件は?」

「あー、えっと、私文学部1年の八代やしろ 愛美まなみって言います」


 名前を尋ねたわけではないが、名乗られたら名乗り返さないわけにはいかない。


「……理工学部4年の渡貫詳です」

「経済学部1年の角川貴理です。よろしくお願いします」


 あれ、こいつ俺にはあんな態度の癖に他の人には普通なんか……

 多少恨みがましい目で見ると、睨み返されたので目を逸らす。


「それで?」

「ここって探偵みたいなことやってるんですよね? ちょっと調べて欲しいことがあって――」


 その発言を聞き、バレないように嘆息する。また面倒事か。

 いつも学内のプライベートスペースとしてこの部屋を使わせてもらっているので文句は言えないが、よくこんな胡散臭い団体に相談しようという気になるものだ。

 この部屋を自由に使えるメリットと、年に数回もちこまれる厄介事というデメリットを比較すればメリットの方が大きいのだが、実際に持ち込まれたときは辟易してしまう。

 それに、最近は貴理という悩みの種がある分、実はマイナスに傾くかもしれなかった。


「ちょっと、詳。聞いてる?」


 今後の学生生活に深く関わる重大な損得計算をしていると、隣の貴理に肘でどつかれた。


「え、あー、すみません。ボーっとしてました。もう一回聞かせてもらえますか?」

「……この人大丈夫なんですか?」

「すみません。いつものことなんです。考え出すと、多少頼りになりますよ。多少」


 俺に向けるものとは全く違う爽やかな笑顔で、貴理が宣う。『多少』は余計だ。


「……それで、どんな用件で?」

「単刀直入に言うと、彼氏が浮気をしていないか調べて欲しいんです!」

「浮気調査……」


 ここに持ち込まれる用件は、大抵が落し物探しや人捜し。

 だが偶に、こういう案件も持ち込まれたりする。厄介極まりない。

 特にこの手の恋愛に関する案件は、もめ事に発展することが多々あって非常に面倒だ。

 犬も食わないとはよく言ったものである。浮気とか失恋とか告白とか、聞きたくもない。

 脳裏にチラリと少女の苦笑いが浮かぶ。

 ……極めて個人的な理由から考えても、人の恋路に関わることなんてまっぴら御免だ。

 悪いが、ここは断ろう。


「あー、申し訳ないんですけど――」

「分かりました。私たちに任せてください」


 俺の話をバッサリと遮り、貴理があっさりと承諾してしまう。

 え? なんでお前が勝手に決めてんの??


「本当ですか! ありがとうございます!」


 お客人は満面の笑顔。

 いや、待て待て。このままではまずい。何とか断らなくては。


「いや、ちょっとまってくださ¬――」

「――詳もやる気十分よね?」


 またもや遮られ、貴理の不気味な笑顔が眼前に迫る。目が笑っていない。怖い。


「ま、まぁそうっすね……」


 結局迫力に押し負けてしまった。弱い自分を変えられる日が待ち遠しい。

 ……やると決まってしまった以上、面倒事は手短に終わらせるに限る。

 やれやれと思いつつ、足りないやる気を全身から抽出すると、八代さんに向き直った。


「それで、具体的に教えてもらえますか?」

「えっと、彼氏は同じクラスの人なんですけど、なんていうか……ふらっと数分くらいどこかへ行っちゃうことが多いんですよ」

「どこかへ消える?」

「そうなんです。大学でも気づいたらいなくなってたり、デート中も何かと理由を付けて数分間別行動したりするんです……」

「その間何をしていたか聞きましたか?」

「はい……でも教えてくれなくて。いつもはぐらかされるんです。しかも、そうやって別行動をとる直前はいつもそわそわしてて」

「なるほど。でもそれだけで浮気は飛躍しすぎじゃないですか?」


 俺が何となくそう尋ねると、八代さんの表情がいきなり般若のごとく変貌した。

 バン! と大きな音が出るほど強くテーブルをたたく。壊したりしないでね……


「それだけじゃないんです! バイトをしているはずなのにいつもお金がないって言ってるし、よく消臭剤のニオイがするんです! 特に別行動した後は強くて! これって他の女の香水のニオイを消してるんじゃないですか!?」

「お、落ち着いてください……」


 怒りに震える八代さんをなだめつつ、ため息をつく。

 これだから恋愛事は嫌いなんだ……


「冷静になって下さい。まだ浮気と決まったわけじゃありません」


 俺が辟易していると、貴理が八代さんにストップをかける。


「でも――」

「とりあえず、今までの情報をまとめましょう」


 貴理はいつも持ち歩いているのであろう手帳を出すと、慣れた手つきでさらさらとペンを走らせる。


 ・彼氏は同じクラス。つまり同学年同学部

 ・大学にいるときや外出中、頻繁に数分間別行動をとる(電話や密会の可能性あり)

 ・別行動をとる直前の様子は、いつも落ち着きがないように見える

 ・別行動の理由は教えてくれない

 ・アルバイトをしているはずなのに金欠(他の女性に貢いでいる可能性あり)

 ・消臭剤のニオイが頻繁にする。特に別行動後は強く感じる(香水のニオイを消している?)


「――こんなところね」

「おぉー」


 箇条書きで必要な部分だけを見事に抽出している。

 自分の意見や推測に過ぎないものは()の中に入れているのも素晴らしい。


「いつもながら見事なもんだな」

「あんたに言われても嬉しくない」


 これで情報が分かりやすくなった。

 改めて見ると、確かに少し怪しい気がしないでもない。

 ただ、これは恐らく――

 自分の中で予想は立ったが、色々と確認をしないと絞り込めない。


「別行動について、八代さんはどう思ってるんですか?」

「角川さんの予想と同じです! 別の女と電話してるんですよ! 間違いないです!」


 なぜそんなに自信をもって断言できるんだ。


「うーん……因みに、彼氏さんとは付き合ってどのくらいですか?」

「今週で3週目くらいですけど……それって何か関係あるんですか?」

「いえ、別に……」


 おいおい、今日はまだ6月22日だぞ。今3週目ってことは、知り合って一か月弱で付き合ったってことか?

 信じられん。これだから大学は嫌なんだ。


「あともう一つ聞きたいんですけど、八代さんはもうお酒飲んだりしました?」

「まさか! 私は20歳になるまでお酒を飲んだりしません」

「大学生ならよくあると思うんですけど、そういうのってどう思います?」

「最低ですね。信じられない」

「なるほど……分かりました」


 言ってることは正しいが、ちょっと拒否感が強すぎる気がする。

 ……これで大体の予想はついた。

 後は伝え方だな、と思っていると貴理が俺の顔を覗き込んでニヤリと口をゆがめる。


「詳、なにか分かったんでしょ?」

「ん。まぁ何となく目星はついた」

「本当ですか!?」

「うっ……」


 八代さんの期待の眼差しが痛い。これで間違っていたら大恥だ。


「……ただ、まだ確証がありません。今日ここに来たということは、この後出かける予定があるんですよね?」

「はい。駅前で待ち合わせなんです。お2人に付いて来てもらって、調べてもらえないかなと」

「分かりました。行きましょう……」


 本当は嫌だけど。駅前まではあまりに遠い。

 ――1マイルは遠すぎる。まして気が乗らないとあらば。

 俺の大好きな名作にちなんだフレーズが頭に浮かんだが、こんなことを言ったらまた貴理にどやされる。

 ぐっと言葉を飲み込んで、真相を確かめるために部屋を後にした。

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