【KAC20205】さよならなんて言えないよ(お題:どんでん返し)

 小学六年生の夏に死んだ僕が幽霊になって、十五年が過ぎた頃。

 生前に住んでいた社宅の跡地が、マンションになるという噂を聞いた。


 地縛霊の僕は、社宅の敷地から出ることが出来ない。その社宅も移転してしまって、既に誰も住んではいない。今は、高校生の時に社宅横の道路で事故死したトモキと、幽霊同士の二人暮らし。

 子供のままの僕と違って、同級生はもう大人だ。親友のベッさんは小児科医になったし、大好きなタカイさんは学習塾の職員になった。二人とも忙しそうだけど、それでも時折、敷地の片隅にあるお地蔵様のところへ来てくれる。それは僕にとって、本当に嬉しいことだ。

 僕は大切な人たちを見守りながら、穏やかな時を過ごしている。そんな僕に代わって噂を仕入れてきたのは、自由に町中を飛び回っているトモキだった。


 自宅だった部屋で、僕は大切な人たちのところへ意識を飛ばしていた。自分の周囲を視界に入れておらず、ふと気が付けばトモキが隣に座りこんで、じっと僕を眺めていた。秋の夕暮れ、カラスの群れが遠くで鳴いている。

「カケル、大ニュース。この社宅がマンションに生まれ変わるらしいよ」

 そう言って、嬉しそうにピースを出した。霊的な治安を守る仕事をしているトモキは、現世の情報収集も業務のうち。つまりこれは、デタラメな噂話ではないということだ。

「何年もほったらかしだったのに?」

「俺の事故現場を切り離したことで、やっと買い手がついたみたい。不動産屋が買ったのは建物部分だけで、裏手の公園は町が管理するんだってさ。地蔵もあるしね」

 俺のせいだったんだね、とトモキが苦笑する。

「建物は壊さずに改装して、分譲マンションにするんだって。冬から工事が入るみたい」

 ここも賑やかになるよ、とトモキが笑った。嬉しくて、僕も笑う。

「やったね、これで寂しくなくなるね!」

「建物も綺麗になるし、いいことだね」

 トモキが周囲を見回した。何年も人が住んでいない建物は、どこか寒々しかった。昔みたいに賑やかな場所になるんだなって、想像するだけでワクワクする。

「この部屋にも、新しい人が住むんだね。どんな人だろ、楽しみ!」

「生きてる人間を好きなのはいいことだけど、気配は悟られないようにしろよ?」

 お払いされちゃうぞ、とトモキが笑った。ここに縛られたままなのと、お払いされて消えてしまうのと、どっちが悲しいことなんだろう――やっぱり、消えるのは嫌かな。できることなら、ベッさんやタカイさんを、ずっと近くで見守っていたい。

 いつか二人の時間が尽きて、輝く光の橋を渡って、空の向こう側へ行ってしまうまで。それで永遠に、ここへ縛られることになったとしても……そのままずっと、この町の人たちを見守り続けるのも悪くないな、なんて思う。

 そのことをトモキに言ったら、カケルは地縛霊というより神様みたいだな、なんて笑われてしまった。


 工事が始まって、昼間は公園で過ごすようになった。騒音で集中できなくて、あまり意識を飛ばすことはしていない。トモキは仕事で出掛けるので、その間は一人で工事を眺めていた。僕の知ってる社宅とは違うものになっていくのは少し寂しいけど、生まれ変わっていく建物が羨ましくもあった。

 タカイさんはここに来るたび、建物を眺めて「賃貸なら借りたのになぁ」と残念そうに呟くのが癖になっていた。

 しばらくそんな日々を過ごして、工事もずいぶん進んだ頃、建物に「分譲受付開始」と書かれた垂れ幕が設置された。トモキが「カケルの代わりに様子を覗いてきてやろう!」と不動産屋へ飛んで行ったけど、絶対に自分が見に行きたいだけだ。

 お土産話を期待しつつ、すっかり綺麗に整えられた元自宅で、僕は両親のところへ意識を飛ばした。こちらから話しかけても聞こえないのはわかっているけど、社宅のことを報告しに行きたい気分だった。

 写真の中の僕に話しかけていたベッさんやタカイさんも、こんな気持ちだったのかな。


 身体が揺れる感覚で意識を戻すと、トモキが「カケルカケルカケル」と名前を連呼しながら、僕の肩を掴んで必死に揺さぶっていた。

「ど、どうしたの?!」

「大変だカケルっ、凄いことになったぞ! いいか、落ち着いてよく聞けよ!」

 トモキの方が完全に慌てているけど、僕は黙って頷く。いくぞー、と勿体ぶったトモキが大きく息を吸った。

「あのな、タカイちゃんがな、この部屋を契約したんだよ! やったなカケルっ、タカイちゃんマジ最高!!」

 トモキの勢いは止まらない。ええと、つまり、タカイさんがこの部屋に住む……って、ホントに?

「ええー! そんなことってあるのー?!」

「あったんだよ!」

 叫んだ僕に叫び返したトモキは、興奮したまま早口で勢いよく喋り始めた。

「いくら田舎の中古物件って言っても、タカイちゃんの収入だけで買えるのかなって調べてみたんだけどさ? なんと、頭金はベッさんも出してんだよ! きっとこれ、結婚するんじゃないか?!」

「結婚……!?」

 ずっと監視しているわけじゃないけど、僕はよく二人の様子を覗いている。なんだか納得できなかった。暇さえあれば会っているのは確かだけど、未だに僕の話ばかりしているのに……結婚、するの?

 そんなに大きな決断をしたのなら、きっとタカイさんは僕へ報告に来る。僕はお地蔵様の隣に座って、彼女の姿が見えるのを待った。あえて意識は飛ばさない。どんな話であっても、今は本人の口から聞きたかった。


 冷たい風が吹いてくる夕暮れ、タカイさんはベッさんを連れて、僕のところにやって来た。トモキは僕に気を遣ったのか、部屋にいるよと言い残して、縄張りにしているペントハウスへ飛んで行った。

 二人はお地蔵様の前に屈み込み、並んで僕に手を合わせる。お線香の香りはいつもと同じで、これから重大発表があるような感じには、とても見えない。

「あのね、クマシロくんのお家があったお部屋、買っちゃったんだよ!」

 タカイさんが笑顔で、僕の名字を呼ぶ。知ってるよと呟いたけど、相変わらず僕の声は届かない。

「うちのお兄ちゃんが結婚して同居することになったからね、それ理由にして実家を出るって言って、親からお金出して貰ったんだー。あ、ベッショくんもかなり出してくれたよ!」

「家賃を前払いするから一緒に住ませてくれって、チトセに頼み込んでさ。俺、この社宅好きだったし」

 いつの間にかベッさんが、タカイさんを名前で呼ぶようになっていた。ああ、やっぱり結婚するのかな……嬉しいけど寂しいような、ちょっと複雑な気分。

 だけどもう、置いていかれるような気持ちにはならない。二人の未来に、今の僕は寄り添うことが出来るから――そう思ったのに、次の瞬間、タカイさんがケロっとした顔で「ま、ただの同居なんだけど」と言った。

「それでね、親に同居を認めさせなきゃいけなくって。だから私たち、付き合ってるフリをすることにしたんだけどね」

「結婚する気があるって言わないと、チトセの親が納得しないからさ。うちの親も完全に浮かれててさ、いや参った」

「……は?」

 ついうっかり、キツめの声を漏らしてしまった。どうせ二人には聞こえないけど、態度悪かったかも……でも、そこまでするなら、もう結婚しちゃえばいいんじゃないの?

 僕の疑問に答えるように、タカイさんが「浮気じゃないからね」と言った。

「私、今でもクマシロくんが、誰より大好きなんだからねっ!」

「生きてる人間の中では俺が一番らしいんだけどな、カケルには永遠に勝てないっぽいわ」

「ちょっとベッショくん! それ、今言わなくてもよくない?」

 タカイさんが、ベッさんの背中をばちんと叩いた。そうやって笑い合う二人は、本当に仲が良さそうに見えた。

「そんなわけだから、ここに帰って来るよ。カケル、またよろしくな」

「クマシロくんも、一緒に暮らそうねー!」

 二人とも、まるで僕が見えてるみたいに、こっちを見て笑った。

 僕の中に、喜びの感情が湧きあがってくる。

 幽霊になってしまった僕なのに、この二人と一緒に暮らせるなんて、そんな幸せな未来が待ってるなんて――!

「ありがとう!!」

 僕はそう叫んで、堪えきれずに飛び上がった。ベッさんには声が聞こえてしまったのか、驚いた顔で周囲を見回している。

「チトセ……いま、ありがとうって聞こえた気がする」

「ベッショくんがそう言うんなら、きっとクマシロくんだね!」

 その会話もまた嬉しくて、僕は屋上めがけて飛んだ。トモキに全てを話したかった。


 トモキは屋上に立っていた。何故か一緒に、死んだ魂を案内するオジサンがいる。

 彼の前に、キラキラと輝く光の塊のようなものがあった。

「カケル……光の橋が、架かるよ」

 それは、僕が地縛霊ではなくなったことを意味していた。

「憂いが晴れて、良かったですね」

 案内人のオジサンが、僕の方へと手を伸ばした。僕はもう、空の向こうへ行かなければならない。

 きっと、これは喜ばしいことなのだ。だけど僕は行きたくなかった。せっかくベッさんやタカイさんと、一緒に暮らすことが出来るのに――行きたくない。どうしても、今は二人のそばにいたい!

「いやです!」

 僕が叫ぶと、光の塊は砕けるように消え去った。

「うわっ、何してんだよカケル!?」

 慌てるトモキを横目で見ながら、案内人のオジサンがニコニコしている。

「ああ、新たな心残りが出来ちゃったんですね。仕方ありません、それが解消した後にまた伺います」

 丁寧に頭を下げて、オジサンはどこかへ飛び去っていった。


 その後、これで外に出られるかもしれないと、道路に向かってダイブしてみた。しかし無情にも、透明の壁にぶつかって跳ね飛ばされるだけだった。

「あーあ、また地縛霊に逆戻りじゃないか!」

 トモキが呆れるように笑い、しょーがないな、と僕の頭を撫でた。

「カケルが満足するまで、俺も一緒にいてやるよ!」

「へへっ、ありがとー!」

 僕たちは笑い合いながら、お地蔵様の掃除をしているベッさんたちのところへ飛んで行った。


(了)

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