【KAC20204】優しさは暁風と共に(お題:拡散する種)

 カケルの過去を覗いてみよう、とトモキが言ったのは、僕が幽霊になって十年が経った夏のことだった。


 小学六年生の夏に死んだ僕は、住んでいた社宅の敷地で地縛霊になってしまっていた。一歩も外へ出ることが出来ないうえに、社宅も四年前に移転してしまって、今は誰も住んでいない建物が残っているだけだった。

 この社宅に住んでいた親友のベッさんは、進学した大学の近くで一人暮らしをしている。毎日ベッさんの部屋で僕への想いを熱弁していたタカイさんは、今でも毎日ここに来てくれる。

 勝手に敷地へ入り込むわけじゃなくて、敷地の外側に向けて佇むお地蔵様が、僕の代わり。タカイさんはお供え物を置いたあと、僕に一日の報告やベッさんの話をして、最後にお地蔵様を軽く掃除して帰るのが日課だ。

「タカイちゃん、今日も来てるな」

 幽霊友達のトモキが飛んできて、僕の背中を叩いた。このお地蔵様は、トモキの彼女だったノリちゃんが……というより、ノリちゃんの結婚相手が建立したものだ。

「就職先も町内だって言ってたし、まだまだ通ってくれそうだね」

「ベッさんも、たまには来ればいいのに」

「医学部だって言ってただろ、医者の卵は忙しいんだよ」

 トモキは笑いながら、屋上に向かって飛んでいった。つられて空を見上げると、スクエアリュックを背負った大型の霊界ネコが走っていた。クロニャン宅配だ。


 僕とトモキは、廃墟になった社宅で二人暮らしをしている。

 トモキは事故で死んだ後、光の橋を渡って「空の向こう側」で暮らしていたんだけど、霊的な治安を守る仕事に転職して、僕の住む町に配属されてきた。

 現世の霊体ライフを僕よりエンジョイしてるトモキは、屋上のペントハウスへ勝手に霊界の家具を持ち込んで「人間の目には物置にしか見えない仕事部屋」を作り上げている。タカイさんが帰ってからその部屋に顔を出すと、トモキが「いいもの届いたぜー!」と宅配便の箱を開けながら言った。

 トモキは仕事をしているので収入があり、よく通販で買物をしている。仕事の関係で一般の霊が手に入れられない品が届くこともあったけど、もちろん僕はそれに触ってはいけないことになっていた。

「これは本部から送って貰ったんだけど、カケルの為に申請したやつだから、触ってもいいよ。でもまだ開封はしないで」

 わかったと返事をして、二つあるうちの片方を手に取ってみる。金平糖入りの小瓶だ。おいしそうだけど、ただの金平糖であるわけがない。

「これは想起糖そうきとうって言って、記憶を呼び戻すための金平糖。カケルの過去を覗いてみよう、地縛霊になった原因がわかるかもしれない」

 そう、僕は自分がどうしてこの土地に縛られているのか、十年経った今でも理由がわからずにいる。その為にトモキは、わざわざこれを取り寄せてくれたのだ。

「それで、こっちは何なの?」

 もう一つは透明な箱の中に、ザクロみたいな果物が入っていた。

「それは照覧しょうらんの実、大切な人が遠くにいても見守ることができるようになるスーパーアイテム」

「えー、どういう仕組み?」

「実を一口かじってから空に投げると種が飛び散って、自分と相手を繋いでくれる。本当は、守護霊登録を済ませた霊が使うやつだけど……」

 そこで黙ったトモキは、少し言葉を選んでいるみたいだった。

「カケルの場合、悪霊化の予防に有効だろうって、上司の許可が下りた」

 社宅がなくなる寂しさで悪霊になりかけた僕のことを、トモキの上司は危ない霊だと思っている。少し複雑な気分になった僕を見透かすように、トモキがまあまあ、と肩を叩いた。

「どっちも前から申請してたんだけど、なかなか許可が下りなくてさ。でもやっと許可が下りたのは、カケルなら使わせても大丈夫だって、上司が理解したからだよ」

 俺のレポートの賜物だぜぇ、とトモキがダブルピースをした。


 午前二時、周辺の道路に通行人が一番少ない時間帯を選んで、僕は想起糖を食べることになった。トモキが小瓶から一粒だけ取り出して、噛み砕いて食べるんだぞと言いながら、僕の手のひらの上に乗せた。

「一粒だから、印象的な記憶だけが見えると思う。もちろん嫌な記憶もあるけど、心をしっかり持つんだぞ。既に終わったことを、記録として見るだけだからな」

「……わかった!」

 わざと元気に返事をして、そのまま勢い任せで口の中に放り込み、ガリッと噛み砕く。その甘い塊を飲み下した瞬間、視界がぐらり、と歪んだ。

 暗い谷底めがけて落ちていくような、そんな感覚だった。


 最初に見えたのは、この社宅に越してくる前の、まだ東京にいた頃の記憶だった。

 通っていた私立幼稚園の前で、お母さんが悲しそうに俯いている。他のお母さんに声をかけても、みんな足早に、逃げるように立ち去ってしまう。僕が同じ組の子に声をかけても、やだぁと叫びながら、母親のところへ走って行く。

 ざざ、とノイズが入る。小学校の入学式。幼稚園から持ち上がりの小学校、変化のない同級生。お母さんも僕も、ひとりだった。

 瞬きをすると、東京の社宅だった。キッチンでお母さんが泣いていた。お父さんが「転校しよう」と言った。

 次の瞬間、二年生で転入した区立の小学校にいた。数人の意地悪な男子が「おまえ私立で悪いことして辞めさせられたんだってな」と何度も言ってくる。違うと言っても、誰も止めなかった。誰も。担任の先生すらも。

 くるりと画面が回る。東京社宅からの引っ越し。お父さんがいつも飛んでる町へいくのよ、とお母さんが笑った。その頃のお父さんは、東京から福海ふくみへ飛ぶパイロットだった。僕の憧れ。お父さんもお母さんも楽しそうに笑っていて、そのことが嬉しくて、僕の口からはやわらかな吐息が漏れた。

 気が付くと、今の社宅にいた。まだ賑やかな頃だ。隣の家へ引っ越しの挨拶に行ったら、同い年の男の子がいた。小学三年生のベッさん。緊張しすぎて声がひっくり返った僕に、友達になろうぜ、と眩しい笑顔を見せてくれた。僕は抱きついたけど、当然、空振った。

 倒れた先にあったのは、転校生で大騒ぎの教室。怯えながら挨拶をする僕の、その視線の先には、静かに微笑むタカイさんがいた。大丈夫だよと言われた気がして、僕はタカイさんに恋をした。一目惚れだった。この時のことは、今でもはっきり覚えてる。タカイさん、と呟いた。暗転。

 僕は六年生になっていた。病院、お母さんが泣いている。脳に腫瘍があります、入院して手術しましょう――大人がみんな口を揃えて、大丈夫だよ、と言った。

 ざざざざ、と砂嵐。僕の部屋にタカイさんがいる。覚えてる。一学期の終業式のあと、僕はタカイさんを社宅に呼び出した。

 二人で並んでベッドに座って、一緒にコーラを飲んだ。入院するって言えなくて、転校するって言った。病院の院内学級に移るから嘘じゃない、と思った。

 どうして私に教えてくれるの、と聞いたタカイさんに、好きだから、と返事をした。私も好き、とタカイさんが言った。

 いつか絶対に戻ってくるよ、と僕は言った。戻ったらデートしてね、どこに行きたいか考えててね――それは、言えないままだった。その代わりに、手紙を書くよと僕は言った。返事書くね、絶対だよ、と笑い合った。

 タカイさんが「いつまでだって、待ってるからね!」と言って、泣きながら笑った。そんなタカイさんも、すごく可愛かった。

 思い出すだけで、視界が歪む。涙を拭いたら病院にいた。丸坊主の僕を見たベッさんが「似合うじゃん!」と笑ったから、似合うでしょって胸を張った。サッカー人数足りないから早く治せよ、とベッさんは言った。タカイさんへの手紙を書いたけど、遺言みたいになりそうで、結局は出せないままだった。

 僕は死にたくなかった。

 せっかく楽しかった学校から、離れたくなかった。

 お母さんに泣かないで欲しかった。

 お父さんみたいなパイロットになりたかった。

 もう一度、ベッさんと遊びたかった。

 タカイさんのところに、帰りたかった。


 絶対戻るって言ったのに、手紙を書くって言ったのに――僕は、タカイさんとの約束を、何一つ守ることができなかった。


 目を開けたら、トモキが僕の手を握り締めて、ポロポロと涙を零していた。

「ごめん、カケル……見た、一緒に、ぜんぶ……」

「……そっか」

 引っ越してくる前の僕がいじめられっ子だったことは、親とベッさん以外は誰も知らないことだった。僕の中の秘密を、トモキは全部知ってしまった。

「知られたからには、生かしちゃおけないねー!」

 ふざけて抱き付いた僕を、トモキは「もう死んでるだろバカ」と言いながら受け止めた。

 ぎゅっと抱き合って、何かに耐えるみたいに、二人で泣いた。


 明け方、僕たちは屋上の給水タンクの上にいた。

「心残りをどう片付けるかは、じっくり考えていけばいいよ。だからそれまでは、タカイちゃんたちを見守ってあげたらいいね」

 トモキが僕に、照覧の実を差し出した。ベッさんやタカイさんを近くに感じられるなら、それは嬉しいことだ……けど。

「でも、二人に何かがあっても、僕は何も出来ないよね?」

「その時は俺が飛んでってやるからさ、さあさあ、ぐぐっと」

 心強い言葉に背を押されて、僕は実をかじった。見た目よりもはるかに甘くて、なぜか穏やかな気持ちになった。 

 空高く、実を投げる。一瞬でパンと弾けて、中から綿毛のような種子が大量に飛び出した。

「えっ、多っ!?」

「タカイちゃんとベッさん、あと両親で、せいぜい四つじゃないのか……?」

 驚く僕らのはるか上空で、種子は風にのり、拡散をはじめた。そして僕の意識の中に、繋がった相手のことがうっすらと伝わってきた。

 東京にいる両親や親類、この町にいる同級生、社宅に住んでたみんな、病院でお世話になった人たち――ベッさんとタカイさんだけは、まるで隣にいるように感じられた。

「カケル、さすがに愛情深すぎじゃないか!?」

「しょ、しょーがないじゃん!」

 顔を見合わせて笑う僕らをよそに、種子ははるか遠くまで広がっていった。


(了)

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